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ときとき普及【23】

2020年5月28日

普及の日常(その3)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 普及員は黙々と日々の業務を行っているように見える。この普及に対するモチベーションはどこに存在するのだろうかと思うことがあった。

 戦後の食糧増産時代やそれに続く総合農政(選択的拡大)の場合は、普及員個々がやるべき仕事は明確だったと、先輩普及員から何度も聞いたことがある。自分が県職員になった頃の昭和50年代は、水田転作が普及課題として華やかな(?)時代だった。時を同じくして、野菜分野では少量多品目生産が開始されていた。次第に国全体の経済は過熱し、バブル経済に突入し、その後は失われた10年とか20年などと呼ばれるように、経済の停滞期になった。

column_abe23_2.jpg しかし、農業分野では、農業者だけではなく普及員の意欲も失われていなかったと思っている。農業・農村が困難になればなるほど、普及員としての職業意識が燃え上がってくるものかもしれないと思った。

 研究開発では個人の業績を重要視するようになり、職務発明が議論され、特許法の改正が拍車をかけていた。同時に、外部資金を活用する研究開発が日常化していた(山形県では、研究職と普及職員間の人事異動が多かった)。
 行政の職場では、住民との位置取りは別にして、業績を声高に主張する職員はいないのかと、数人の行政職の友人に問いかけたことがあった。
 「公務員個人の業績を意識していているような仕事は想像ができない」とか、「考えたこともなかった」と答えが返ってきた。「しいて言うならば、仕事に対する満足感や充実感により、モチベーションを維持しているのかな」と。公務員の業績を住民が評価することがあるが、それは後になってからのことで、その時々の場面では理解しようがないだろうとの結論だった。


 職員研修の講師に、同様の質問をしたことがあった。
 「普及はあまり理解していませんが、普及の業務も広い意味での行政指導で、公務員のモチベーションのよりどころは職務充実による」と言われたことがある。「業務を上手に進行すること、その結果をもって住民は評価するのではないか。住民への伝え方がカギになる」とのアドバイスだった。
 単なる意思疎通なら難しくないが、職務充実のためには「伝える」ことが基本になると考えた。普及員でも行政の職場でも、また個人の業績が重要視される研究職でもプレゼンが必要で、いたるところで伝えることが重要視されている。自分は「伝えること」が苦手だった。意思疎通に詰まった時に、「具体的には・・・」とか「例えば・・・」とかを連発する私に対して、「どんどん分かりにくくなるので、あなたの話は例え話になっていない」と妻は苦言を呈するのだった。


column_abe23_3.jpg 最近、A農業法人の代表者の嘆きを聞いた。
 若い従業員に、水田の水尻の水位を高くするため、空の肥料袋に土を入れて調節してくるように指示したとのことだった。その従業員は現場に出かけたが、どこの土を使えば良いかわからず、結局、何もしないで事務所に戻ってきたという。水田なのだから土はいたるところにあるだろう。微細に指示しなければ意思疎通できないのだろうかという内容だった。
 その少し前に、当センターで長期研修を行っている新規参入者から聞いた話を思い出した。彼を担当している研修先の農業者から、「あそこさある、あれを、ここさも持って来て、もうちょっと、ちゃんとやってくれ」と指示することが多く、まったく理解できなかったと言う。「それは方言でも何でもなく、"こそあど言葉"なので、あなたが理解できなかったのも当然だと思う。日々の研修の中で、部分的に気になることがあっても、農業者や経営の全体を見るようにしてください」と答えたのだった。どちらの事例でも、法人代表者と研修先の農業者は篤農家だ。体験や経験の重要さを意識してのことだと思う。


 後輩普及員には体験や経験を、できれば「成功体験」として、若い時代に経験してもらいたいと思っていたことがある。その頃に流行っていたOJTが、その場としてふさわしい。チームで実施することにより、知識や経験を共有することになるだろうと思った。経験を伝えることの意義に、やや否定的だったからでもあった。時代の普及は、個人から組織対応が主流になっていた。

 後輩普及員には、役割分担という名目で細かいところまで指示した。時にはかなり強引に進行を督促したと思う。彼らがどのように感じていたかは分からないが、この時の普及活動の成り行きは、農業者や農業団体に十分に伝わっていたと思う。何よりも、あの時から20年近く経過した現在、彼らが各職場で活躍している姿を見るにつけ、あの時の普及のやり方は正しかったのだと、自画自賛している。


column_abe23_1.jpg さて、以下は普及事業○〇周年記念祝賀会でのひとコマである。

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「以前も尋ねたことがあったが、普及員と農家の位置取りはどのように考えている?」(I先輩)
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「農家から見て普及員の位置は、前、斜め前、真横、斜め後ろ、後ろと5つのパターンがあります。農家が困った時に、振り返ると普及員がいるのがふさわしいようなので、斜め後ろがベターではないかと思っているのですが、個人的には真横にいたいという気持ちもあります。このような経験を数多くしています」(私)
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「そのように考えているのか。君は斜め前と答えると思っていた」とはI先輩の感想だった。

 農業者と普及員の位置取りよりも、今の時代にあっては、組織の構成員として充実した普及活動をすることの方が重要だと考え始めていたが、I先輩にはそのことを伝えなかった。


●写真上から 中山間地域の山ブドウ、ミョウガの林間栽培、オウトウの鉢物

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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