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2019年9月30日
農地バンク(その2)
【まだまだ私が駆け出しの普及員だった頃の、先輩普及員との会話】
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「地域の農業を変えようとするような壮大な普及活動は、一歩一歩地道にやるしかない。地域の農業者は、同じような思いを地域に持っていることも事実であるが、より具体的な話になると、結構、異論が多くなると思う」(F先輩普及員)
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「変化を求めないということでしょうか?」(私)
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「決してそうではない。農業に対する目的意識が違うということかもしれないな。ただし、地域の変化が確実な段階になると、農業者は変化に対して寛容になると感じている。普及は、この段階が千載一遇のチャンスで、このチャンスに気づかない普及員であってはならない。
基盤整備の例でいえば、計画段階ではさまざまな思惑が飛び交うけれど、具体的に着工する段階になると、前向きで、より具体的な意見が多くなる場合が多い。変化を目の当たりにすると、農業者は変化に寛容になる。基盤整備は手段だろうから、普及活動が基盤整備を目的化することはないし、積極的に活用していけばよい」(F先輩普及員)
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「目的は、農家経営の改善とか、農業所得の向上とかですか?」(私)
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「それらをスムーズに進める手法として、耕脈とか水脈、真の地区リーダーを探る・・・、こんな話を、あなたも聞いたことがあるだろう」(F先輩普及員)
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【最近開催された農地集積・集約化推進会議でのこと】
最近、F先輩の話を思い起こす機会があった。
農地集積・集約化推進会議の中で、2事例の発表を聞きながら、以下のような思いをめぐらした。
H農事組合法人の事例は、基盤整備と担い手の法人化という手段を活用して、地域の水田農業を継承しようとする事例。中山間地域の農業へのチャレンジかな。H地区は以前から、畜産と園芸振興が取り組まれていたという実績があり、普及との関係が深かった地域だ。多くの農地を受け継ぐための条件整備が一段落したということだな。実践はこれからになるが、恐らく、H地区ならではの、中山間地域の農業を展開していくのだろう。
N地区の事例(※)。N地区は、砂丘の園芸地帯を抱える地域で、水田の集約化は地域の抱える喫緊の課題だったと聞いていた。大区画水田を含むこの地域において、4つの農業法人が切磋琢磨する光景は、他地区から羨望の眼差しで見つめられるだろう。地域の農業生産額は増加し、水田部門は大幅な低コスト化につながっているという。平坦地域の水田農業のあり方において、時代を先取りするような営農に違いない。4農業法人の設立を普及活動が全面的に支えていたはずなのに、説明では触れられていなかったことを残念に感じた人もいるに違いない。
※ この事例は、月刊『技術と普及』平成29年(2017年)8月号に「鶴岡市西郷北部地区~圃場整備を契機にした法人化・集積の促進~(山形県)」として掲載されている
担い手が農地を集積・集約する、基盤整備により水田農業の低コスト化を図る、園芸振興のため共同選別施設を導入するなどは、経営的には労務の合理化という尺度で理解すること多い。農村において、労働力が、ほぼ無尽蔵だと考えられていた時代には、考えもつかなかったことだった。園芸は手間稼ぎだとか、稲作で励めば蔵が建つ(財産形成する)といわれていた時代だ。
農業経営の大規模化は、特定の農業者への農業所得の集中だという側面もある。しかし、可能な限り多くの農業者が農業に関係していく道を考えることが、「人・農地プラン」の核心であり、担い手を明確にするだけではないと、自分は考えたい。
時代は大きく変遷していて、人口減少についていえば、本県の中山間地では、全国でも早く、2035年には縮小均衡という形で収束すると予測されていたな。この15年ほどの短い期間に、農業・農村の諸課題を解決した地域が、農村として維持、発展して行くのだろう。
そういえば、先輩普及員から、地域の農業構造の変化は、農地を手放す、委ねるという相談から始まること聞いたことがあった。地域の農業者の窓口業務を担当する農協や農業委員会の担当者は、相談案件から、地域の農業が大きく変化していきそうな思いを持つ事が多いだろう。この会議で説明していた優良事例も、ここから始まっているといっても過言ではないだろう。農協、農地バンク、農業委員会や土地改良区は別々の組織であるが、窓口業務の担当者の気づきに迅速に対応するのが、「連携」なのだろう。
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本県で平成26年に策定した元気再生戦略において、初めて「農業のトップランナー育成」というフレーズを使った計画を策定した。
農業・農村というくくりの中では、産業政策にふさわしい農業を具現化する施策として、大規模な農業経営体の育成をイメージしたが、地域政策で考えなければならない農村とのバランスをとるのに、大変、苦労したことがあった。結局、「地域農業を牽引するトップランナー」という説明を追加して、その議論を終結したという経験があった。個人的には、地域農業を牽引するというフレーズの心は、濃淡はあれ、多くの農業者に農業を継続してもらいたいという願いを込めたものだった。
15年後の地域の農業を最前線で支えている担い手の方々に、十分ではないにしろ、責任あるバトンを委ねられるようしたいものだ。農地バンクも、「しっかりやらないと」との思いで、推進会議の会場を後にしたのだった。
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。