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ときとき普及【35】

2021年5月31日

普及員と研究員(その3)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 ある日、試験場の果樹圃場で、見知らぬ人が剪定作業を行っているのが目についた。果樹部の研究員にそれとなく尋ねると、果樹の篤農家だという。明日、年中行事化している剪定の集いがあるので、事前に準備をしているという。果樹担当の研究員とは付き合いが深いそうで、感覚的な要素がある剪定技術を、篤農家の目線で農業者に説明する機会を作っていたのだった。


column_abe35_2.jpg 研究員と農業者との関係は、時代とともに希薄になっていた。「技術移転には、研究部門もある程度、責任ある立場に立ってもらいたい。普及部門だけが担当するという短絡的な考えでは、だめなのではないか」と発言したこともあった。研究部門は現在、技術移転の際の効果的なツールになっているという。無袋ふじ研究会、山ぶどう研究会、チェリーポット研究会等、技術移転を目的にし、研究機関が主体になった多くの組織が誕生した。


 技術移転が効果的に進められるのを横目で見ながら、野菜担当の自分には手が届かないやり方だとあきらめていた。なぜなら、野菜関係の組織は、JAの生産組織として発足しているように、個人差が嫌われる部門であるからだ。一方、「果樹部門は、すべてが剪定技術から始まるというように、樹木間差と個人差が同じぐらいに重要視されるからだ」と、悔しまぎれに考えたこともあった。その組織がまれに販売を担うようになると、もはや試験研究機関でサポートする組織ではなくなる。これは普及所においても同様で、2010年代にはこの傾向が顕著になった。事務局を普及所で担うかどうかの線引きが、ここにあった。

 当時の研究開発は、ともすれば現場と疎遠になるような業務が多かった。あまりにも基礎研究に近い研究領域は、現地との距離がますます離れていくようだった。いや、"現地を想定していない"というのが正しいかもしれない。野菜部門では、農業生産現場の課題を拾って研究課題にしていたが、ともすれば、技術移転を担う普及組織の存在を隠れ蓑にしていると感じたものだった。それではと、山菜研究会のように農業者への技術移転の研究会を運営すると、それはそれで普及組織との線引きが課題になるのだった。普及員はコーディネーターに徹すれば良いと思ったし、今でもそう確信している。


 工業分野の大学の研究員と共同研究を行ったこともある。具体的な研究内容はさておき、工業系の研究員の研究方法は、最初から最後まで生産現場があって、ある意味、農学系の研究者が置き忘れてきたものがあると、新鮮な驚きがあった。産業規模や生産単位の経営基盤は比べ物にならないぐらいに異なるが、「研究予算獲得のためには理解できなくもないが、少なくとも農学が理学になってはいけない」と結論づけたのだった。


column_abe35_1.jpg 普及活動と農業者の組織化は、切っても切れない縁があり、昔の改良普及員や専門技術員資格試験に出題される位に重要だった。
 普及活動計画では、普及対象の機能集団が定番だった。総合指導活動では地縁集団を対象にすることがあったが、目的集団を普及対象にする普及活動が多かった。普及所内では、組織化がある程度完成すると、普及計画は8割が達成したと評価されていたと思う。
 当時の普及活動は、個人指導と集団指導に大別される。私が最初に普及員に任用された時代は、集団指導の比率が高い時代だった。
 既存の組織、例えばJAの生産部会は目的が統一された組織のため、普及活動はやりやすかった。ただし、婦人部(現在の女性部)や青年部(青年組織協議会など)は、普及課題によっては普及活動の対象になる事もあったが、多くは連携組織だった。普及所にも指導農業士会、青年農業士会(山形県の単独)、生活改善実行グループ(現在の農村生活研究グループ)や4Hクラブなどの事務局があった。これらの組織は普及活動の応援団として協力してもらうことがあり、優先的に対処すべきだと、上司から指示されることがあった。 


 研修会や講習会は普及員の華なのだと、昔から言われていた。現在もそうだろう。
 「農業者は施肥が好きなので、研修会では少なめに説明するのがちょうど良い。農薬はほとんどの場合、目的の濃度を希釈することはないので、農薬取締法の範囲内で下限の濃度を示すようにしている」とのベテラン普及員の指摘には驚いた。たしかに、自分で農作業をやっていると、肥料を少なめに施用するのは勇気が必要だったし、農薬は既定の範囲内の上限で希釈している自分がそこにいて、苦笑いをすることがあった。しかし、"農業者は施肥が好きだ"と言うが、「タラノキの側芽の充実させるためには秋施肥が必要だ」と話をしても、その通りにする農業者がほとんどいなかった苦い経験がある。質と量は違う問題だから、当然といえば当然のことでもある。農薬については、機能的な展着剤が使用されるようになってから、状況は一変した。


 先輩普及員に講習会の様子を尋ねると、「振り向きざまの普及とか、帰りぎわの普及が最も農業者に届く」と話すことがあった。自分には、このような高等な(?)話芸は難しかったが、研修会の後半に話が盛り上がることが多く、ほぼそうなのだろうと思った。こんな時に、「研修会は最初と最後が大切だ」と話す先輩普及員を思い出すのだった。昔の普及活動は「一定の幅」が売りだったことが多い。少なくとも自分はそう信じていた。農業技術の「一定の幅」は、普及員の経験や努力によりレベルが上がり、それにより、普及活動は機微に富んだものになっていくのだろうと思った。


 諸般の事情はあるが、時代とともに普及活動の幅が狭くなっているように思う。「一定の幅」が、うまく普及対象に適合した時に普及活動の満足感があるのだとすれば、普及指導員から普及活動の楽しみを奪っているのではないかと心配している。


●写真上から 山形県の特産のサクランボ、クレソンの花

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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