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2020年6月29日
農業者NOW(その1)
私が若かりし普及員だったころ、農業改良推進員の制度があって、優秀な農業者に、その役割を担ってもらっていた。地域の農業情報の提供や普及職員との意見交換が主な仕事だったと記憶している。
ある時、農業改良推進員の肥育農家Hさんが、「農業をやめたら儲かった」と話していたことがあった。子牛価格が低下傾向にあり、肉牛価格も不安定だったので、畜産に見切りをつける覚悟を決めたという。素牛の導入をやめ、保有牛を肥育して販売することで、かなりの利益が期待できると判断したという。「利益は、給与所得者の退職金相当(数千万円)になる」と、実にうらやましいことを嬉しそうに話していたことを思い出した。自分を含め普及員にとっては、Hさんの経営縮小や廃止をすんなり理解することはできなかった。農業経営は拡大が当然という時代で、縮小する過程で利益を生み出すことなど、これまでの普及活動では考えたこともなかったからだ。
最近、知人の農業者夫妻が魅力的な「小さな農業」を実践する様子を見聞きすることが多くなった。「小さな農業」といっても、イデオロギーを含んで議論される「小農」のことではない。これまでの農業経営を縮小し、夫妻の労力に見合った農業に転換したやり方のことで、便宜上このスタイルを「小さな農業」と個人的に定義している。
農業経営の縮小に伴って得意分野に特化するのだから、この「小さな農業」は、かなりの確率でうまくいく。肥育農家のHさんの場合は保有牛という償却資産があったわけだが、長年にわたって培ってきたスキルもまた、無形の資産と呼べるのかもしれない。高齢世代の場合は、年金に加えて農業からの可処分所得が月当たり10万円から15万円あれば十分らしい(ただし、固定負債を抱えた場合は柔軟な経営転換が難しい)。
かつて、ふざけ半分に「野菜+年金」というものを複合経営の類型で提示したことがあったが、この場合の「野菜」は新たに開始する部門として想定し、60歳以降に必要な、ある程度の金銭的な裏付けとして考えた提案だったのだと思い返している。
経営を縮小する楽しさを経験できることも、農業という産業の特徴のひとつではないかと最近は思っている。農産物の流通が多様化していることが理由の一つかもしれないが、農業経営は後継者に委ねることが一般的だった時代には、考えも及ばなかったことだ。
農地中間管理事業に携わっていると、担い手のかなりの割合が団塊の世代だ。70歳前後の、本来なら経営を縮小して楽しい農業が実践できる、スキルのある農業者ばかりだ。彼らと意見交換すると、「70歳になっても農業生産の最前線に立たざるを得ない」とか、「地区に若手が育つまで現役でがんばるしかない」など、切なさを漂わせた話を聞くことが多い。「動力散粒機に肥料や農薬を入れると25kg。これを背負って水田の畦畔を歩ける体力があれば、まだ大丈夫」と話す農業者は、やせ我慢しているようにしか思えない。しかし、いまだ担い手にならざるを得ない彼らの多くは、70歳に近づいても経営を拡大しなければならないという地域農業の現実がある。
数年前、農業経営者の集まりに参加したことがあった。そこでは、合間に知人の経営者同士が盛んに意見交換していた。
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「経営の拡大は、多くの資金と労力、それに販売先の確保もあり難しい。コストカットは容易に取り組める。増収増益ではなく減収増益ということだな」(E農業法人代表者)
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「従業員に作業時の歩き方まで指示しているのではないだろうな?」(別の農業法人)
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「経営規模拡大に伴って億単位の借り入れを行った時は、突然感じる緊張感のため、夜中に目を覚ますことがあった」(K農業法人)
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彼らの日常を考えると、経営規模が大きくなれば経営責任も拡大する。はた目には優雅に見えても、相当なストレスを抱えているのだろう。
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「急激な拡大は性に合わない。改善を繰り返しながら少しずつ拡大し、いつの間にか大きくなっていたらいい。リスクを取ることに関しても、少しずつが自然」(T農業法人)
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「拡大と改善、それに必要な投資を繰り返していかないと生き残れない。農業法人の宿命か。家族経営を行っていた時は考えたこともなかった」(O農業法人)
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一方で、大規模な施設花き経営を子に委ね、自分は原点だった露地花き経営に戻った農業者がいる。「あと何年できるかわからないが、かつて経験した露地花きの楽しさを実感している」とのことだった。
私の地域では、世代を超えて取り組むのが農業であって、稲作はかけがえのない存在だった。そういう時代に、拡大と改善に傾斜した普及活動に特化できた自分はラッキーだったのかもしれない。今の時代を生きる後輩普及員達は、一段と高いスキルが必要な普及活動が求められ、日々苦労しているのだろうと思う。
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。