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きょうも田畑でムシ話【122】

2023年5月 8日

ヤノクチナガオオアブラムシ――長すぎるくちは有用の長物か  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 さて、もう寝ようと思った時だった。
 部屋の明かりは消していたが、雨戸を少しだけ開けているので、月明かりがぼんやりと射し込む。
 ――ん?
 布団の上、ちょうど胸のあたりに何かの気配を感じた。黒い小さな影のようだった。
 小心者のぼくは一瞬、モノノケかと思った。だが、さすがにそれはないだろう。
 すこし体を起こすと、そいつは確かに布団にのっかっていて、ぼくに気づいたのか、さささっと動いた。
 手の届くところにライトのスイッチがある。ポチッとした。
 明かりを浴びると、あっと言う間もなく、たんすのすき間にすべり込んだ。はっきり確認できなかったが、「油虫」のようだ。
 ――えっ。油虫?
 きちんと考える余裕がないと、ひとは無意識に、幼いころ慣れ親しんだ名前を思うのだと知った。
 ぼくが生まれ育った名古屋市で「油虫」といえばゴキブリのことだ。その呼び名で通す地域は多いから、特に珍しいわけでもない。
 それでも「油虫」という名前を最初に口にした人は、正直者だ。いかにも油ぎったはねを持ち、油紙を思わせる。それをうまく表現している。
 現代社会で油紙を見ることは滅多にないが、ぼくが子どものころはまだ見かけた。もう半世紀以上も前のことである。


tanimoto122_1.jpg 深夜の油虫逃走事件は警察に届けることもなくうやむやになったが、ヤツが動きだしたのは日増しに気温が高くなっているからだろう。
 野外に出れば、ゴキブリではない本家のアブラムシがうじゃうじゃといて、あっちの草、こっちの木の汁を吸っている。
 道端に生えるヤハズエンドウ(カラスノエンドウ)にはいつ見ても感心するほど多数のアブラムシがくっついている。なんともいえぬ混雑ぶりで、狭い範囲に寄り集まり、わき目もふらずに吸汁する。
 それにしてもあんなにくっつく必要があるのか。芽の先端の方がうまい汁にありつけるとしても、そんなにぎゅうぎゅう詰めになる必要はあるのかというのが以前からの疑問だ。
右 :めぼしい虫が見つからないときでも、アブラムシだけは裏切らない。甘露を求めるアリがいてもいなくても、なんともありがたい?


tanimoto122_8.jpg アブラムシは日本だけで700種はいるというし、なんだかどれも似通っている。素人に認識できるのは色の違いぐらいのものである。だからこれまで、アブラムシの名前をきちんと調べようと思ったことはない。
 わが家の菜園では毎年、小松菜を育てる。春になるとそこにアブラムシがやってきて、チューチューと汁を吸っている。音は聞こえないからまったくの想像だが、あの注射針のようなくち(口吻)を見ると、そうとしか思えない。
 よく見れば、お尻から子虫をひりだし産み出しているのがわかる。それでもくちは茎にぶっ刺したままで、わき目もふらず一心不乱に甘い汁を吸っている。
 搾取されてばかりでは悔しい。だからといって人間がその汁を吸っても、甘いと感じることはないだろう。あんなものでも彼らには、一種の麻薬のような魅力的な食料なのだろうか。
上 :アブラムシだって、時期や種によっては卵を産む。だが、よく目にするのは中央の個体のように直接、幼虫を産むシーンだ


tanimoto122_3.jpg アブラムシといえばアリとの共生生活がよく話題にされるが、ヤハズエンドウで見ていると、近づくアリを追い払うように後ろあしを動かすものもいる。
 アリがアブラムシのお尻をつつくと、「甘露」と呼ばれる甘い汁を出す。そのお礼にアリはアブラムシを外敵から守るそうだが、アブラムシに感情があれば、機嫌の悪いときもあるはずだ。あれだけ密集していれば、それだけでうっとうしいだろう。そこへアリがちょっかいを出したら、追い払うものがいても不思議はない。
 だがそれはもちろん、人間である自分がそう見るだけで、本当のところはわからない。
右 :ヤノクチナガオオアブラムシのおしりから出る甘露をなめるアリ。出るというより、出させているのだけどね


 これは何だろうと思いながら、ほったらかしにしてあるものがぼくには多い。
 アブラムシもそのひとつで、虫が少ない冬の間にたびたび見かけたアブラムシの一種もそうだった。
 ヤノクチナガオオアブラムシというそいつは、名前の通り、くちが長い。それなのにもう何年も前の夏、初めて見たときにはそのことにまったく気づかなかった。
 いまになって思うとそれも不思議なのだが、過去に撮った写真をぼーっとながめていたら、やたらとくちの長いアブラムシだということがわかったという、お粗末な話である。


 それから何年か経った冬、ケヤキの幹にできたアリのトンネルである「蟻道」をなにげなく見た。これといった目ぼしい虫も見つからず、しょげていた日のことだ。
 写真でも撮っておくかという軽い気持ちでファインダーをのぞくと、崩れた部分があった。だれかが壊したのか、荒天でそうなったのか。とにかく、その部分だけ幹がむき出しになり、ゼリービーンズ様の物体が見えた。
 しかも、いくつも。それがヤノクチナガオオアブラムシの卵を見た最初だった。
 となると、ふ化したあとの姿が見たい、長いくちの写真をしっかり撮りたい、といった欲がわく。
 そしてこの春、今年こそもっと親しく付き合おうと、足を運んだ。
 もっとも、彼らがそう思うことはないだろう。なんともうっとうしいヒマ人間が現れたものだとぼやいているにちがいない。


tanimoto122_9.jpg  tanimoto122_5.jpg
左 :蟻道は木の幹に泥を張り付けたような感じ。その中に、ヤノクチナガオオアブラムシがいる
右 :冬場に見たヤノクチナガオオアブラムシの卵。ビーンズのような不思議な形をしている


 くちが長い虫といえばまず、ビロードツリアブを思い出す。春先にこの虫を見ると、何かいいことがある年になりそうな予感がするのだ。
tanimoto122_6.jpg 暖かそうな毛で覆われた丸っこい体はなんとなく、「クマのプーさん」を思わせる。
 スズメガの仲間も、くちが長い。昼間飛ぶホウジャク類は「蜂雀」の名前から想像できるように、ハチドリのように空中でホバリングをしながら、長いくちを伸ばして蜜を吸う。
 ふだんはぜんまいみたいに巻いて格納しているが、いくらなんでもそこまで長くする必要があるのかと気の毒にも滑稽(こっけい)にも思えてくる。長すぎる道具は持て余すように思えてしかたがない。
 かのチャールズ・ダーウィンが特殊なランからその存在を予言したというキサントパンスズメのくちの長さはなんと、30cmを超す。そこまでいくと、驚きすぎて何も言えない。
右 :ビロードツリアブもくちが長い。毛皮に包まれたような大きな体と不釣り合いなところが魅力だ


 そういう異国の虫を簡単に見ることはできないが、クチナガオオアブラムシはそうでもない。
 というわけで何度か、蟻道があるなじみのケヤキの木に向かった。その木には毎年、蟻道ができるし、クチナガオオアブラムシの卵も見ている。
 すると、いた。くちの長いクチナガオオアブラムシが。
 でもどこかヘンな感じがする。長いのは確かだが、これはくちか?
 そんな疑問を抱かせる、長い針を抱えたアブラムシがいた。
 クチナガオオアブラムシであるのは確かなのだが、どこかちがう。


 しばらく観察して、その理由がわかった。それは頭からではなく、おしりから突き出している。
 ――ははあ、これはメスの産卵管だな。
 単純なぼくはそう考えた。
 アブラムシには単為生殖の時期と有性生殖の時期を持つものが多い。このアブラムシはどうだか知らないが、産卵管があってもいいだろう。

tanimoto122_10.jpg だがしかし、アブラムシにスズムシやコオロギが持つような長い産卵管はあったっけ?
 そう考えると、いま目の前にいるコイツの長い槍のようなものはなんじゃろね。
 重さが測れないからなんともいえないが、あのからだからすると、その長いものの重量もかなりのものだろう。
 それを樹皮にぶっ刺して、チューッと汁を吸う。長ければ深いところまで届きそうだから、「へへん。並みのヤツらにゃあ、この旨味は味わえんだろうなあ」と優越感にひたれるかもしれない。
 でもそれは、くちの話だ。とすると、これは何なのかと堂々めぐりとなる。
上 :おしりにある産卵管にしか見えないのに、本当はくち。信じられますか?


 そのときやっと、わが鈍い頭にもある答えが浮かんだ。
 ――そうだ。これはやっぱり、くちだ!
 ここでまた吹っ飛んで思い出したのが戦国武将だ。戦国時代にはたびたび、長い槍と短い槍のどちらが有利かと議論したという。それぞれに理屈はあるのだろうが、このヤノクチナガオオアブラムシのそれはあまりにも長すぎる。ざっと見た感じ、体長の2倍はあるのだ。
 となれば、移動するだけもじゃまになる。それで「いいこと思いついたわい」ということで腹の下をくぐらせ、おしりの方に向けるアイデアを思いついたのではなかろうか。それが産卵管を思わせた。
 とまあ、これはぼくのノーテンキな考えだが、真実はどうだろう。
 それはともかく、現実にはそうなっている。だから初めて見たとき、そんなにもくちが長いアブラムシだと気づかなかったのだと自己弁護の理屈が成り立つ。
 これで一件落着だ、自分なりには。


tanimoto122_2.jpg ヤノクチナガオオアブラムシのまわりにはアリが群がる。しきりに、おしりをつついて、甘い汁を出せと促す。そうやって甘露を得たのか、腹が蜜でふくれたような個体もいる。
 長い槍を抱えたヤノクチナガオオアブラムシを1匹だけ移動させ、草の茎の上で横から撮った。腹の下をうまく、くぐらせていた。
 今回はそれが確かめられただけでも大きな進歩だ。油虫でこのカンドーは味わえない。
 それにしてもたんすの陰に隠れたゴキブリは、今夜もぼくの布団にやってくるのかなあ。
 出てきたらヤノクチナガオオアブラムシの槍で突いてやるからな!
右 :横から見たヤノクチナガオオアブラムシ。長いくちは腹の下をくぐらせておしりの方に出していた

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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