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2021年12月 8日
捕らわれ虫――異能ゆえの凡才
稲刈りが終わり、そのあと芽を吹いたひこばえがみのりを告げるころ、田んぼは急にさびしくなる。
それでも赤トンボはまだ、健在だ。農道のわきにも1匹、とまっていた。
――アキアカネかな。いや、ナツアカネか?
そう思って顔を近づけ、異様な状況に驚いてしまった。
――おんや、どうしてそうなったんだ?
その光景を初めて目にした人が一度は口にしたくなるにちがいないせりふを、ぼくも頭の中で発した。
アメリカセンダングサと思しき植物のタネ、魚を捕る時のもりのようなとげのあるタネに彼は引っかかっている。
しかも、その不思議であわれな赤トンボは1匹ではない。そこから10mほどの範囲に、ざっと見ただけで5匹もいたのである。
左 :水稲のひこばえ。かなりの寒さにも負けずに頑張って立っている
右 :アメリカセンダングサのタネに引っかかってた赤トンボ。それが近くに数匹いた。オドロキの一幕だ
致命傷はどうやら、自慢のはねのようだ。飛翔昆虫の中でも優秀とされるトンボのはねが、みずから襲うこともない植物のちっぽけなタネのかぎ針に引っかかるとはなんたることか。西洋では「悪魔のかがり針」と呼ばれて子どもたちをおびえさせ、ドラゴンフライというたいそうな英名を奉じられたトンボなのに、なんとも悲惨な最期ではある。
その場でしばらくほかの虫や草を観察していると、ヒメアカタテハやモンシロチョウが飛んできた。だがそれらのチョウは、センダングサのえじきになることはないようだ。柔よく剛を制すと言っていいのか。断定はできないが、はねにあるりん粉で、危険な植物の武器を避けている。
そんな様子を見ていて、疑問に思ったことがある。
このセンダングサには、トンボを自らの栄養源にしたいという考えはないはずだ。結果的にトンボを捕えて放せなくなったが、その武器には体液を吸い取るような仕組みや仕掛けはない。たまたま引っかけてしまっただけなのである。
しばらくすれば密接していたタネはばらばらになり、ヒトとか犬の体にくっついて、分布拡大のための新天地を目指すはずだった。そう考えるとトンボを抱え込んだために散じることができなくなったセンダングサもまた、犠牲者であるといえるかもしれない。
こうした偶発的な事故とは別に、明らかな意思を持って虫を捕えようとする草もある。「食虫植物」と呼ばれる一群だ。モウセンゴケやウツボカズラ、ハエトリソウなどが有名だろう。
モウセンゴケの栽培には何度か挑戦したが、寒さを迎えるころには枯らしてしまうことが多かった。長いこと栽培している人の話を聞くと、そんなに管理が難しい植物ではないらしい。だが、何年たってもまともな収穫物を得ることができない未熟な菜園家だから、それも仕方がないとあきらめている。
触手とでも呼びたいようなモウセンゴケの葉先には、べたべた・ねばねばした粘球がいくつもくっついている。 赤い玉のようなものがなんともあやしげでなまめかしく、自分が虫だったら何も考えずに寄りつくようなイメージがある。
右 :モウセンゴケには、ねばねばした丸い玉がいっぱい付いている。しかも赤くて、どこかなまめかしい
ウツボカズラのぽっかり開いたくちも、思わずのぞいてみたくなる魔力を秘めている。わなにかかる虫たちの多くは、ウツボカズラの発する甘い香りや蜜に誘われてドツボにハマる。だがそうはいっても、犠牲になる虫の何割かは単なる好奇心でのぞきに行って、抜け出せなくなるのではないかとも思える。それほどに、中をのぞいてみたいと思わせるフォルムだ。
ハエトリソウになると、ちょっとちがう。 いかにもこれはわなだぞーというような恐ろしい武器を、目につくところに配している。そんなにもあからさまな仕掛けにかかる虫なんているものかと思いたくなるが、何鉢も置いている専門店で見て歩くと、ひっかかる虫は意外に多い。
ハエトリソウの仕掛けは巧妙で、 一度ふれただけでは閉じない。ところがそれから30秒以内に再びふれると、葉に備えた感覚毛でその刺激を感じ取り、今度は0.3秒という目にもとまらぬ速さでパタンと閉じるのだ。
栄養源が乏しい土地に生える食虫植物は、根から栄養を取り込むことができない。その代わりに、葉っぱのトラップにかかった虫たちを栄養にして成長する戦略をとった。過酷な環境で生き延びるためとはいえ、なんともはやスゴい技を身につけたものだ。
左 :ウツボカズラ。矢を入れる道具のうつぼが名前の由来だが、その本家を見ることはない。枯れたら、筆立てになるかなあ
右 :ハエトリソウ。明らかにわなだと思える葉なのに、捕まる虫は後を絶たない
しかし、センダングサのトンボで見たように、無駄死にしてしまう虫もいる。虫の立場に立てば哀れだし、植物の側からみれば無駄なこと、邪魔なことにしかなっていない。
多くの菜園家は、腹の足しにするために野菜を育てる。ところが栽培技術が著しく欠如しているぼくは、食べるためというよりも観察して楽しめるような植物を育てることにこそ情熱を注ぐべきだと思っている。だから野菜畑が虫の飼育場になり変わることが多いのだ。
うれしいことに今シーズンは、以前から育ててみたいと思っていたツノゴマの種が手に入った。「悪魔の爪」と呼ばれる植物だ。食虫植物の一部だという人がいる一方で、若いうちなら食べることができるから野菜の一種だという人もいる。
ぼくが望むのはもちろん前者だ。たくさん実をつければ試しに食べるのもいいが、まずはその悪魔の爪を手にすることを最大の目標にした。
右 :「悪魔の爪」ことツノゴマの実。右側は果皮がむける途中でつるから落ちたもの。その後なんとか、無事にひと皮むけた
ニガウリにも似たあやしげな種を4月に、数粒まいた。まく時期も育て方もよくわからないので、保険と考えてまず2粒をまいてみた。ところが、やはりというか、しばらく待っても発芽しない。そこで残りのタネに期待し、5月に入ってまき直したうちの2株が発芽した。
なるほど、それまで目にしたことがない感じの双葉だった。
――だけど、こんなのが食虫植物といえるのか?
疑問に思いながらカメラを構えてのぞくと、どこかで見たような粘球があった。モウセンゴケの丸い玉のようである。それがびっしりと付いていて、光を浴びるとキラキラと輝いた。
何日かするとそこに、ちっぽけな虫が張り付いていた。
なるほど食虫植物だ。
とりあえずはそう思ったが、その先はよくわからい。あの粘着力で捕まえた虫からはたして、栄養を取り込むことができるのか。それができないと、食虫植物とは認めにくいように思った。
左 :初めて栽培したツノゴマの双葉をよく見ると、真珠のようなきらめきを持つ粘球があった。これなら、トラップに使えそうだ
右 :双葉のツノゴマのわなにかかった虫。でもよく見れば、かじり跡もある。加害者はどの虫だ?
発芽した後は意外にも、順調に育った。このままいけば秋には悪魔の爪が手に入るぞウシシと、ぬか喜びしたものである。
ところが万年初心者の悲しさで、オクラのような実をつけた時期からどこか元気がなくなり、カボチャのようなつるの一部がしおれてきた。
ネットで調べると、こぼれ種からも増えるほど強い植物だという記述が見つかった。うまくすれば1株から数十個の実が取れると書いているものもあった。
だがしかし、わが家の悪魔の爪は、その名に似合わず、あまりにもやさしかったのだろう。ほんの数個の皮をかぶったままの爪を残して、つるから落ちた。しかも写真で見たように、きれいに果皮がむけることはなかった。
種がこぼれ落ちる気配もない。もしかしたら種類がちがうのかもしれないが、それでもまずは悪魔の爪らしきものが取れたことで満足するしかない。
ツノゴマの若いうちは確かに、その粘着力を虫捕りのためのわなにすることができそうだ。しかし、成長するにつれてその印象は薄くなった。ネットに書き込まれていた「臭くてたまらん」というにおいも、ぼくには感じ取れなかった。トイレのような臭いがするという人もいるようだが、ほとんど無臭だった。
食虫植物と呼ぼうとするからいけない。「虫捕り草」とすればいいのだ。
左 :ツノゴマの若い実は食べられるというが、もっと数が確保できないと、もったいなくて口にできない。成熟後に待ち構えるのは「悪魔の爪」なのに
右 :本性をあらわしたツノゴマ。大切に育てていたのは2本爪の悪魔だった!
そういうことでいけば、もっと多くの植物が虫捕り草になれる。
アザミはずいぶん身近にある虫捕り草だ。蜜を吸いに来た虫が花弁にからめとられることはないが、その下の総苞がべたべたしていて、そこに虫が付着する。アザミの語源は欺く、との説もある。まさかこんなところが粘ついて捕まるとは......と後悔した虫がいるとすれば、それが欺く、欺かれるということだと教えてやりたい。
もっとも、一般的な解釈はそうではない。美しい花を摘もうと思ったらトゲがあった。それで欺かれた気分になったことから発して、「アザミ」と呼ばれるようになったとされる。よそで滅多なことは言わない方が賢明だ。
残念だが、はっきりと虫捕り草だと言い切れる場面に出くわしたことはない。虫が寄りつき、とまっているところは何度か見たし、写真にも撮った。だが、捕らえられたというふうには見えなかった。頭の中の「いつか確認しなければならないリスト」には記してある。
ハチマンタイアザミは、日本産のアザミの中で最も総苞が発達し,そこの粘着物質で小型の昆虫を捕らえるという。そんなことから、「ムシトリアザミ」と呼ばれることもある。これもまた、いつか確認リストに載せておこう。
右 :アザミの総苞にカメムシとジョウカイボンがいた。捕まったのかどうか、確認できなかったのが残念だ
水草の一種には、タヌキでもアナグマでもないムジナにちなんだムジナモというものがある。今は限られたところでしか見られないほどに減ったから、保護管理地でしか見たことがない。
その代わり、親せき筋のタヌキモなら、わが家にもある。初めて見たのはメダカを飼っている水槽で、気がついたら生えていた。冬にはいったん枯れたようになるが、暖かくしておくと春には勢いを盛り返す。
そのタヌキモも、食虫植物の一種とされている。といっても捕虫のうはとても小さな袋だから、捕獲するのはミジンコよりも小さなプランクトンのようなものだ。
それでも虫を捕る植物であることに違いはない。そう思うとうれしく、しかも栽培技術を持たないぼくにも容易に維持できるのだから、これ以上にありがたい食虫植物はないのである。
左 :小袋のような捕虫のうを持つタヌキモ。水面下では、プランクトンなどを相手に静かな戦いを繰り広げる
じつは、どこに分類すればいいのかわからないものもある。こまかい目のネットに突っ込むハエ、鳥よけ網にかかるギンヤンマだ。どうやったら、生き物ではない造形物にひっかかるのか、いまだに謎である。
ひとつだけはっきりしているのは、それらを総称して「捕らわれ虫」と呼んでいい、いや、そう呼びたいということである。
ああ、あわれ。捕らわれ虫の運命やいかに――。
活動弁士をしていたら、ぼくはきっとそう言うにちがいない。運命はもうわかっているとしてもね。
右 :鳥の襲撃を防ぐためのネットにひっかかったギンヤンマの死がい。気の毒ではあるが、それにしても......という感じだ
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。