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ときとき普及【11】

2019年5月29日

平成の農村女性(その2)


やまがた農業支援センター 阿部 清   


 時に、農協の若妻組織の研修会で話をすることがあった。

 若妻の皆さんは、Tシャツやシャツ、ジーパンやジャージといった、ラフな服装で参加し、結構な比率で子連れが多かった。
 まれに、よそ行きの服装で参加する女性もいた。ひときわ目をひいたため、若妻会の代表者にたずねた。代表者がいうには、「彼女は新入り(新婚)」。姑から、「ちゃんとした服装で行きなさい」とのアドバイスを受けたからで、「ちゃんとした服装=作業着ではない服装」を取り違えて、「=よそ行きの服装」と理解したに違いないと答えてくれた。


column_abe11_2.jpg 研修会が始まり大勢集まっているとビービー泣く子はいないが、グズる子供が出てきた。
「先生、すみません」(しきりに恐縮する若妻組織の代表者)
「大丈夫です。なれていますから」(本当は、気になる私)

 研修の最後には、座卓の上を走りまわる子供も出てきた(たしかに、子ども達にはつまらない話)。私の想像をはるかに超えると同時に、座卓上の湯飲み茶碗をけとばすのではないかと心配になった。


「大丈夫でしょうか?」(逆に心配する私)
「いつものことですから、心配いりません」(若妻組織の代表者)
「いつものことですか」(・・・これは発言していない私)


 ほとんど用をなさない研修会での話が終わると、いつも茶話会になり、決まって舅や姑の話で盛り上がった。
「うちでは、わが家の経営に嫁が口を出すことは、絶対できない」(若妻A)
「わかる」(ほとんど全員)
「私達(若夫婦)の寝室は2階にある。早朝、姑が階段に腰を下ろして、私が起きるのを待っているのはプレッシャーになる」(若妻B)
「夕飯の支度を精一杯急いでいるのに、姑はテレビをつけながら、足を伸ばして新聞を読でいるのが腹立たしい」(若妻C)
 などと、次第に過激な発言になってくるのが常だった。
 最後には、「先生、どう思う?」と、決まって会話への同意(意見)を求められた。


*****


 この頃、普及所では農村生活担当(山形県の旧生活改良普及員の4分野を総括した呼称)の改良普及員は家族経営協定締結をすすめていた。

「阿部さ~ん。地域主任として家族経営協定に協力してもらいたいのだけれど?」(リストを提示するベテラン農村生活担当のS改良普及員)
「農業委員会でも経営協定を進めていますね? パートナーシップですか?」(私)
「それが理想だけれど、一歩、いや二歩手前かな。締結することになったら締結式をやりたいのね。できれば、農協の組合長さんと市役所の農林課長さんに立ち会ってもらいたい」(農村生活担当のS改良普及員)
「具体的になったら、日程を調整してみましょう」(私)


*****


column_abe11_1.jpg 当時の普及所で進めていた家族経営協定は、おおげさに言えば、若夫婦の役割を明確に位置づけしようとするものだった。経営分担や休日を規定するほか、家事や育児なども明文化したものだった。協定によっては報酬を規定するものまであった。

 現場の家族経営は、経済面や労働面では目一杯のケースが多かった。その必要性は十分理解できたが、農業経営が変化しない限り、協定を締結したとしても、実態は従前と変わらないのではないかとの不安があった。農村生活担当のSさんも、この課題は理解(心配)していたと思う。

「家族経営協定を締結したからといっても、それがゴールではないのよ。家族の気づきを期待しているけれど・・・」(農村生活担当のS改良普及員)
「変化がないと意識しにくいようなので、ここがスタートラインですね」(私)
「農家で、一番割を食うのはお嫁さんだから」(農村生活担当のS改良普及員)
「姑も昔はお嫁さんだったのに?」(私)
「それぞれ、個人差が大きいよ」(農村生活担当のS改良普及員)
「そういうものですか」(私)

 実際、私が出席した協定締結式のほとんどは、限りある農業所得や労働時間を家族で分配するという張り詰めた雰囲気や、何ともいえない切なさが会場にあふれていたものだった。


*****


 若夫婦の親世代を普及対象にすることが多かった私は、ニラを導入して孫の学費をまかなったとか、たらの芽を植えて夫婦で外国旅行した話などを聞いたことがあった。
 新しい農業部門を開始する事例は、子育てが一段落する50代の女性が多かったと感じていた。少し前、農業に6次産業化の波が起こった時も、最初に意思表示したのはこの年代の女性だった。

 最近、団塊ジュニアの年代で、性別に関係なく、新しい農業を模索する例が多くなった。行く末は山あり谷ありだと思うが、自らが起業や部門開始することにより、かつて叶えられなかった良いパートナーシップを築いていくのは確実だと感じている。

あべ きよし

昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。

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