MENU
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2022年8月 9日
タマムシ――たくましき商魂?
昭和の時代、夏が来ると思いだすのは「はるかな尾瀬」「遠い空」だった。いまもどちらも健在だが、個人的には夏といえば虫の商売を思い出す。
そんなとき、たまたま手にした本でドキッとする表現に出くわした。本の中で思ってもみなかった言葉の拾い物でもあるとうれしいものだが、それにしてもこんなのはありか?
そこには、こう書いてあった。
――タマシイを売る商売があった。
映画では悪魔に魂を売るといった話がよく出てくるが、ほんとうにあるとも思えない。しかも読んでいたのは、虫の本である。
びっくりしてもう一度よく見ると、「あった」の後ろには「?」とあった。断定しているわけではなく、タマシイでもなく、じつはタマムシに関するエピソードだった。
右 :夏が来るとミズバショウを思うのは昭和の人間だからか。もっともこの2年間は、まったく見ていない。残念だ
江戸時代、寛政のころというから、1790年代の徳川11代将軍・家斉のころのことだろう。鳴く虫やホタルを捕ってきては売る商売があった。それ自体はまあ珍しいと思わないが、そのころはタマムシが人気商品だったらしい。
当時のタマムシは貴重品といってもいい昆虫で、その理由がまたふるっていた。
昭和の時代には、タマムシをたんすに入れておくと着物がたまるといわれた。金属光沢を放つタマムシはまさに玉のような輝きを持つわけで、黄金をイメージさせることから、お金をたんまり持つお大尽を連想し、だったらこのきらきら虫をたんすに入れておけば福がもたらされて着物もたんと買えるようになる。だからタマムシのいるたんすには着物がたまる。
とまあ、こんなまわりくどい面倒な思考があったのかどうかまったく知らないが、とにもかくにもそうした「タマムシたんす伝説」は令和のいまもときどき耳にする有名な話だ。
左 :ホタルまで売られていた時代があるが、いまは見つけるだけでひと苦労する地域が増えている
右 :きらきらすぎるタマムシカラー。金属光沢という表現を超越している
ところがその家斉さんの時代には、そうではなかったらしい。タマムシをペアで持っていると、良い縁談があるという説があったというのだ。『和漢三才図絵』には女性が鏡の箱に入れておくと媚薬になるよ、といったことが記されている。だがそこに、良縁説は見つからない。
調べてみると、そうしたタマムシは死んだもので、はねだけのこともあったらしい。それを女性たちが、おしろいの小箱に入れていたという。ヨーロッパのスペインゲンセイという昆虫が媚薬に用いられたという話もまた有名で、それが中国に誤って伝わり、日本に流れて俗信となった。
一寸法師につながる小さな神様・スクナビコナをまつる兵庫県姫路市の十二所神社では、ぼくの好きなジャコウアゲハのさなぎが売られていた。だが実はそれだけでなく、小箱に入れたタマムシも扱っていたそうな。そうなると最初の本にあった見出しの「?」は、取り外していい。タマシイは売らなくてもタマムシはたしかに、売っていたのである。
左 :ずっと保管しているタマムシのはね。美しさは変わらない
右 :わが家のジャコウアゲハのさなぎ3姉妹? 現代でも土産物として成り立つのだろうか
脱線ついでにいえば、鹿児島県の一地方には、帽子にタマムシのはねを付ければ帽子が飛ばないという俗説があったという。
それはそれで面白い。ふつうに考えれば、はねを付けたら空を飛べるほどに軽くなるとでも言いそうなのに、そうはならない。まさに、へえ、な話ではある。
日本のタマムシ良縁呼び込み説の起源は、鎌倉時代にあるらしい。当時の宮廷官女たちの間に、タマムシをお守りとして持っていれば、思い人が心を寄せてくれるという俗信があったというのだ。
そんなところから、雌雄ペアのタマムシを保持すれば、もともと美しいはねを持つタマムシがさらにきらめきを増し、思う相手の心を引き寄せるとでも考えたのか。
それが時代とともにどんどん形を変え、いくらかわかりやすい「光り物→タマムシ→黄金→裕福→着物わんさか」という流れができ、知らないうちに、たんすに入り込んだのかもしれない。
もっとも有名な「着物が増える」も、もともとは「衣類に不自由しない」という俗信があってのことだとか。まあ、ビミョーに違うといえば違うかも。
右 :わが家に転がっていたタマムシ。見つけた日はいいことがありそうな気がする。でも、お金は降ってこない
こんな話の主役であるタマムシは、エノキやケヤキ、サクラなどの樹木を利用して育つ。わが家にたびたび飛んできたのは、ご近所にそうした樹木が多いからだろう。
死んだ個体を幾度か、ベランダで見つけた。はねが1枚見つかり、その翌日にまた1枚ということもあった。頭だけ欠けた状態で転がるものもあった。そして、完全な姿でコト切れた個体が現れたこともある。
野山を歩いていて見つけることももちろんあるが、タマムシはきれいなわりに、あんがいアブナイ虫だ。腹と胸の角の部分がとがっているため、注意しないとはさまれてひどい目に遭う。
ぼくはビビリの虫も飼うので、その予期せぬ攻撃を受けて思わず手を放し、せっかく捕まえたのに逃がしたことがある。きれいなバラにはとげがあり、美しいタマムシにも身を守る武器があるということだ。
左 :タマムシが好む樹木の一種、エノキ。実ができたころがもっとも美しいように思う
右 :野外で見るタマムシはとても元気だ。うっかり手を出すと、けがをさせられるほどに
タマムシの幼虫時代は「テッポウムシ」と呼ばれる、これまた名の知れた食用昆虫でもあるのだが、成虫になり、樹木のトンネルを広げて外に出る際にはけっこう苦労するらしい。
タマムシの頭と肩に当たる部分の幅を比べると、肩の方は頭の2倍ほどもある。そのため、外に飛びだすためには肩が通るだけの穴を開けなければならないのだ。
ところが運が悪いと力尽きて穴から出られず、頭をちょこんとのぞかせた格好で絶命するタマムシさんもいらっしゃるとか。それはそれで気の毒だ。愛のキューピッドに生まれ変わることを祈ろう。
とまあ、そんなこんなでタマムシには良縁を招く力があると信じられ、当時の虫売りを野山に走らせた。
いまよりはずっと多かったはずだが、それだけ苦労して捕まえたものが、いくらで売れたのだろう。むしろ、それが気になる。
江戸時代の虫売りの歴史は、そのタマムシ売買の時代を100年ほどさかのぼる元禄時代に始まったとされている。
風流人は野に出かけ、優雅に虫の音を楽しむ。だが、そうもいかない場合がある。それでもせめて身近で声を聴きたい、でも自分で捕りにいくほどの根性はない......といった人々に売りつけてやろうと考えるアイデアマンがいてもおかしくはない。
寛政時代になるとそれがビジネスとして定着し、てんびん棒でかついで売り歩くようになった。よく知られる市松格子の屋台に虫かごをいっぱいぶら下げて、「虫を売りに来たよー」と声を上げる。その脇には小粋な装いのもうひとりがいて、屋台と並んで歩いたという。
そんな光景をじかに見たいものだが、いまはかなわぬ。だが、歴史的な遺産のひとつとして民俗村のようなところで展示することもある。それを見て江戸の虫売りを思うのは、なんとも楽しいものである。
右 :市松格子をあしらった虫売り屋台。かつては、この屋台のそばにもうひとり付き添ったそうだ。PR担当といったところかな
それにしても、ぼくが知るだけでもいろんな虫がビジネスになっていた。昆虫に限らず、大くくりにした「虫」の話だ。
現代の園芸農家なら、ダニを食べるダニとして売り出したチリカブリダニに始まる天敵ダニ類はよく知っていよう。ミヤコカブリダニ、スワルスキーカブリダニ、リモニカスカブリダニなどだ。小さくてほとんど目に見えないが、利用する農家がふえているから、たいしたものである。
意外といえばカメムシもそうだ。ヒメハナカメムシ類があれば、タバコカスミカメ、クロヒョウタンカスミカメなども有名どころ。そうかと思えばクサカゲロウ、テントウムシがあるし、一大ブームを呼んだカブトムシ・クワガタムシ類があり、釣りえさのちしゃ虫(エゴノキの実に寄生)、えびづる虫(ブドウスカシバの幼虫)だとか、ミミズ、サワガニ、コオロギ、マムシ、タニシもあった。
左 :アブラムシ退治のため、最近は一時的にはねが開かないようにしたテントウムシも販売されている
右 :クサカゲロウはアブラムシの天敵になる。だから、扱いにくい成虫はともかく、幼虫は商品になる
こうしてみると、その気になればなんでも売れそうである。つまり、虫売りのビジネスチャンスはそこらじゅうに転がっている。
だが、だけどやっぱり、タマシイだけはさすがに売ってはいけないし、売っていないだろうね。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。