MENU
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2020年7月13日
オタマジャクシ――尾のようには消えぬ謎
「ヒキガエルなら、いつもの公園にいるよ」
「だったら、産卵するところも見られるかもなあ」
家族とそんな話をしたのは、3月の初めだった。
ぼくが住む関東地方だとそのころ、産卵期を迎える。
それならと何度か公園に出かけ、水たまりのような池をのぞいた。
だが、姿はない。昨年まではヒキガエルの黒っぽいオタマジャクシが集団になって泳いでいたというのだが、どうやっても見つけられなかった。
ヒキガエルが産むのは、細長い寒天のような卵だ。そのほんの一部を持ち帰り、毎年のように飼ってみた。しかし、たいていは飼育の途中で逃げ出し、行方不明になってしまう。いまも飼う大きなヒキガエルもおそらく、何年も前にそうやってわが家に来た卵から生まれたものだろう。
確たる証拠はない。それでもいくぶんの期待もこめて、わが家を新たなふるさとにして育ち、生き延びたものだと思っている。菜園に現れる蛾やコガネムシの幼虫を捕まえ、それらをえさとして与えていることは、もう何度か紹介した。
右 :ヒキガエルの幼体。色を変えればアマガエルに化けられる?
いないとなったらなおさら、オタマジャクシが見たくなる。
6月も半ばになり、梅雨の時期となっていた。ヒキガエルはもう難しい。それならと、これまではあまり気にかけていなかったアマガエルに転向した。
繁殖シーズンでもある。うまくいけば卵を産んでいるところに出くわすかもしれない。
近くの田んぼに行き、水の中をのぞくと、何匹も泳いでいた。長野県の一部には、オタマジャクシがたくさん生まれた年は好天に恵まれるという言い伝えがある。ということはことしもまた、晴れの日が多くて暑い夏になるのだろうか。そんなことをふと思った。
だが、考えてみたら、どこかヘンだ。
オタマジャクシがカエルの子であることぐらい、幼児でも知っている。ボウフラの親分だと言われて信じるような子どもは、もはや絶滅しかけている。見つけたら、大切に育てねばならぬ。
オタマジャクシがたくさんいれば、カエルも多くなる。そして、カエルが鳴けば雨になるという天気占いの話も、全国各地で耳にする。
そこで疑問がわくのだ。オタマジャクシが多い年は晴れが多いのか、雨がたくさん降るというのか――。
さて、いったい、どちらを信じるべきだろう。オタマジャクシに尋ねてみたい気分になってくる。
上 :アマガエルの新米オタマジャクシ。割りばしの大きさに比べると、そのかわいらしさがわかる
ともあれ、オタマジャクシだ。田んぼに網を入れ、大小さまざまのオタマジャクシをすくった。
この田んぼでは、アカガエルもヒキガエルも見たことがない。その代わり、にぎやかによく鳴いているのがアマガエルだ。このオタマジャクシたちは、アマガエルとみてよさそうである。
念のため、正面から顔を見た。アマガエルのオタマジャクシは顔の両端に目がつくような感じだ。それでほかのカエルとの区別がつく。
右 :アマガエルのオタマジャクシは、両方の目が顔の端についているように見える
「間違いない。アマガエルだ。これがカエルになったら、害虫退治をしてくれるぞ」
いつものようないいかげんな飼い方をしていれば、そのうち逃げ出して庭の菜園に居つくだろう。そうなれば生きた農薬として働いてくれるはずである。
害虫の多さは保障できる。アマガエルはごちそうたっぷりのレストランをすみかにすることができ、菜園にとってはお抱えの害虫ハンターを雇うことになる。どちらにも利益があるのだから、この田んぼからの引っ越しにも快く、応じてもらおう。
いつも通りの勝手な理屈をこね、ウキクサと一緒に水槽に入れた。目を移すと、イチョウウキゴケも浮かんでいる。絶滅が心配されるといわれて久しいが、このあたりではまだ普通に見られる。それだけで、なんだかうれしくなる。
左 :アカガエルの幼体。ようやくカエルらしくなったばかりのせいか、とても愛らしい
右 :きょうだいなのか、アマガエルの若者が集まって、何かを話そうとしているようだ
アマガエルの子ども、というとオタマジャクシのように聞こえるが、尾がなくなり、いかにも一人前のカエルになったニューフェイスをぼくはそう呼ぶ。そして若い彼らはアブラムシのような小さな虫から食べ始め、そのうち蛾の幼虫も退治してくれるはずである。
もっとも、その代償としての大声は覚悟しなければならない。のどをふくらませてゲッゲッゲッと鳴き続けるからだ。しかも、あの小さな体からは想像できない大音響だ。にぎやかなのは一向にかまわないが、ご近所さんはどう思うだろう。それだけがちょっと、心配ではある。
それよりも、やっぱり気になるのはあの歌だ。「オタマジャクシはカエルの子。ナマズの孫ではないわいな」という、有名なあの歌のことである。
歌詞の一節には、「やがて手も出る足も出る」とある。それが以前から、気になっていた。
オタマジャクシが変態してカエルになる過程で、手足が生えてくる。だから手も足も出るという歌詞に誤りはない。だがしかし、歌に出てくる手と足の歌詞の順番が頭にこびりついて、どうして足を先にしなかったのかと異議を唱えたくなるのだ。
オタマジャクシという名前はそもそも、滋賀県多賀町にある多賀大社の縁起物「お多賀杓子」が源だといわれている。その「おたがじゃくし」がいつのまにかなまって、「おたまじゃくし」という言葉になったというのだ。
「お伊勢参らば、お多賀へ参れ」といわれてきた、あの「お多賀さん」である。参拝するとお守りとして授かるのがご飯をよそう「お玉杓子」であり、それがカエルの子のオタマジャクシを思わせる形であることから、オタマジャクシの名前になったという。
いささかややこしい話なのだが、オタマジャクシの体にまず現れるのは歌詞にある「足」の方だ。後ろあしが少しずつ伸びるようにしてできあがると、しばらくして、こんどは「手」と呼ぶ前あしが出てくる。
しかも前あしは、その形が整ってから、皮膚を突き破るようにして一気に外に出る。ふところに隠していた手を、パッと出すような感じである。
しかも左右の前あしの出る順番は決まっていて、最初は左側だ。それというのもえら穴は左側にしかなく、左あしはそのえら穴から出てくる。そして前あしが出そろうと、肺での呼吸が始まるという。
右 :左前あしがふくらみ、皮膚の外に飛び出す準備が整ったオタマジャクシ
こうした説明に接すると、素人のぼくはどうして右前あしから出さないのかと首をひねることになる。陸地がないところで左前あしが出てえらが使えなくなったら、命とりだ。
オタマジャクシだから水がないと困るだろうと、水だけをたっぷり入れて飼う人が意外に多い。だが、時期を考えないと大変なことになる。肺呼吸に移行した子ガエルは、あわれにもおぼれ死んでしまう。
それを避けるためにも、まずは右前あしを出し、次にえら穴から左前あしを出すようにすれば、しばらくはえら呼吸ができるだろうに、と思うのだ。
だが、実際にはそうならない。そこにはきっと、造物主によるそれなりの事情があるのだろうが、ぼくにとってはカエルの変態の謎のひとつとなっている。
ついでにいうと、オタマジャクシのしっぽが切れると思っている人も多いようだ。おそらく、トカゲやカナヘビのしっぽの自切と混同しているのだろうが、オタマジャクシのしっぽは消えるというのが正解だろう。アポト-シスという、役目を終えた細胞が自ら死滅するメカニズムの働きで、体内に取り込まれるようにしてしっぽは消えていく。
とまあ、よく解説されている文章から、なんとなく、そうなんだあと思っていた。
ところが10年ほど前、新しい考え方が示された。成長するとしっぽが異物として認識されるようになり、免疫反応で消滅するというのだ。成長の過程で免疫機能が働いていることの証明になる発見らしいが、いずれにしてもオタマジャクシのしっぽは切れるのではなく、消える。
上 :横から見たアマガエルのオタマジャクシ。目のすぐ後ろから、尾が伸びている
オタマジャクシをながめていると、皮膚を通して見えるおなかのぐるぐる巻きになった腸も気になる。
一般に草食動物の腸は長く、肉食動物の腸は短いとされている。オタマジャクシがカエルになると腸まで短くなるのは、そうした食性の変化によるものでもある。
オタマジャクシのうちは基本的に草食であり、変態してカエルになると肉食になる。それで腸も、それに対応した変化を遂げるのだ。
何度もオタマジャクシを捕りに行ったり、飼ったりしてきた。でもあまり、オタマジャクシに興味が持てなかっただけに、気にしだすといろいろと疑問がわいてくる。
ことしはとにかく、オタマジャクシ状態のアマガエルを立派な害虫ハンターにするのが目標だ。
オタマジャクシが空から降ってきたと話題になったのは数年前だが、その真相は薮の中。だれかのいたずらだとか、竜巻だとか、いろんな見方が示されたものの、結局は未解決のままだ。被害を受けた人がいれば別だが、そうでなければ、魚が降ってくるよりも面白いニュースだと思った。
左 :「バケダマ」と呼ばれる巨大なウシガエルのオタマジャクシ
右 :「イボガエル」こと、ツチガエル。そのオタマジャクシはサバイバル術にたけているとの報告もあるが、見る機会は減った
ウシガエルのオタマジャクシは俗に「バケダマ」と呼ばれるくらい巨大だが、これまた面白いことに、外来種であるコイにねらわれやすいのだとか。よく知られるように、ウシガエル自体も外来種であり、「イボガエル」の俗称でも知られる在来種・ツチガエルの天敵になる。面倒なことに北海道などの一部ではツチガエルも外来種扱いされるが、それは他地域からの移入種とみていいだろう。
ツチガエルのオタマジャクシは水草の陰に隠れる習性があるのに対し、こそこそするのが嫌いなのか、ウシガエルのオタマジャクシは隠れない。そのために、同じ外来種の身であるコイのえじきになるという研究発表が数年前にあった。
人間はオタマジャクシ1匹さえ生み出すことはできないが、オタマジャクシは手に余るほどの話題や疑問を与えてくれる。尾のように消えることなく、オタマジャクシの多面性をまざまざと見せつけられる毎日が続いている。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。