MENU
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2021年6月 9日
毒蛾――ありそでなさそな毒の針
プロの農家のようにはいかないが、何年も前から家庭菜園に取り組んでいる。
といっても、夏野菜としてのトマト、ナス、ピーマン、キュウリあたりが決まり物で、虫の攻撃を免れたいくばくかの小松菜、ダイコン数本でも収穫できれば上出来だ。始めたばかりという近所の人が立派な野菜を手にしているのを見ると、わが家でも育てているなんてことはとても言えない。
だからどう思われているのかわからないが、住宅街には不向きなハウスがある家ということで、通学途中の小学生がうわさ話をしているのを耳にしたことはある。
子どもの目にはハウスに見えても、実際には「もどき」である。雨よけ栽培キットを購入したのがきっかけで、寒くなるとビニールで全体を覆う。外見だけはなんとか、ハウスに見える。
無加温なので、その中に入れておいた観葉植物が冬に枯れることはしょっちゅうだ。隣はと見れば、なぜだか庭に出しっぱなしのカポックが冬も青々としている。それなのにわがハウスもどきでは次々と枯れていくのだから、首をひねるしかない。
ビニールがかかっていても、冬は外気温と同じになる。トマトの株など、一晩でくたんとなって一巻の終わり。それでも春が近づき暖かくなると、ハコベやドクダミがぐんぐん伸びてくる。そしてそのうち小松菜を追い越して、ぼくの手に負えなくなる。
左 :わが家のキュウリは芸術家。こんな形が好みのようだ
そんなことから、夏野菜のシーズン到来となれば、草とりから始めねばならない。
抜いた草はもったいないから、肥料にしようと企てる。
素人のかなしさで、畝間に穴を掘って埋めることぐらいしか思いつかない。それで年に何回か、あちこちに穴を掘る。
不思議なもので、庭の至るところに無造作に植えてある植木の枝もついでに切り払う気になり、ひとり生えしたエノキやケヤキ、クワ、コナラの剪定までする。
庭に少しは緑があった方がいいと思って植えたシマトネリコやムラサキシキブ、アゲハチョウを呼ぶためのミカン、二十数年の間にたった一度、2個しか実ったことがないのになぜだかあちこちから顔を出すポポーの木、たまたまいただいた枝を挿しておいたら根付いて育ち始めた「啓翁桜」、もはやどこから手に入れたのか思い出せないマサキ、ツバキ、サザンカなどの散髪の始まりだ。
ちょきん、ちょきん、ぱっちーん。
音だけは威勢よく刈り込んでいくと、少しはすっきりしてくる。そして枝や葉を穴に埋めて米ぬかをふりかけ、水をまいて、肥料化作戦の完了だ。
右 :ナミアゲハはミカンの木の常連さんだ。ひと皮むければ、緑色の幼虫になる
ところが、その時期を誤ると、たいへんなものに出くわす確率がぐんと高まる。
マサキにはミノウスバの幼虫がわんさか集まり、ツバキ、サザンカにはドクガの幼稚園ができあがる。
ミノウスバは、まだいい。薄い黄色地に黒い縦じまが入り、なんとなくおしゃれな感じが漂うからだ。
からだには細かな毛が生えているが、「毛虫」と呼ぶのをためらうくらいのささやかな毛の並びにしか見えない。
しばらくは集団行動をとる。だが、そのうち独立して、ひとり旅に出る。そしてどこかでさなぎになり、人知れず羽化するのだ。
成虫は、けっこうなおしゃれである。おそらくはそれが名前のもとになったのだろう、蓑のようなふさふさした毛に包まれたオレンジ色のからだに、半透明の薄いはねがつく。
せっかくの昼行性の蛾なのに、アゲハチョウやモンシロチョウと同じで、わが家で羽化シーンを見るのはまれだ。それだけがいささか残念ではある。
そんなこともあって、野外でミノウスバの成虫を見つけると思わずカメラを向ける。手元にある成虫の写真は、そうして撮ったものがほとんどだ。
左 :ミノウスバの幼虫。1匹だけなら、意外にかわいい?
右 :つい飼ってしまったミノウスバが羽化した。ぼくにしては珍しい室内での撮影写真だ
同じ蛾でも、ドクガ類にそんな気持ちはまったくわかない。
ドクガにもいろいろあるが、ツバキ、サザンカの場合にはたいてい、チャドクガだ。おそろしい毒針毛によって、善良な住民に強い炎症とかゆみをもたらす。その毛が万の単位で生えているというのだから、敵ながらアッパレだ。
わが家でもたびたび発生した。そんなときは秘術を尽くして退治するのだが、できればその前に手を打つのがいいに決まっている。
ぼくは毎回、整列して食事中の幼虫のレストランと化した葉を枝ごとはさみで切り落とす。そして水を張ったバケツに入れ、全員を捕獲したのち、穴埋めにするのだ。
やっかいなのは、毛が飛ぶ心配があることだろう。風下に立ってたたかいを挑むと、そうした目に見えない微細針の攻撃にあう可能性がある。
ことしはいまのところ、被害がない。
ほっとして近くの田んぼまで散歩に出かけると、道のわきに生えたサザンカに、チャドクガのお子さんたちが大勢集まっていた。毒針毛を考えると近づかないのがいちばんだが、いかんせん、久しぶりの出会いなのでついつい近づき、写真におさめた。
左 :チャドクガは気が向くとわが家にやってくる。あまり歓迎したくないのに
右 :散歩道で見つけたチャドクガの幼虫たち
そんな毒蛾に接するとなぜだか、また別の毒蛾が現れる。類は友を呼ぶというたとえをここで使っていいのかわからないが、目に見えぬ糸で引き寄せられたかのように遭遇するのだ。
蚕のえさにする桑の葉を探しにいくと、タケカレハの幼虫がいる。注意すべき毒蛾のひとつである。
チャドクガのように、集団行動はとらない。それだけはうれしいのだが、だからというべきか、知らずにふれる可能性はうんと高まる。
幼虫の姿を見れば、なんとなく危ないというカンは働く。「毒針持ってますぜ、ひひひ」といった感がありありだからだ。
ところが繭となると、途端に気が緩む人がいる。
それはきっと、身動きできない彼らの作戦なのだろう。繭の表面には黒い斑紋のようなデザインが施してあるが、それは幼虫時代に持っていた毒針毛のお土産なのだという。繭なら安全だろうと思うその油断がとんでもない結果を招くので、注意が必要だ。
このあとここで被害体験談を語るのが正しい書き手のあり方なのだろうが、ぼくにその経験はない。申し訳ない気持ちはあるのだが、君子あやうきに、なんとか......である。
危険はニンゲンだけに訪れるとも限らない。自然界にはオソロシイものがわんさかいるからだ。それで生態系が維持されるのだから、受け入れるしかない。
左 :笹や竹が近くにあるのだろう、タケカレハはなぜか、桑の葉でよく見る
右 :タケカレハの繭。意外なところで出くわすので注意が必要だ。黒い部分に毒針毛がくっついている
かなり以前のことだからよく覚えていないのだが、わが家のシラカンバの木に、コマユバチとおぼしき寄生バチにやられたタケカレハと思われる毛虫がくっつていた。笹や竹に依存する蛾の一種なのに、よく見かけるのはなぜか桑の木だ。それならシラカンバにいてもおかしくはないのだが......やっぱり、ヘンだ。
それでも50個を超す寄生バチの繭を身にまとうタケカレハを見ると、いくらか気の毒に思えてくる。
ハチの立場でいえば、よくぞでかしたとほめてやりたい。立場によって見方が大きく変わるのは、致し方あるまい。
カレハガ科の蛾の大半は、毒持ちだといわれる。それなのに、カレハガ科の代表種といってもいいカレハガの幼虫は、タケカレハのように黒い毛の部分があっても毒はないのだとか。なぜそうなのかと文句を言いたい気分だが、逆ギレして毒を持たれても困るので、ここらでやめよう。
不思議なことに、カレハガもタケカレハも、その卵はじつに魅力的である。神さまはどうして、こんなシゴトをされたのでしょうね。
左 :タケカレハの幼虫と思われる毛虫にびっしり張りつく、寄生バチの繭。毒のある毛虫とはいえ、ちょっとばかり気の毒だ
右 :首飾りにでもしたくなるタケカレハの卵。美しい!
公園を後にして家路につこうとしたそのとき、木々の合間を舞う白いチョウがいた。
「もしかして、モンシロチョウ?」
そう思ったものの、どうにも飛び方があやしい。
ふと思い出したのが、夕ぐれに舞うキアシドクガだ。特定の樹種ではないが、高いところを何匹も飛んでいる。
二十数匹はいる。さなぎや幼虫は見たことがあるが、成虫の舞う姿は初めてだ。
れっきとしたドクガ科の蛾なのに、幼虫にも成虫にも毒はないという。いかにもあやしげな毛虫なのに毒針毛はなく、さなぎの意匠はすばらしく、成虫は愛らしい。
思わず手が伸びた。ビニール袋に入れてながめると、何か話しかけているように見えた。
トゲアリトゲナシトゲトゲなるハムシは実在するのかと、たびたび話題になるが、ドクガ科の蛾なのに毒がなくていいのだろうか?
毒なしのかわいいドクガちゃんに問いかけたが、返事はない。
袋の口を開けると、黙って空に帰っていった。
あした天気になーれ!
右 :キアシドクガの成虫。なるほどきれいな黄色のおみ足である
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。