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2019年4月26日
平成の農村女性(その1)
平成2年に、普及係長として県庁に異動になった。
普及係長としての日常は、普及所の次長さん達からの苦言、忠告の電話でスタートするのが日課となっていた(それが何故、朝なのかはわからない)。電子メールなどなかった時代なので、電話で伝えられる普及の情報が、普及係としては貴重で、心待ちにしていたものだった。
*****
「阿部係長、話がある」(H課長)
「課長、何でしょうか?」(ドキドキする私)
「生活改良普及員の専門分野の話が出ていることは知っているね」(H課長)
「農家経営、農産物活用、農業労働、農村環境の4分野のことですか?」(私)
「その4分野の概要を周知するには、各普及所の生活改良普及員との直接の意見交換が必要だと思うので、会議開催をY主任専門技術員(生活改善担当)に指示している。Y主任専技に同行して概要説明をやってもらいたい。ついでに、生活改善実行グループへの今後の対応についても意見を聞いて欲しい」(H課長)
「生活改良普及員の方々との対面は、私には荷が重過ぎます」(回避したい私)
「これは指示だから」(H課長)
「わかっていると思うが、生活改良普及員の採用が難しくなっている。しばらくは大丈夫だけれど、近い将来、避けて通れないかもしれない。ただし、このことは説明しなくてもよろしい」(H課長)
*****
普及所の会議室。数名の生活改良普及員と車座になって、意見交換会を始めた。
「家政学をベースにした生活改善事業は、現在、その活動範囲が広くなるに従って、ベースとなる学問分野は広くなるといわれています。農業改良普及員の専門分野を生活改良普及員に置き換えたのが、今回の4専門分野の考え方だと聞いています。同時に、核心として取り組んでいる生活改善実行グループへの普及指導についても、考えなければいけないと思います」(私)
ひとしきり説明を行った後、・・・・・
「阿部係長。唐突に生活改善実行グループについて説明がありましたが、何か問題があるのでしょうか。たとえば、もう役割を終えてもいいということでしょうか?」(ベテランK生活改良普及員)
「とくに問題があるということではありません。4分野の専門と関係があるので説明しただけです」(質問の趣旨が理解できない私)
「係長さん、グループ員への指導は止めることなどできません」(間違いなく怒っているK生活改良普及員)
「・・・・・」(私)
「生活改善実行グループは、私の命なのです」(K生活改良普及員)
「・・・・・」(おぼろげにKさんの発言を理解した私)
Y主任専技のとりなしで、その場は納まった。40年以上継続している生活改善事業の普及フレームを見直すというセンシティブな内容を、十分な配慮なしで意見交換を開始したのは、私の思いのなさが原因だったのかもしれない。後日、別の普及所で開催した意見交換では、多くの生活改良普及員から冷たい視線を浴びせられているのを感じた。「悪い奴が行くから注意して」との回状が出されていたのだろうと考えた。数か所の普及所で実施した後、意見交換のミッションは中止になったのであった。
この数年は変化が大きかった。
この頃に農林水産部の企画、調整担当に異動した私は、深夜業務が日課になっていて、時折、普及がとても懐かしく感じるのだった。バブル経済は既に終焉し、平成5年は忘れもしない、100年に一度という未曾有の大冷害だった。年末には、ガット・ウルグアイラウンド農業合意の受入などがあり、総理大臣の未明の記者会見のテレビ放映を、リアルタイムで取りまとめするのも業務だった。
*****
その年の4月、希望どおり、元の普及所へ異動になった。
「阿部先生、おかえりなさい」(生活改善実行グループ員のKさん)
「・・・・・よろしく・・・・」(どう返事していいかわからない私)
とまどいながらも、かつての生活改良普及員の方達との意見交換を思い出していた。思いがけない生活改善実行グループ員のKさんの挨拶に感激し、こみ上げて来るものを抑えるのが大変だった。
Kさんは生活改善実行グループの主要メンバーで、農山村でのご夫婦の生き方にふれるにたびに、特別な思いを抱いていた。Kさんは、結婚後にご主人の親と養子縁組をしたことから、「離婚しても兄妹だよ」と、笑いながら話していたこともあった。農村における女性の地位の向上などの議論を超越したような、存在感のあるご夫婦だった。
うれしさと同時に、出戻りの普及員に、一瞬にしてやる気を満たしてくれたのは、生活改善実行グループ員のKさんの挨拶だったことが鮮明に思い出される。
さて、団塊ジュニアの人たちは、ほぼ男女差のない教育を受けている。この世代が農業・農村の主役になれば、Kさんのような農村女性が増加するのだが、もう少し先のことであってもそれは確実だと、当時は感じていた。
●生活改良普及員とは:
農業改良と生活改善は、普及事業の両輪として発足し、農山漁村の生活改善を指導した地方公務員。家庭管理、保健衛生、衣食住などの家政学をベースにした指導を行うことによって、農村生活に関する全般の近代化をおこなってきた。現在は改良普及員(普及指導員)に統合されている。
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。