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きょうも田畑でムシ話【82】

2020年1月 8日

タマヤスデ――ワラダンもどきのゆううつ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 人には、理屈抜きで好きになるものがある。
 生き物に限っても、じつにさまざまなものを好む人々がいる。害虫だ寄生虫だとさげすまれるものにさえ熱い視線を送り、身近に置いて飽かずながめ、いとおしむ。
 そんな人々に何を言っても無駄である。そこには、なぜという問いの答えが存在しない。


 自然観察のフィールドにしている田んぼ近くの雑木林を、久しぶりにのぞいてみた。
 これだけ寒くなると派手な生き物はいない。いわゆる地味系のものたちが冬という季節を迎えてどうしているのかを、ちらりとのぞき見するくらいのものである。
 落ち葉を踏む。わが菜園にこれだけたくさんの腐葉土があれば、もう少しマシな栽培ができるのになあ、なんて思いながら、目につく倒木をけとばし、たまにひっくり返して、なんぞおらんかいな、と目を凝らす。
 ぼくが住む千葉県は昨年、大きな台風に襲われた。そのせいで倒れた木が多いのか、クリのいがや草紅葉にまじって、半ば腐ったような木が何本も地面に横たわっていた。
 越冬中のクワガタムシでも出てくればうれしいのだが、ここでそれはまず期待できない。ヤスデやアリ、ワラジムシ、ダンゴムシといったものでもいれば、見てよかったとなる。


tanimoto82_0.jpg 世の中には隠語めいたものがいくつもあるが、「ワラダン」もそのひとつだろう。
 ――ワラダン? それは、なんじゃらほい。
 そう思えたら、フツーの人生を歩んでいると思っていい。「生き虫」と聞いてすぐわかる人が少ないのと同じである。
 ワラダンというのはその名のごとく、わらのダンスの略である。
 などといい加減なことを言っても通用しそうだが、じつはワラジムシ、ダンゴムシを一緒くたにして指すことばなのである。ついでにいえば、生き虫はそのまんま、生きている虫、標本になっている死がいと区別する用語として一部の世界でフツーに使われている。
左 :ワラジムシやダンゴムシはこんな場所でよく見る。タマヤスデとはすみわけているのかな
右下:ワラジムシ。これは丸くならないから、ダンゴムシでもタマヤスデでもないとすぐにわかる


tanimoto82_11.jpg ワラジムシとダンゴムシを比べれば、断然、ダンゴムシの方が有名だ。ダンゴムシを知っている人が、「丸くならないダンゴムシ」としてワラジムシの存在を知る。それがいわば、マットウな生き方、知の習得のしかたではないだろうか。
 それなのに、その理屈を無視したかのようにワラジムシを前に押し出し、そのあとにダンゴムシとくっつける。いかんいかん、それでは高村光太郎ではないの、花より先に実のなるような理不尽、ご無体など許しませぬ......と言いたくなる。
 だがすでに「ワラダン」で通っているのだから、ぼやいても仕方がない。まあ、語呂からいえばたしかに、「ダンワラ」と呼ぶよりはずっといい。

 そんなことばがあるほどだから、ワラジムシやダンゴムシを飼う人もまた少なくない。飼う人、買う人がいれば、売る人もいて、けっこうな市場を形成しているようである。
 どんな世界にもみられることだが、そうした生き物に興味を持つと、ひとが持っていないものを手に入れたくなる。欲しい、欲しい、欲しいよーという心理が働き、外国の変わった種類を求めるようになり、それが流通する。名前を言われてもわからない人気種が存在する事実を受け入れるしかない。


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左 :タマヤスデのすまい。こんな木の下にいたこともあるし、腐った内側にいたこともある
右 :冬の眠りについていたタマヤスデ。起こしてごめんよ


 それで話を現場に戻す。
 冬枯れの雑木林に横たわる1本の木。それをヨイショとひっくり返すと、つるりんとした何かが見えた。
 とっさに、タマヤスデだと思った。最初にはっきり認識したのは鹿児島であり和歌山だったから、暖地でないといないのかなあと思っていたが、そうではなかった。タマヤスデは国内で10種ほど見つかっている。
 種名まではわからないが、1匹見つけると、あっちの木にもこっちの木にも、かなり高い確率で現れた。
 なかには土まんじゅうのようなドームから顔を出すものもいた。それがたまたまなのか、あるいはそうしたすまいを自らつくるのか知らないが、コガネムシなどで見られる蛹室(ようしつ)のようなものがいくつかあった。だが、多くはそのまんま、まるでダンゴムシのように体を丸めて眠っていた。


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左 :2匹のダンゴムシと並んだヤスデ。タマヤスデでなくても、こうして丸くなると横顔は似ている
右 :ダンゴムシのおしり。タマヤスデよりはデザイン性が高いように感じる


 手の上に乗せる。
 どう見てもダンゴムシだ。
 ダンゴムシがタマヤスデのまねをしたのか、タマヤスデがまねたのか、どちらが先なのか知らないが、両者を並べればたぶん、きょうだいか親せきだと思う人は多いだろう。
 ところがどっこい、学問的にこの差は大きい。大ざっぱにいうとダンゴムシはエビやカニの仲間であり、タマヤスデは名前からも想像できるようにヤスデやムカデの仲間なのである。
 ヤスデだから、「ワラダン」から外れる。しかし、これはこれで人気があり、外国種のいくつかはペットとして国内で飼われている。
 だからといって「ワラダンヤスデ」と呼ぶことはない。後ろにヤスデと付くと、ワラダンというヤスデの意味になるから、一大勢力を誇るワラダンから総攻撃を受けるかもしれない。うかつなことは言わぬがいい。もっとも、いまのところ、どこの誰も言っていないようではあるが......。


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左 :正面から見たタマヤスデ。ダンゴムシとはちょっとちがう雰囲気が漂う
右 :タマヤスデに似るダンゴムシだが、タマヤスデとは顔つきが異なる


 いずれにしても、ダンゴムシとタマヤスデがそっくりであることは否めない。
 でも、たしかに違う、なるほど違うと思えるところがいくつかある。
 どこが異なるのか。
 見てわかるひとつは、あしの数だろう。ダンゴムシは7対14本だが、多足類に分類されるタマヤスデは17対34本もあるという。という、なんてあいまいに記すのは、何度か数えようとしたのだが、思うように数えさせてくれないのである。
 タマヤスデのあしは体節の中央から生えていて、体節の端っこにくっつくダンゴムシのあしとはつくりが異なる。しかも、タマヤスデのあしはほかのヤスデ仲間と同じように1体節から2本ずつ生えているせいか、動きはまさにヤスデなのだ。
 この当たり前と思えることが、歩き方の差に表れる。ダンゴムシが片方ずつ1本ずつあしを動かすのに対し、タマヤスデは体節ごとのあしを同時に動かす。ダンゴムシがちょこちょこ・とぼとぼ歩くとしたら、タマヤスデはうねうねした感じで、波打つよう、流れるようにあしを動かしつつ前に進むのだ。二人三脚を競ったら、あしをそろえて動くのに慣れたタマヤスデの圧勝だろう。


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左 :ダンゴムシのあしは中央から生えていない。歩くときも左右はそろわない
右 :あしの数はダンゴムシよりもずっと多いタマヤスデ。しかも体節の中央から生えている


 繁殖方法も大きく異なる。タマヤスデはヤスデの一種なので、卵を産んでふえる。ところがダンゴムシは赤ちゃんを産む卵胎生的なふえかたをする。おなかから、赤ちゃんダンゴムシ、略して赤ダンがわらわらと出てくるのだ。
 今回見つけたタマヤスデがどんな卵を産むのか。
 それは楽しみに待ちたいが、ヤスデ類は一度に100個も200個、300個も産むらしい。見た感じではタマヤスデがそんなに大量の卵を産むようには見えないものの、仮にある程度ふえても、いやいや感は薄いのではないか。
 と思うこと自体、どうやらタマヤスデに心を奪われつつあるようだ。
 そうなのだ。何匹もいたので、ちょっと飼ってみるかなと思ってわが家に同行願ったものが、落ち葉を入れただけの容器内でなんとか生きている。
 最初は寝起きする部屋に置いたのだが、ウンともスンとも言わぬ。ものを言わないのはよしとしても、まったく動かず、死んだように見える。
 ありゃりゃ、こりゃりゃと心配になり、いくらか暖かい部屋に移した。
 すると、あれまあれまあ、こんなに動いたらハラが減るでしょ状態で活発に動く。見る側としては、うれしい。でも野外だとたぶん、冬越しの最中だ。このまま暖かい部屋に置くのがいいか、それとも......。
 結局はいつものように悩みつつ、かといってほかの手も思いつかず、いまも目の前に置いている。


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左 :見つけたタマヤスデは小さくてかわいい。世界にはメガと呼ばれる種類もいるのに
右 :タマヤスデにとりあえず与えた落ち葉は、気に入ってもらえたようだ。きれいな標本ができつつある


 ちょっと小柄な個体は若者だろう。成体とおぼしき他の個体に比べると、体色が薄いというか、明るい。まずはこれが脱皮するところでも見られたらよしとしよう。
 ダンゴムシは体の前後、半分ずつの脱皮だが、ヤスデだから、そこは一気に脱ぐのだろう。
 だけどダンゴムシにそっくりだから、もしかして、なんて思ったりするが、それはないだろう。
 でもそれは、見てからのお楽しみということで待つに限る。
 待つは松につながる。花札でも「一松二梅三桜......」と数えるように、いの一番に位置づけられているではないか。
 自分の目で見られたら、ことしは春から縁起がいい!
 となるといいのだが、どうでしょうね。
 いずれにしても、タマヤスデがいるだけで楽しい夢がみられる。
 好き・嫌いはまさに、人それぞれなのである。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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