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2018年9月28日
たらの芽の巻(その3)
普及所管内のたらの芽の栽培面積が100haを越えた頃、主産地の農業者と、たらの芽の次の品目探しの研修に出かけた。
ある年の8月下旬の午後だった。O町の山間の集落を訪ねると、予想したとおり、ワラビ園が広がっていた。
「これはすごい・・・・・」(農業者全員)
同行した農業者が圃場に入ると、人の姿が隠れるぐらいにワラビの葉が繁茂していたのだった。滅多に見ることができない光景だった。
説明を始める園主Aさん。
「ここは、昭和40年代に集団離村した集落だ。自分の場合、離村が正式に決定された時に、近くに生育していたワラビを植えることにした。離村してから20年以上になるかな。夏山冬里というのか、自分の場合、ワラビの収穫時期は山に戻って生活している。ワラビは、この地域に適していて満足している」
「系統があると思いますが、植栽した当時から吟味していたのですか」(私)
「自生していた系統は品質がよく、注目していた。現在、おおよそ2系統かな。皆さんが先ほど見ていたワラビは大型になる系統で、腰を曲げなくとも収穫できる」(冗談交じりに説明する園主Aさん)
「品質は大丈夫でしょうか?」(やや疑問を持った私)
「大きい系統は、ややブルームが強いような気がする。品質は、もう一つの系統の方が好まれると思う。それに、大型になれば良いというものではない」(少し本気で説明する園主Aさん)
右 :成園化したワラビ畑
後日に訪問した際に、大型系統は、株養成期間として重要な時期に茎葉が倒伏するという状態を、Aさんは「株が消えていく」と表現していた。
Aさんのワラビに圧倒された農業者達だった。
「ワラビはこの次に考えるということでいいのではないか?」(農業者の一人)
「もったいない気もするが、この産地があまりにも素晴らしく、競争しても勝てそうにないので、見送りに賛成だ」(ほとんどの農業者達)
左 :ワラビの根茎
ワラビ導入に二の足を踏んだ理由は別にある。
一つは、ワラビの繁殖技術に育苗技術が開発されていなかったため、定植時期が限られていたこと。もう一つは、販売価格は低いが20年以上の連年栽培が可能なワラビの価値観が、当時のたらの芽産地にマッチングしなかったことによる。
・・・数年後に再び園主Aさんを訪問した私・・・
「Aさん、私は普及所から研究機関に異動になりました。中山間対策としてワラビの技術開発をやりたいので、系統を分けてもらえませんか?」(真剣な私)
「ワラビなんて、そんなに魅力がないと思うけれどね」(半信半疑なAさん)
「O町の仲間も栽培しているので、他の地域に広げるのは(私の)本意ではないが、中山間対策のためだったら、欲しい分だけ畑から掘り上げてもかまわない」(鷹揚なAさん)
「ありがとうございます。山形県の中山間地域は、どこも雪深くて、農業するには、ひと工夫もふた工夫も必要です。植栽後に連年栽培が可能なワラビは、その後のトラクター等の農業機械が不必要で、手間と軽トラックがあれば収穫や栽培管理が可能です。たらの芽の農業者は、軽トラックが運転できる年齢までが現役だと豪語しているので、間もなく、ワラビの良さに気づいてくれると思います。それでも、ワラビの定植時期が限られているという課題があるため、この部分を技術開発したいと考えています」(こんな説明をしたと思い出す私)
それから数年後、研究員のOKさんが中心になり、技術開発が急ピッチで進み、同時に、ワラビの栽培はたらの芽産地に広がることになった。ただし、畑地栽培ならではの品質低下を解消する技術開発が不可欠で、遅からず問題になるのではないかと心配していた私だった(心配は杞憂ではなかった)。
中山間対策は人口減少対策と同じで、事象としては、昭和40年代の集団離村にも通ずる部分がある。その後の職場で、自分が、これらの政策課題に関連した業務に取り組むことになるとは考えも及ばなかった。
たらの芽を導入した中山間地域の農業現場では、栽培者の平均年齢は高いが活気にあふれていた。そこに居住する人材を活用するという、伝統的な普及活動だったと思う。人材活用は労力問題であり、「良い手間、悪い手間」に収れんしそうな予感があり、長く、キーワードとして持ち続けていた私だった。
昭和30年山形県金山町の農山村生まれ、同地域育ちで在住。昭和53年山形県入庁、最上総合支庁長、農林水産部技術戦略監、同生産技術課長等を歴任。普及員や研究員として野菜、山菜、花きの産地育成と研究開発の他、米政策や農業、内水面、林業振興業務等の行政に従事。平成28年3月退職。公益財団法人やまがた農業支援センター副理事長(平成28年4月~令和5年3月)、泉田川土地改良区理事長(平成31年4月~現在)。主な著書に「クサソテツ」、「野ブキ・フキノトウ」(ともに農文協)等。