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2021年7月 7日
ベンジョムシ――卑下せざる虫たち
動植物の方言に興味がある。
生き物に限らず、かつては多くのものに地域ごとのいろんな呼び名があったものだが、これだけの情報化社会になると、新しい呼称が生まれるたびにすぐ広まっていく。
流行語がいい例だ。テレビやインターネットで知名度の高い人が発信すれば、その日のうちに北海道から沖縄にまで伝わる。
現代っ子のかつての方言に対する認知度も変化が大きい。
小学生を相手に、虫の話をした。
「――だから、むかしの人が雨の日に使った蓑は、ミノムシの蓑をまねたものかもしれないね」
「質問です! 蓑って、なんですか?」
「えーと、稲わらで編んだ......レインコートみたいなものかな」
「稲って、お米でしょ。お米はご飯じゃないんですか?」
こうなるともう、話が続かない。
だが、考えてみれば無理もない。ダイヤル式の黒電話の使い方がわからないのはともかく、大学を出てもパソコンにふれたことがない若者もふえているとか。蓑がどういうものなのか知らなくても不思議はないのだ。
実物を見せてやりたくてもわが家にはない。いまでは資料展示館にでも行かないと見られないものだから、まあ仕方がないのだろう。
野良芋、野良ダイコン、野良犬、野良猫もそうだ。野良仕事などという当たり前に耳にしていた言葉も、ごく限られた場所でしか聞けなくなくなっている。
右 :蓑の材料はイネでね、イネには花も咲くのだよ......ってことから始めないと、最近はミノムシの話にたどりつけない
その流れは、虫たちにも押し寄せる。
体を丸めたエビのようで、やたらと太くて長いあしを持つカマドウマという虫がいる。かまどの片隅で目にする機会が多く、自然とそんな呼称が定着したのだろう。
かまどは、「へっつい」ともいう。
ところがぼくは、社会に出て働くようになってから初めて耳にした。それまで二十数年の生活になかったものであり、接することのないことばだった。
そのため、「へっつい」がかまどと同じものだということは、本で調べて初めて知った。それでやっと、そういえば落語ではそんな言い方をしていたなあ、と気づいたものである。
左 :カマドウマの別名は「ベンジョコオロギ」。だけど実際には、清掃係として活躍している。見てくれがいまひとつ、ナンだけどね
右 :現役らしいかまど。最近は田舎ぐらしにあこがれて、わざわざこしらえる人もいるようだ
ぼくが育ったのは名古屋市のいわゆる新興住宅地で、全国から人が集まっていた。それで東北なまりのことばを聞くことがあれば、映画で見た九州の地方都市で使うようなことばを耳にすることもしばしばだった。
そんな土地柄だったが、実生活でかまどを見る機会はなく、それに近いことばとして「台所」「流し」が使われていた。
それでも、カマドウマがかまどに由来する虫の名前だということは知っていた。虫が好きなことから、何かの本で紹介されていたのを読んだのだろう。
カマドウマを「ベンジョコオロギ」と呼ぶ子がいたのには、また驚いた。便所によく現れたからだという。
「便所」という言い方も、現代人が使うと冷笑される。せめて、トイレと言えと。ぼくが子どものころには水洗化が進んでいたから、「便所掃除」ということばも死語になりつつあった。
そんなこともあってか、「ベンジョ」には強いインパクトがあった。
すると、カマドウマを見たことがないという子が「ベンジョムシ」のことかと尋ねた。
「ベンジョムシってさあ、丸くならないマルムシのこと?」
さあ、話がますますムズカシクなった。
左 :「ベンジョムシ」と蔑まれるワラジムシだが、こんなファッショナブルなのもいるよ
右 :ダンゴムシは何度か飼ったが、ワラジムシはその気にならない。なぜだ?
とにかく、全国博覧会的寄せ集め住宅街で暮らす身だ。それだからというわけでもないのだろうが、集まった住民はとにかく標準語で話そうと努め、なるべく正しい名古屋弁を使うようにしていた。だから、極小生物である虫けらの呼び名にまで気を使わず、ユイショある「ベンジョムシ」も生き残れたのだろう。
「マルムシ」でもなんとなくわかると思うが、それはダンゴムシのことだった。体を丸める習性はよく知られる。
それができないダンゴムシに似て非なる生き物といえば、ワラジムシのことだろう。「ベンジョ」と付けていい虫はそれだけだったようである。
その子にとって唯一無二の「ベンジョムシ」はワラジムシでしかなかった。
だったらいっそのこと、カマドウマとワラジムシをたたかわせるという選択もあるのだろうが、さて、どちらが強いのか。
基本的にどちらも雑食性で、落ち葉や腐った実、ちいさな虫やその死がいなどを食べている。だから農業にとっては敵対視する必要のない虫なのだが、カマドウマは共食いもするようだから、その分、肉食性が強いかもしれない。両者がもしたたかえば、軍配はカマドウマに上がるような気もする。でもまあ、どうにでもなれの世界ではあろう。
右 :実はね、ワラジムシは拡大すると意外にイカした感じなんだ。そう思わない?
その当時のぼくはカマドウマにもダンゴムシにもワラジムシにも特別な関心はなかった。そしてどちらにも、「ベンジョ」と付けて虫の名前を発することはなかった。
だから大人になってからも、「子どものころはワラジムシをベンジョムシと呼んでいた」という人が大勢いたのには驚いた。インターネットで検索すると、いくらでもヒットする。ワラジムシはやっぱり、「ベンジョムシ」が標準的な方言のようである。
ん?
もしかしたら、「標準的な方言」って、標準語に等しいのか?
動植物の名前を示すときには、標準和名というものを持ち出す。
しかし近年は、短期間で何度も一地域の方言を耳にする機会がある。まさにテレビ、インターネットの影響である。
そしてマズいことに、その方言こそ標準和名であるかのようにとらえる人が多くなり、それをまた短時間で全国津々浦々にまで広める。
よく出す例だが、山菜名にそれが多い。たとえばウルイ、コゴミ、ミズなどだ。
植物図鑑でしか接したことがない植物が多いぼくなどは、それらがそれぞれ、オオバギボウシ、クサソテツ、ウワバミソウという標準和名の植物であるぞと習った。したがって、方言名をいわれても実体が思い浮かばないこともたびたびだった。
地方に出かけて方言で呼ばれた山菜を手に持って名前を尋ねても、「んが、なに言ってんのや。こいづが正式名だあ」などと言われると、その先に進めない。
うろ覚えの標準和名を挙げても、「せばだばまいねびょん」と否定される。それじゃあダメだと言われたって、全国的にはこっちの呼び名が普通なんだけどなあ、などと弁解しても耳を貸してもらえぬ。
そういう混乱を避けようとして標準和名が生まれたと思うのだが、ウルイ、コゴミ、ミズとしきりに喧伝されると、ちぢこまるしかない。
左 :クサソテツ。「コゴミ」「コゴメ」の山菜名がよく知られるけれど、この姿を見てもそう思う?
ワラジムシで面白いのは、「トイレのベンジョムシ」という言い方をする人までいることだ。
考えてみればむかしの便所と現代のトイレは雲泥の差がある。宮殿のようなトイレもある時代だからその気持ちもわからんでもないのだが、なんともいえぬ違和感をおぼえるのはベンジョムシのせいである。
――などということは断じてない。
ここでさらに気になるのは、「ベンジョムシ」がかつての便所まわりにすむ虫だと解すれば、ハエやミズアブ、チョウバエ、ザトウムシなど数種類の虫たちに付けたあだ名とみても誤りではなかろう。
だったらワラジムシは、もっともメジャーな「ベンジョムシ」ではないか。「ベンジョムシ」のナンバー1である。
それよりも疑問に思うのは、現代の子どもたちがあまりにも実物を知らないことだ。知識としてのわらじは知っていても、実際に履くことはない。この令和の時代には、わらじどころか、わら縄を見たことがない子だって大勢いる。
本来はそれが名前だったはずのストロー(麦わら)を「麦わらストロー」と呼び、まるで最先端のエコ商品であるかのようなイメージで受け止める若者が少なくないのもナットクするしかないのだ。
縄といえば稲わらかシュロ縄ぐらいしか思いつかい世代とは、使う生活道具がちがう。垣根を見ることもなく、火鉢も知らずに育った大人が増えているのだから、何をか言わんやである。
右 :ザトウムシは、暗くてじめじめした場所に多い。むかしの便所まわりでは出くわすことも多かったようだね
ワラジムシを指すほかの方言はないかと探したら、「ゾウリムシ」があった。
まぎらわしいことに、ゾウリムシといえば水の中で暮らすプランクトンの一種とみなす人が圧倒的だ。ミジンコ、アメーバ、ミドリムシあたりと並ぶ有名な動物性プランクトンである。
そのゾウリムシを称して、「スリッパムシ」と呼ぶ人もいた。
冗談だろうと思いながらも確かめると、英語ではゾウリムシをスリッパー・アニマルキュールというのだとか。つまり、スリッパみたいな形の小動物ということだから、「スリッパムシ」と呼んでよさそうだ。いやいや、立派なスリッパムシなのである。
ワラジムシにしてもそのうち、「ゾウリムシ」→「スリッパムシ」→「トイレムシ」と大変態するかもしれないのだが、なにはともあれ、「ベンジョ」問題は虫だけの世界にとどめよう。
農家には、仕事場である畑にトイレがあるかどうかが関心事のはずだ。簡易トイレでもあれば、もしかしたらベンジョムシだって喜ぶかもしれないしね。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。