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2022年10月 7日
秋の鳴く虫――灯台下暮らし
いつもの田んぼに向かう途中、道路の反対側で虫の声がした。あの美声はエンマコオロギだ。
エンマコオロギは、見かけでずいぶん損をしている。うっかりすると、ゴキブリと間違える。
夏の夜、道路にいたゴキブリをクワガタムシとまちがえて手を出そうとしたことが数回ある。エンマコオロギは、そのクワガタムシよりもずっとゴキブリに似ている。
虫の名前で「オオ」とか「オニ」とか付けば、その種類の中で最も大柄であることを表す。オオクワガタ、オニヤンマなどがその例だ。
ところがエンマコオロギにはなんと、閻魔さまが付いている。おっかない。へたに手出しすれば、のちのち大変な災いに巻き込まれそうである。
左 :エンマコオロギのメス。はねの模様が単調なせいか、オスよりもゴキブリ感が強い
右 :オニヤンマの「オニ」は「鬼」。つまり、大きいということが言いたい命名だろう
それにしてもなぜ、そんなたいそうな名前をもらったのか。
その理由は、エンマコオロギの顔を見ればわかる。おそらくだれも会ったことがないはずだが、なぜだかそのイメージはすっかり定着している閻魔大王に、どことなく似ているのだ。
しかもそのコオロギ族のエンマさまは、驚くほど美しい声を出す。メスを誘うラブソングはもちろん、闘争の歌、なわばり宣言など数種類の鳴き分けをするといわれる。それがいちいち、人の心に響く。
そんな名演奏家だから、エンマコオロギの見てくれがもう少し良ければもっと愛されたはずだ。そうなればほかのコオロギなど、足元にも寄せ付けなかっただろう。
だが、現実はせいぜい、けんか鳴きや闘いあとの勝利の声を聞くために飼うくらいだ。しかもスズムシのように集団で飼育するのではなく、数匹どまりが多い。
左 :エンマコオロギの顔は閻魔さまに似ているというが、どうだろう
右 :フタホシコオロギの戦い。中央の仕切りを上げると、闘志むき出しで向かっていく
中国から伝わったさまざまな文化の中でも、コオロギの遊びは認知度が低い。中国風にいえば「闘蟋(とうしつ)」「秋興(チウシン)」と呼ばれるコオロギのけんか遊びが、日本に定着したとは言いがたい。
闘士にふさわしいのは、食用や小動物のえさとして養殖されるフタホシコオロギや、エンマコオロギ、ミツカドコオロギだろう。フタホシコオロギの闘いは、見学したことがあるし、自分ではミツカドコオロギで試してみた。なかなか迫力ある闘いぶりだから、そうした遊びに興味があれば興奮するにちがいない。
だが、それは一部の人だろう。コオロギだけではないが、秋の鳴く虫はその声を楽しむものだとされてきた。むかしの日本人はわざわざ野に出て、耳と心に栄養を与えたのだ。
七草だって、春は食べるもの、秋は観賞するものを選んでいる。食べ物に困らない出来秋には、気持ちにもゆとりが生まれる。だから、ここでひとつ虫の鳴く声を楽しもうとなったのか。
ところがそんな秋の鳴く虫たちはいまや、「日本むかしばなし」になりつつある。
わかりやすいのがスズムシだ。もうずいぶん長いこと飼っているが、多くの人が知るスズムシの鳴き声は人工飼育されたものたちの声だ。野生のスズムシの声はめったに聞けない。
いくつかの地域では保護されているものの、守り切れず看板だけになっているところもある。いま暮らす千葉県内某所で鳴き声を耳にしたことがあるが、それももう何年か前のことになった。いまはどうなのか、わからない。
スズムシだけでなく、マツムシ、クツワムシ、クサヒバリ、カンタンなど、秋の夜を彩る虫たちをほとんど目にしなくなった。
ガチャガチャと鳴くクツワムシは実のところ、あまり好みではない。いくらか似た体形の鳴く虫でいえば、キリギリスはまだかわいげがあるが、にぎやかすぎるクツワムシはどうも好かない。それでもあれだけデカいと迫力はあるから、鳴き声はともかく、姿を見たいという気持ちはある。
左 :はねを立てて鳴くスズムシ。まわりにメスが多いせいか、ひときわ力強く鳴いているように感じられた
右 :クツワムシの野生種はずっと見ていない。鳴き声も大げさなので、好き・嫌いの分かれる虫だ
外見はそっくりだが鳴き方がカンタンよりは単調なヒロバネカンタンは、近所のクズの葉で鳴くのを見た。数年前のことだ。とりあえずその後を確かめようと、夕ぐれどきに出かけた。
リューリューと鳴いていた。南方系ながら近年は北上を続けているそうだから、樹上の外来種・アオマツムシ同様に、環境の変化には強いのかもしれない。
左 :ヒロバネカンタン。見た目はカンタンそっくりだが、ひと鳴きが短い。
右 :マツムシの飼育法はスズムシと変わらない。ナスも喜んで食べる
アオマツムシの声もまだ聞く。わが家の前に雑木林があったころは、うるさいくらいの大音響だったが、それもいまはなく、騒がしかったころがなつかしい。公園に行けばまだ鳴いてはいるが、以前のような勢いはないようだ。
アオマツムシは樹上生活者で、基本的に木から降りることはしない。だから、木が切られたらすみかを失う。卵が産んであっても伐採木として焼却されたら、一巻の終わりだ。
それに比べると、厄介者扱いされるクズに頼るヒロバネカンタンは生き延びる確率が高いような気がする。
クズなら、どこにでもある。現にその場所も、繁殖力がいかに旺盛かを見せつけるようにはびこっていた。車がひっきりなしに走る道路に沿って、かなり広範囲に生えている。
どこか撮影しやすいところでヒロバネカンタンの写真を撮ろうと思い、モデルを求めて進んだ。
と、あの声が聞こえたのだ。わが家で毎年鳴いているスズムシだ。まさかと思う足元、地元のしかもご近所にすんでいたとは驚きだ。
飼育する人は多いから、もしかしたら逃げだしたものかもしれない。来年も鳴いていたら、野生だと認めよう。
そう思ったそのとき、今度はなつかしい声が耳をかすめた。
まさか――。
チン、チコチン。
ややあってまた、チンチロリン。
間違いない。マツムシの鳴き声だ!
1度だけ繁殖に成功した。そのときから数えても十数年は経っている。だが、聞き間違えようのない音色である。
うれしくなって、ダメ元で草むらに飛び込んだ。ひと目でいいから姿を見たかったのだが、そううまくはいかない。チンチロリンともチンチコチンとも聞こえる鳴き声だけを頭の中にしまい込んだ。
右 :ヒロバネカンタンを見つけたあと、このすぐそばでスズムシ、マツムシの鳴き声が聞こえた。わが家のすぐ近く。灯台下暗しとはこのことだ
このところ、地元・足元での生き物〝新発見〟が相次いでいる。もちろん、自分だけの発見だ。コガネグモが近所に多産することを知ったときと同じように、あたたかい感じがした。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。