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2019年10月29日
農地バンク(その3)
私の旧知の農業法人達は、条件不利地で就農したという共通点がある。所得確保という視点から、就農した地域の農業形態に飽き足らず、単独で営農が可能な園芸作物を導入している。園芸作物は労働集約型が多いことから、多分にもれず、早くから雇用による経営を行っている。
もうひとつ、月並みな言い方をすれば、彼らは、一日中忙しいという共通点がある。習慣としての飲酒(晩酌など)をしない、いや、しないようにしているという方が正確かもしれない。
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「Kさん、(午後)9時過ぎに電話して申し訳ない。聞きたいことがありますが、いま大丈夫ですか?」(私)
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「事務室にいるので大丈夫」(K農業法人)
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「遅くまで大変ですね。いつもですか?」(私)
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「いつもといえば、いつものことだけれど、これが習慣になっている」(K農業法人)
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彼らは、大なり小なりの波乱万丈の人生を送っているが、志を持った農業者のすべてが花開いているわけではない。事実、夢破れた農業経営があったことも知っている。成功した彼らは、数少ないチャンスと、人との出会いを確実にものにしたということだ。
かつて、普及員として彼らと接していた時には、稲作にとっての条件不利地の農業者の方が、志に対する意欲が高いと感じていたものだった。
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平場の稲作農家とは無縁かと思えば・・・
ある農業法人との会話を以下に紹介する。
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「集落の合意を得るためには、いったい何年必要なのだろう? 自分の集落を考えた時、経営の世代交代からすると、5年ぐらいはかかるかもしれない。我々は、何もしないで5年間は待っていられない」(A農業法人)
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「集落の合意は遠回りに見えるが、それ以外に近道は見当たらない」(私)
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「我々の少し上の先輩は団塊の世代が多いけれど、少し年齢が下がるからといって、何もせずに、状況の推移をただ見守るだけで5年間待つのは難しい」(A農業法人)
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「それは理解できるが、集落の話し合いを継続するのは、受け皿を作るという意味合いでは意義深いと思う。経営の形態は、時代の経済情勢に合わせて離合集散していくもので、何十年も固定化して考える必要はないと思う。地域の話し合いは、結構、柔軟な議論が多いと思う」(私)
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彼らに、20年以上前の、園芸農家との話をした。
彼は稲作専業で就農し、オペレーターとして水稲の農作業を大規模に受託していた時期があった。地域の担い手として重用されてはいたけれど、有償ボランティア的な低いオペレーター賃金に疑問を感じ、これで農業人生を終えるは間違いだと感じたという。また、遅々として進まない集落の合意にも嫌気がさし、結局、地域の関与が幾分薄い園芸作物に転換した。同じような境遇をたどった仲間が多いとも語っていた。
また、最近の稲作の事例として、Y市近郊の農業法人の話をした。
農地を賃借又は使用貸借(地代なしに委ねるケース)する場合と農作受委託を比較した場合、以前に比べて農作業料金が割高になっているため、大・中規模の農業法人にとっては、収益源として魅力的だということを説明した。
農地バンクとは、以下のような話をした。
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「稲作の規模を拡大していくと、7、8haと15haに壁がある。農業機械、乾燥調製施設のキャパ(許容量)が要因だ。秋の天候が安定している宮城県北ではコンバインのシーズン稼動面積が40haだと聞いているが、自分の地域では20~25haが上限。これは刈り取りに専念できることが前提になるが、天候問題も大きな影を落としている。ただし、近くにカントリーエレベータがあれば、この数値は容易にクリアできる。農作業料金は相対的に低下していないため、賃借とほぼ同程度の作業受託を組み合わせるのを経営戦略にしている」
「それに、作業受託は地域に農業者が存在するという安心感がある。水利の問題では、人数がいないと難しい場面が多くなるから。農地の集約は自然な流れに委ねるということ。あと数年で結果は見えてくる」(Y農業法人)
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「そのような状況があるとすると、まだまだ光があるということかな?」(私)
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「当然、前向きに考えないと。農地の集約は大規模経営の前提。それなくして、無理に農地を集積するのは、無責任な結果になる可能性がある。また、水利問題だけではなく、ある程度の農業者数は、地域に絶対必要だ」(Y農業法人)
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「経過措置として、カントリーエレベータの活用は必要ということかな。ソフトランディングだね」(私)
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当農地バンクでも、契約者が亡くなることにより、農地の相続放棄や不登記が目立つようになった。同時に、昭和ひとケタ生まれの契約者が多いこともあって、住所が変更になる(老人福祉施設など)ケースが増え、通常の事務処理が難しくなるとの思いも抱いている。
このような、農地を巡る諸問題は、市町村の農業委員会の業務ではあるが、農地バンクとしても注視せざるを得ない課題になってきている。ますます減少する担い手に多くの役割を期待するには、いささか荷が重過ぎるようだ。
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。