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きょうも田畑でムシ話【109】

2022年4月 8日

ヒゲナガガ――青空に漂う幽玄の糸  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 メダカを飼う水槽に浮かべていた水草が、ついに枯れてしまった。水槽ごとハウスに入れるのが慣例だったが、この冬は新たな策を講じた。それがどうもまずかった。庭に置いたまま、飼育水槽をビニールで覆ってみたのである。

tanimoto109_1.jpg メダカの飼育で怖いのは、夏の暑さだ。だから、冬は大丈夫だろうとたかをくくっていたのが失敗だった。水面に氷が張ってもメダカは生きているが、水面に浮かぶ水草にはつらかったようである。
 そんなアクシデントはあったが、もうすっかり春。田んぼやそのまわりの雑木林を歩く時間も長くなり、虫たちも活動を始めた。田んぼでは、アオウキクサが田土を覆っている。
右 :田面を覆うアオウキクサ。ウキクサに比べると、やや小さい


 そのわきを通って雑木林に入ると、目の前を何かが横切った。ひとすじの白髪が風に舞うような感じである。
 思わず頭に手をやった。かさは減ったが、自分の白い毛はまだ乗っかっている。
 ふわふわする糸を追いかけるように、黒い影が供をする。
 ヒゲナガガだ。その名の通り、ひげが長い蛾の一種である。
 体長は1cmぐらい。しかし、その3倍はありそうな白いひげが真の主人であるように、ひげのあとをからだが追っている。


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左 :なんでもない雑木林。こんなところで毎年、ヒゲナガガに出くわす
右 :ヒゲナガガは昼行性の蛾だ。花が咲く時間帯に姿を見せる


 ヒゲナガガの話になるとついついひげと言ってしまうが、実は正しくない。触角だ。それにしても長すぎる触角ではある。
 最初に見つけた人がとっさに、ひげを連想したからいまの名があるのだろう。髪にたとえてカミナガガとしなかったのは幸いだ。それだとこの蛾のユーモラスな飛び方には似合わない。


 ヒゲナガガのひげで興味深いのは、雄と雌とで様相が異なることだ。
 蛾の場合、雌雄で触角のデザインに差があることはよく知られる。雌の発する性フェロモンを感知するために、パラボラアンテナにたとえられるくし状の触角を持つ雄の蛾が多い。
 ところがヒゲナガガは、そうした形状ではない。わが家の周辺でよく見るホソオビヒゲナガガを例にとれば、雄の方は1本の白髪のごとく、すーっとまっすぐに伸びている。
 対する雌の触角は短く、根元の方から半分ほどが黒くて太い。短いとはいうが、長すぎる雄の触角に比べてのことであり、蛾の中では長い方に入るはずだ。


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左 :ヒゲナガガのペア。ひげの長い方が雄である
右 :ヒゲナガガの雌の触角は根元の方が太く、先端方向の半分は雄と同じように細い。おしゃれといえば、おしゃれだ


 よく知られるのが、雄の蛾の触角はくし状であり、雌のそれは細く、むちや針を思わせるということだ。
 ホタルガのように、雌雄ともに鳥の羽根のような蛾もいる。だが彼らの場合には、触角全体が羽根っぽい。ホソオビヒゲナガガの雌はそうではなく部分的に太黒いのだから、単なるデザインという以上の理由があるように思えてならない。
 それにしても、雄のひげの長さはどうだ。飛ぶことを考えれば、風に対する抵抗が少ない方がいい。強風の中で長い旗竿と短いものを立てようとしたら、長い方は不利だ。それになにより、短い方が操りやすい。
 だが、とすぐさま否定したくなるのは、長い竿を手にした曲芸師の綱渡りを見るからだ。あんなにも長い竿を手にしてと驚くが、やじろべえと同じ原理だろう。長いから、バランスがとりやすい。
 とするとヒゲナガガの雄も、そのあたりを計算に入れて進化したのだろうか?


tanimoto109_12.jpg そう思ってちょっと調べたら、ヒゲナガガは原始的な蛾なのだそうだ。
 ――なるほどね。
 ふと頭に浮かんだのがコバネガだ。原始的な蛾ということでの知名度は、ヒゲナガガよりもずっと高い。
 コバネガの幼虫はジャゴケをえさにするので、ジャゴケを目印にして探すと、成虫が見つかる。そのコバネガとヒゲナガガがよく似た雰囲気を漂わせているのである。
 コバネガはそしゃく型のくちを持つとか、大あごがよく発達していて機能的であると事典では紹介される。
 そのくちをなんとかしてしっかりカメラにおさめようとするのだが、ヒゲナガガと同じくらいの1cmあるかどうかの小さな蛾なので、手に負えない。マイ・カメラの限界なのか、撮影技術のせいなのか。おそらく後者だとは思うが、うまく撮れたことがない。
右 :チョウ目ではなく、少し前までの鱗翅目と呼びたいコバネガ。うろこ感たっぷりの古いタイプの蛾だ


tanimoto109_8.jpg それはともかく、コバネガとヒゲナガガの大きさは同じぐらいで、身にまとう衣装もどことなく似ている。
 蛾やチョウはチョウ目というグループに分類されるが、少し前までは鱗翅目と呼んでいた。つまり、うろこ状のはねを持つ虫というわけである。
 だから、どの蛾どのチョウのはねにもうろこ状のりん粉があっていいのだが、コバネガやヒゲナガガはそれがはっきりしている。しかも金属光沢のあるうろこ状のはねなのである。
 散歩の途中で目にするくらいだから、ヒゲナガガは昼行性の蛾だ。花に寄ってくるところを何度も見ている。そしてコバネガも同じように明るい時間帯に飛び、花のみつを吸う。
 うろこ状のはねといい、昼行性であること、原始的な蛾であることなど、共通するところは多いのだ。だがそれにしても、ヒゲナガガの触角は長い。
 コバネガの幼虫がジャゴケを食べるのは、早い段階で出現したという進化の歴史を背負っているからだろう。ほかにもコケをえさにする虫はいるが、誰もが知っているという認知度の高いものはいない。
左上 :コバネガの幼虫がえさにするジャゴケ。ゼニゴケに似るが、独特の雰囲気を漂わせる


tanimoto109_13.jpg ヒゲナガガの幼虫の食性もまた変わっている。卵からかえってしばらくは樹木の葉や子房を食べ、そのあとは地上に降りて袋状のみのをこしらえ、枯れ葉を食べて成長する。そのみの、あるいは繭は俗に「ポータブルケース」と呼ばれ、ヒロズコガがつくるものに似ているようだ。

 そのヒロズコガの繭はときどき見るが、とっさに思うのがカワゲラのものだ。水中で暮らすカワゲラの幼虫の多くは小石や枯れ葉をつづって身を隠す。それを筒巣とか携帯巣、ケーシングというが、わかりやすくいえば水の中のミノムシだ。幼虫はそのよろいの中から頭を出して、よっこらせと移動する。
 ヒゲナガガのつくるものもそうしたカワゲラがつくるものも似ているのに、統一した用語は目にしない。だがそんなことを虫たちが気にするはずもなく、自分たちに適した移動式の住まいとして利用している。
 ――いやあ、不思議、不思議、おもしろい。
 花にやってくるところを見ると、受粉の手伝いをしているのかもしれない。
 長い1本のひげがこんなに楽しませてくれるなんて、感謝しなければならない。
右上 :マダラマルハヒロズコガの幼虫。バイオリンケースのような中に入っている。見た感じはミノムシだ


tanimoto109_2.jpg 結局のところ、ヒゲナガガの雄が持つあの長いひげはやはり、雌の性フェロモンをキャッチしやすくするためのものではないかと思えてくる。
 くし状の触角をばらばらにして1本にすれば、相当な長さになる。ヒゲナガガが古いタイプの蛾だとするなら、あの長いひげをゆらゆらさせることで空中にたゆたう雌のにおいを探っているのではないか。そのあとに出現した蛾は「だったら、形を変えても同じだろ」と考え、扱いやすい形にした。いわば線から面への変更だ。それで、くし状の触角が蛾の世界で広がり、いまのスタンダードになった。
 なーんて、好き勝手な理屈を考えながら長いひげをゆらゆらさせる飛び方を見ていると、心が穏やかになる。
左 :長くて白い触角をゆらゆらさせるヒゲナガガの雄。長すぎる触角にもちゃんとした理由があるはずだ

 
 ヒゲナガガの対極にあるような進化した虫ということで言えば、ハエがいる。ハエは後ろばねを退化させて、平均棍という新たな道具を得た。飛ぶ時のバランスをとるジャイロセンサーのようなものだといわれている。
 だから見た目は2枚ばねだが、4枚ばねを上回るスピードと巧みな飛行術を得たのだから、立派なものだ。
 だがそんなことはどうでもいい。ハエのような進化した虫よりも、ヒゲナガガのように長いひげでよっこらせと均衡を保ちながら飛ぶ虫にぼくはひかれる。 だから毎年、春になってヒゲナガガを見るのを心待ちにしているのかもしれない。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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