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2024年10月 9日
虫のふん――もしかしたらお宝?
農家にとって、害虫対策は重要な仕事だろう。大量にある作物だから、少しぐらい葉を食べられてたって、どうってことないさ――なんて言う人はあまりいない。まったくいないと言い切れないのは、環境について考える機会が増え、商品となる収穫物に支障がない範囲なら許してやろうという考えかたをする人もいるからだ。
数十年も前に、農業試験場でもそんな研究をしていた。農薬代もばかにならない。だったら、食害がどれくらいなら費用対効果の許容範囲なのか、そのボーダーラインを探ろうとした。
害虫ではないが、鳥のふん害は一般の人からの反発も大きい。日常生活にかかわる被害もあるからだ。臭くてたまらん、洗濯物が汚されるといった苦情が役所に殺到すれば、行政としても何らかの対応をしなければならなくなる。
その一方で、コウモリのふんは肥料になるからとお金を出して買う人がいる。カワウの大きなコロニー(集団営巣地)があった地域では、そのふんを集めて〝ふん立〟小学校を建設したと語り継がれるエピソードがある。
右 :これはゴリッパ! ハクチョウのふん。けものだって脱帽しそうだ
暑い、暑いとぼやいていてもしかたがないので、余裕がある日には散歩に出る。いつもの田んぼ道を通り、雑木林やサイクリングロードとして整備されている川べりの道を歩く。すると思ってもみなかった虫や草木に出くわすから、同じコースでも楽しめる。
前から目をつけていた1本の木がある。おそらくタブノキだろうと思うのだが、その木にアオスジアゲハがよく飛んでくる。見ているとおしりを曲げているので、卵を産んでいるのだろう。
そう思って葉を見ると、卵がある。若い幼虫がいれば、もう少しでさなぎになるような終齢幼虫がいる。さなぎの殻も見つかる。1本の木で成虫から卵、幼虫、さなぎと見られるのだから、虫好きにとってはなんとも便利な木である。
木が生え、葉が茂り、そこにチョウの幼虫がいれば地面にはふんが転がっている。
......ハズなのだが、いかんせん、下草がびっしり生えているので、ふんを探すのに根気が要る。そこまでしなくても、アオスジアゲハならわが家のシロダモもよく利用するので、ふんの数個を見るのに必死になることもない。
左 :アオスジアゲハの終齢幼虫。独特の「顔 」をしている
右 :休みなくはねを動かしながら、せっかちな吸みつをするキアゲハ。だれも横取りしないのにね
というわけで散歩人は、何枚かの写真を撮っただけで前に進む。
その道にはキアゲハもたびたび姿を見せ、せかせかと飛び去っていく。
ストローのようなくちで小さな花の蜜を吸うのだから、数をこなしたいのだろうか。それにしても、落ち着きのないチョウである。
もっとも、そうしたチョウを観察する方もかなりのせっかちなので、やはり何枚かの写真を撮ると、その場をそそくさと立ち去る。
そのあと、畑をまたぐようにして架かる橋を渡った。
と、そこにあったのが大量の虫のものとおぼしきふんだ。
美しい。
そう感じた。
橋の端にはケヤキやムクノキ、サクラ、コナラなどの木の頂点部分が突き出している。橋を渡りながら、そうした樹木の葉にも何かいるのではないかと見るのがいつもの散歩の決まり事だ。
しかしその時は、足元のふんに目を奪われた。円にたとえれば直径十数センチのふんの散らばりが、あっちにもこっちにもある。数メートルにわたって、ふんがあるのだから、気になって当然だ。
ひとつずつは俵形で、チョウか蛾のものだとわかった。それにしても多すぎる。多くてひとつずつきれいに乾燥しているので、美しいと思ってしまう。
さればとて頭だけ橋の上に出ている木を見ると、幹の様子からしてサクラだとわかった。その木の下あたりに、ふんは集中していた。
左 :転がっている粒をよく見たら、虫のふんだとわかった。俵形をしていて、木のタネのようにも見える
右 :正体不明のふんがあった上を見たら、丸裸になったサクラの木。ということは......と推理する
まだまだ暑いが、季節はとりあえず、秋である。立秋はとうに過ぎ、秋分の日からもう何日も経っている。そのころのサクラとくれば、とっさに思いつくのがモンクロシャチホコの幼虫だ。
シャチホコガ科の蛾の幼虫は、しゃちほこ姿勢を見せることで知られる。しかし、モンクロシャチホコは体をそらせても、しゃちほこには見えない。それでもそう呼ばれるグループに属するのだから、文句を言ってもしかたがない。そのあたりではオビカレハも見かけるから、まずはふんをまき散らした主を探さねばなるまい。
ところが、それはどうやら難しいことがすぐにわかった。葉がない。おそらく、すべて食べられたのだろう。
それでも証拠が欲しい。その場から離れるが、少し先にもサクラの木はある。そこを見れば居残り組に出会うかもしれない。
だがそれも、無駄だった。葉はあったが、ふんがない。小さな俵はひとつも見当たらなかった。
証拠なしに、そのふんはモンクロシャチホコの幼虫が落としたものであると断言できないが、そこはまあ、アマチュアということで許してやってくださいな。
右 :綱渡りならぬ枝渡りをしているオビカレハの幼虫。いかにも「毒ありますぜ」的な毛虫だが、その心配はないとされる。でもねえ......って気になるけど
これまた自分では試していないのだが、モンクロシャチホコの幼虫は美味であるらしい。実際に食べた人が何人も報告している。サクラ風味は、桜もちでなくても味わえるようである。
しかもモンクロシャチホコの幼虫のふんは、良香の「虫ふん茶」としても評判が高い。それが大量に手に入るなら、試してみてもいいように思えてくる。
ではさっそくと採取すれば良かったのだが、その時は確信がなかったので素通りした。しかもその晩、予期せぬ雨が降った。あれだけ乾燥していたふんもおそらく、水分をたくわえたことだろう。そうなると、拾う気もうせる。
1匹も幼虫がいなかったということは、もしかしたら殺虫剤で退治されたあとだったかもしれない。
薬剤の種類や散布時期がわからないと、残留性に不安がある。
ということで、これまたいつものように、また今度となった。
左 :モンクロシャチホコの幼虫。どう見ても毛虫だが、毛を焼いてから食べると、うまいらしい
右 :モンクロシャチホコの成虫。これはこれで、なかなか美しいと思いませんか?
カブトムシやダンゴムシのふんを活用しようという農家がたまにいる。コオロギが先行したように、食用昆虫もちょっとしたブームになりつつある。カイコのふんで布を染めることがあれば、美肌になるからと塗りたくる女性もいた。そんなことも考えると、モンクロシャチホコの幼虫のふんは、未利用資源のひとつなのかもしれない。
それが広く認知されるかどうかは、今後の研究にかかっている。消費者の判断に左右される。
芋虫・毛虫は苦手だが、それでも彼らのふんは商材としての可能性を秘めているように思うのだが、さて、どうなんだろうね。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。