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2021年4月 8日
ビロードツリアブ――謎多き春の妖精
ユニコーンは、伝説上の動物としてつとに知られる。見た目は馬なのに、頭には一本の長いねじれた角があるというあれである。そのもとになったのが極北の海に実在する海獣の一種・イッカクで、ハクジラの仲間だとされている。
漢字であらわせば「一角」だろう。ところが実際には前歯であり犬歯だというから、いうなれば牙だ。そしてまれに、2本がすっと長く伸びた個体が見つかるという。
いずれにしても、その角だか牙はオスの特権らしい。
と思っていたら、メスでも見つかるという。話は単純ではない。
2本伸ばしていいならなぜ、2本角が一般的にならないのだろう。その方がバランスがとりやすいように思えてならない。
体長の3分の2にもなる、長い竿のようなものだ。そんなものがあるとかえって不便だろうに、なぜそこまで長くする必要があったのか。はっきりした理由はいまなお謎とされている。
ユニコーンにしろイッカクにしろ、どちらも見たことはない。その代わりといってはナンだが、春になると毎年、一角さながらの長い竿をあやつる昆虫が気になってしかたがない。
イメージとしては、パンダにイッカクの角をくっつけたような虫である。
いやいや。白黒模様ではなく褐色だから、ヒグマにたとえるべきかもしれない。
文句なしに毛深い。名づけの際、そのさまがビロードにたとえられた。和名が一本化されていないためビロードツリアブともビロウドツリアブとも書かれるが、どちらも同じ虫を指している。
ビロードは、ベルベットともいう。そこまでは知っていた。ほかの呼び方もあるかもしれないと思って辞書をひくと、コール天、別珍、輪奈天、金華織なんて表現が出てきた。ヨーロッパでは古くから、王侯貴族や教会の祭壇に用いる高級な織物だった 。
右 :長いくちがトレードマークのビロードツリアブ。からだの色に合わせているのか、枯れ葉にとまることが多い
英語だと、「ビー・フライ」。 ところが日本で「ビーフライ」というと、ハエの商品名になる。農家が授粉用にする訪花昆虫・ヒロズキンバエのことだ。 イチゴやマンゴーの授粉作業で、その働きぶりが実証されている。
ビロードツリアブなのに「フライ」というから、ハエなのか?
そんな疑問を抱くかもしれない。
だが、それでいいのである。 ハチと同じような黄色と黒の模様を持つアブばかりが目につくが、それはハチの真似をしているだけであって、アブはハエの仲間なのである。
これまでにも何度かふれているが、アブとハチの違いは、はねの数を見ればわかる。4枚ばねならハチであり、2枚ばねだったらハエの仲間とみていい。
減った2枚は平均棍(へいきんこん)として残り、飛ぶときに体のバランスをとるのに役立っている。痕跡程度のはねでも、ちゃんとした意味があってくっついているのだ。
しかも退化ではなく、進化の結果なのだという。物を持ちすぎては進歩がないということを教えているのか。ぼくはなんでもためこむから、頭がいたい。
それはともかく、あのパンダ体型から空を飛ぶ姿を想像するのは難しい。それなのに、ビロードツリアブは立派に飛んでいる。
しかも春の一時期しか見られないから、カタクリやフクジュソウ、ギフチョウ、コツバメなどと並んで「スプリング・エフェメラル(春の妖精)」と呼ばれるのだ。
左 :かんざしのようなキブシの花のみつを吸うビロードツリアブ
右 :カタクリは「スプリングエフェメラル」を代表する植物だ。いつ見ても美しいと思う
いちばんの特徴は、大きな図体と不釣り合いの長い口吻(くち)だろう。それにもかかわらず、動作は俊敏ときている。
ツリアブの漢字表記も吊虻、釣虻、長吻虻といくつかある。最も一般的なのは、吊り下げるという意味の「吊虻」だ。イッカクさながらのくちを前につきだし、波模様のはねを目にもとまらぬ速さでふるわせる。
墜落しそうで、落っこちない。それで、目に見えない糸で吊り下げたようなアブとしたのだろうか。
ツリアブにはクロバネツリアブやコウヤツリアブのように、くちの短いものもいる。そしてそれこそ、だれもが頭に浮かべるアブそのものの姿だろう。あれならハエの仲間といわれてもうなずけるし、きっと高速で飛べるだろうという安心感をもたらす。
左 :クロバネツリアブ。多くの人が「アブ」からイメージするのは、こうした感じのくちが短い種類だろう
右 :くちが短いコウヤツリアブ。一度見れば記憶に残るツリアブのひとつだ
岡山県や山口県、大阪府、兵庫県などには、いつか見たいと思っているツリアブが生息する。
トラツリアブだ。トラとくればタイガーだから、そんなにもどう猛な虫かというとその逆で、実に愛らしい。これこそ妖精の名にふさわしいツリアブだと思えてくる。
もふもふ感たっぷりの蚕繭のようなからだに、短いくちがちょこん。それに、漫画でよく見るくりっとした眼を付ければ、トラツリアブの完成だ。
いまだに出会いがないから写真は見せられないが、個人的には野鳥のエナガのイメージに近い。とことん、やさしい雰囲気である。よくまあ、こんなにもかわいい虫を生み出したものである。
右 :トラツリアブを鳥に例えたらエナガだろう。とても愛らしい
岡山県に出かけたときにはもちろん、探してみた。しかしトラツリアブはいっかな姿を見せず、申し訳ないと思ったのか、ビロードツリアブが何匹も現れてくれた。彼らは長いくちで花のみつを吸う。
それは何度も見た。オオイヌノフグリの青い花のみつを吸うところは、いかにも春の風物詩らしい一場面である。
そこまではいい。驚くのは、もともと長いくちがさらにもっと伸びるということだ。
ネットで探すと、それをとらえたショットがたしかにある。
通常の倍ぐらいの長さだ。どうやったらそんな芸当ができるのか、なぜそこまで伸ばす必要があるのか。それはまったくわからない。
カメムシでは折りたたみ式のくちを見たことがある。そんな仕組みなのか、はたまた、くちの中からさらに細いくちが伸びてくるのか......。ぼくにとっては、イッカクさながらの謎である。
しかも、長いくちの先がふたまたに分かれている。
何度見ても気づかなかった。ぼくが撮った写真にも写っていない。ところが標本のくち先をみると、たしかにV字になっている。それもまた謎である。
左 :オオイヌノフグリとビロードツリアブ。見慣れた春の風物詩のひとつである
右 :見るからにくちの長いビロードツリアブだが、どうやらもっと長く伸ばせるようだ
ありがたいことに、雌雄を見分けるポイントだけは、はっきりしていてわかりやすい。両方の複眼の間がくっついたようになっていればオス、離れていればメスだ。
野外で見ていると、おしりとおしりをくっつけた恋愛中のカップルに出会う確率は意外に高い。頭は当然、お互いに反対側に向く。片方の眼の付き方をたしかめれば、もう一方は見なくても性別がわかる。
左 :両眼の間が離れているビロードツリアブ。これは娘さんだ
右 :交際中のビロードツリアブのカップル。眼がくっついているように見えるから、右側がオスのようだ
かのジャン・アンリ・ファーブルは『昆虫記』で、ユキゲホシツリアブの謎ときに挑んでいる。スジハナバチの巣で、さなぎを見つけたのがきっかけらしい。
実際にはさなぎになる前の前蛹(ぜんよう)の時期にとりつき、キスをするようにくちをつけ、ハチの栄養を吸い取るらしい。その時代の顕微鏡ではよく見えなかったので、傷口がどうなっているのかはよくわからない。
ファーブルは、しぼんだ亡きがらに先端を細くしたガラス管をさし込み、水中でふくらませた。するとなんと、空気がもれることなく元のようになったそうである。
驚くことはまだあった。巣の中に侵入して成長し、ついにはさなぎになったツリアブが羽化する際の出来事だ。ツリアブのさなぎの頭はとげのある王冠をかぶったようになっていて、それを使って脱出口をつくることがわかった。
ファーブルが試験管のようなものに入れたさなぎを見ていると、栓にしていた植物に穴を開け、そこから頭と胸をつきだした。そしてそのあと、さなぎから抜け出して羽化したというのだ。
さなぎが頭を使って脱出口を開けるとは、なんともはや、痛快としか言いようがない。
日本の研究者がのちに、別の種類で調べている。するとそのツリアブの幼虫のくちには小さな牙のようなものがあり、それでハチにキスをすることが明らかになった。あまりにも小さいので、傷口はすぐにくっついたという。「ああ、わたしもそんな顕微鏡が欲しかった」なんていうファーブルのぼやきが聞こえてきそうである。
ハエの仲間であるツリアブはちがう。幼虫が苦労せずに生活できるようなところをすみかにしたり、せっせと面倒をみたりする。
ハエの仲間であるツリアブは、そんなことをしない。幼虫はひとたび生を受けたら、寄生先の親バチが集める花粉やみつをかすめ取り、それが尽きるとこんどは自分よりもはるかに巨大なハチの幼虫に死のキスをして栄養を奪う。そして最後にはその巣から、決死の脱出劇を見せるのだ。
アブだからというわけでもないが、ツリアブはけっこう、あぶない橋を渡る虫のようである。
右 :ビロードツリアブの幼虫は、ヒメハナバチ科のハチの巣で育つという。お宅も安心できない?
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。