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2019年7月29日
平成の農村女性(その4)
昭和から平成に代わった頃は、少量多品目が脚光を浴びていて、珍しいものが飛ぶように売れていたことを思い出す。促成山菜は、そのような流れに乗って産地化された品目でもある。
大きな気象変動があると、農産物の価格は高騰する。忘れもしない平成5年の大冷害の時は、米価がとりわけ上昇し、夏秋野菜の販売価格も青天井の様相を示していた。露地の夏秋キュウリが促成栽培のそれよりも価格が高かった。その時以来、野菜の価格は安値で低迷し、平成が終る頃に、また高値になっていると聞く機会が多くなった。最近は、農業従事者の減少が著しい。労力不足が理由だといわれている。
*****
昭和50年代後半に、スイカ農家の女性と以下のような会話をした。
「スイカの収穫作業は重労働なのね。収穫シーズンだと、人によって4、5kg痩せることもある」(スイカ農家の女性Aさん)
「連続して定植していると、3週間ほど期間が続きますね」(私)
「疲れてくると、些細なことでも喧嘩になるのね。夫が収穫して私が受け取る役割だけれど、機嫌が悪いと、スイカを投げつけてくるのよ」(Aさん)
「大玉スイカだから、重量が6、7kgはある。放物線の頂点で受け取ることで、運動エネルギーが最も低下するように相手に渡していると聞いていましたが?」(私)
「収穫作業が何日も続くと疲れがたまり、ちょっとした事でも喧嘩になる。そうなると、夫から投げられたスイカは、勢いよく私に向かって飛んでくる。そういう時は、腹立たしいから受け取らないのよ」(Aさん)
「受け取らない・・・・・?」(割れると分かっていて反応した私)
「当然、もったいないから、夫も冷静になる」(あくまでも冷静なAさん)
「大変ですね」(別の意味で考えた私)
*****
ある日、O先輩普及員があきれた様子で席に着いた。
「何かありましたか?」(私)
「機械のオペレーターが男性で、下回りの仕事が女性なのはダメだと言われたよ」(O先輩普及員)
「それは、誰の話でしょうか?」(私)
「生改(※)の人達の言葉だよ。そもそも、夫婦間の取り決めまで、普及が口出しする理由がわからない」(O先輩普及員)
「そういえば、地域性があって、コンバインを運転する女性が多い地域があると聞いたことがあります。そういうことでしょうか?」(私)
「夫が外で仕事をしていて不在なのだろう。それ以前に、どちらが機械のオペレーターをするかどうかまで普及で議論する意味がわからない。農業労働の軽減だったら、別のアプローチがあると思う。だいたい、オペレーターの方が楽だと考えることが短絡的だ。マニュアルシフトのトラクターを一日運転すると、膝は痛くなる。肉体的な苦痛を知らない人の発言だ」(O先輩普及員)
「管内はスイカの産地なので、収穫から箱詰めまでを例にとると、おおよそ7、8回スイカを持ちかえていることになる。自宅で作業をすると、当然のことながら夜仕事になるわけだ。これは大変だよ。女性は家事を担っているから、とくにね」(O先輩普及員)
「確かにそうですね」(私)
「共同機械選果施設を作って共選共販体制を構築した産地が、生き残って行くことになるのかもしれない」(O先輩普及員)
*****
先輩普及員と会話した頃は、農業経営は雇用労力を活用した規模拡大の時代だった。明確な根拠はないが、その当時、雇用労力は費用の面での課題はあったが、無尽蔵に確保できると考えられていた。同時に、稲作や果樹においては、繁忙期の農作業は、一族こぞって農作業を手伝う(援農)気運が農村には残っていたと思う。
現在、労働力不足は深刻だ。そんな中にあって、労務管理を鮮やかにこなしている女性が多くなったことに気づく。毎日、100名以上のパートの勤務シフトを回している驚くべき女性もいる。ここ数年、農家を感じさせない農業女性が増加した。もちろん、農家生活を看板にしたビジネスをやっている女性もいるが、それは、一昔前の農家生活とは違った意味合いのものだ。
AI、IoTとスマート農業・・・ドローンやアシストスーツなど・・・、普及活動の現場の実証の記事が目につくようになった。担い手(労働力)不足を背景にした技術革新は、圧倒的なスピードで進展しそうな気配がある。平成を駆け抜けた農村女性は、令和の農業への橋渡し役だったと、後で理解されることになるのだろうか? 同時に、農家という言葉が語られなくなる時が来るかもしれない(農村は残るかな?)。
勘と経験を至上のものとした昭和の普及員がフェードアウトしていくようで、少し、寂しい気がする。
※ 生改 :「生活改良普及員」の略称。
生活改良普及員とは:
農業改良と生活改善は、普及事業の両輪として発足し、農山漁村の生活改善を指導した地方公務員。家庭管理、保健衛生、衣食住などの家政学をベースにした指導を行うことによって、農村生活に関する全般の近代化をおこなってきた。現在は改良普及員(普及指導員)に統合されている。
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。