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2014年12月19日
「江戸東京野菜」圃場見学
近年、全国各地で注目を浴びている「伝統野菜」。古くから種をとり、命をつなぎ育てることで、その地にあった野菜として確立され、その土地の食文化を支えてきた貴重な野菜でした。しかし、高度成長期以降の時代の流れにより、次々とその姿を消していってしまったそうです。大量生産が求められ、収量や生育の安定する一代交配種(F1種)が主流となったことが大きな理由です。
野菜に興味を持つようになるまでは、「固定種」「F1種」ということばさえ知らずにいた私は、店頭に並ぶ形の揃った美しい野菜、季節を問わず手に入る野菜を見ても、それが当然のように思っていました。もちろん今でもその恩恵を受けています。
しかし、奇遇にも、自宅の近くの畑で伝統野菜の一つ「江戸東京野菜」の復活に取り組まれている農家の方がいると知って俄然興味を抱き、江戸東京野菜コンシェルジュという資格を取得し、このたび圃場も見学させていただきました。
伺ったのは西東京市で江戸東京野菜を栽培している、矢ヶ崎農園さん。この季節に数多くの江戸東京野菜を栽培しているとのことで、実際に野菜を見学させていただきつつ、江戸東京野菜の特徴、種の維持、収穫のタイミングなど、お話を聞かせていただきました。
左 :根っこの先までコロンと丸くかわいい馬込三寸ニンジン
右 :大きなサイズの下山千歳白菜
現在、江戸東京野菜は40種類の野菜が認定を受けています。徳川吉宗が鷹狩りに小松川を訪れ、昼食に食べたすまし汁の冬菜を気に入り命名したという「小松菜」。新鮮な野菜の少ない早春の青物として江戸の庶民が珍重した、茎まで白い「亀戸大根」。信州高遠藩の内藤家の中屋敷があった内藤新宿(南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷)で栽培され、宿場の名物となった「内藤かぼちゃ」など、かつての地名のついた野菜が多いのが特徴です。
また、江戸時代に参勤交代があったからこそ、全国各地の野菜が江戸へ集まったこと、明治時代以降は、欧米や中国大陸からさまざまな新しい品種の野菜がいち早く入ってきたことなど、江戸時代から続く日本最大の都市、「東京」ならではのストーリーが数多くあります。
江戸から昭和にかけて、ここ東京に暮らしいた先人の生活に思いをはせつつ、「江戸東京野菜」を味わうのも一興です。
野菜ソムリエ・アスリートフードマイスター。「楽しく、美味しく、健康な生活を!」をコンセプトに野菜についてのコラム執筆、セミナー開催、レシピ考案などを行っている。ブログ「最近みつけた、美味しいコト。。。」で日々の食事メニューを発信中。