MENU
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2019年6月11日
派手すぎる子ども服――ツマグロヒョウモン
先だって、ある文学関係者の集まりに出かけた。そこで久しぶりに会った編集者とこんな話をした。
「最近、イモムシの本をつくったんですよ」
「ちょっとしたブームですからね」
「それで、イモムシをもっと見たいのですが、いい方法はありませんかね」
まじめな人で、どの本づくりにも情熱を傾ける。そのイモムシ本をつくる際には著者のサポートがあっても、ひと仕事終われば自分だけで探すことになる。そうなって初めて、イモムシと出会うのは意外に難しいものだと気がついたという。
ぼくはプチ生物研究家を名乗り、虫が好きだということになっている。だがしかし、イモムシ・ケムシは苦手だ。それなのに飼育にはたびたび挑戦するのだから、信じてくれない人もいる。でもやっぱり、好きにはなれない。
見るのはいや→だけど、どんな虫なのかは知りたい→飼ってみるかな、といった消極的かつ短絡的な発想でチョウや蛾の幼虫をわが家に招待するのだから世話がない。
その編集者には結局、「気をつけていれば、けっこう身近にいるものですよ」と、答えにならない答えをした。
チョウの標本づくりに精を出す友人から何度か、さなぎをもらった。
さなぎはいい。えさをやらずに済む。それになにより、イモムシ・ケムシである幼虫と付き合わなくていいのである。
愛好家は卵からの飼育を試み、飼育中は持てるだけの愛情を注ぎ、常に新鮮なえさを与えることに努める。
足りなくなれば、いばらの道も吸血昆虫の猛攻撃もなんのその。すべてはかわいい幼虫のためにあるといわんばかりで、えさ探しに奔走する。そのおかげで幼虫は無事にさなぎになり、しかるのち、立派なチョウに変身する。そしてその美しさをずっと保てる、標本箱という新たな住まいまで与えられるのだ。
――ん。これでいいのかな?
と思う気持ちもあるのだが、とりあえずはおくことにしよう。
二等飼育士のぼくに、そんなことはできない。だから、身近なところで食草・食樹が手に入らないと、幼虫に手を出すことはない。
右 :ニックネームは「菜の黒虫」。こんな外見だからか、ニンゲンには嫌われている
ありがたいことに、狭いわが家の庭にもやってくるチョウや蛾がいる。
野菜づくりのまねごともしているから産卵場所に選ばれるのはあまりうれしくないが、「ナノクロムシ(菜の黒虫)」の俗称で知られるカブラハバチの黒い幼虫、ヨトウガ類のお子さんである「ヨトウムシ(夜盗虫)」、ナミアゲハ、キアゲハ、モンシロチョウ、アカボシゴマダラ、ツマグロヒョウモンなどが常連さんだ。
好奇心はあるから、「へえ、これがあのチョウになるのか」といったオドロキを与えてくれることには素直に感謝する。
アゲハ類の幼虫の頭をこづいて臭角を出させ、むはふっとむせかえる自虐的な楽しみも教えてもらった。だからといって、それを無理やり何度も出させるニンゲンにも困ったものだ。幼虫に口がきけたら、「いい加減にしろよ!」とまさに角を出さんばかりの勢いで口撃をしかけてくるにちがいない。
左 :正面から見たアカボシゴマダラの幼虫。ネコの顔のようにも見えて、あんがいイケる
右 :羽化したばかりのアカボシゴマダラ。お疲れさんデシタ
外来種のアカボシゴマダラは、もう何年も前からわが家に逗留するようになった。いつのまにか庭に生えてきたエノキの木にやってきては、卵を産みつける。
卵から出れば、イモムシさんだ。その姿が在来種であるゴマダラチョウに似ているのは当たり前として、オオムラサキの幼虫にも似るところは愛きょうのつもりか。
いわば、キブンダケオオムラサキ。つまり、気分だけはオオムラサキと一緒に暮らしているつもりになれるよ、といったところかもしれない。でも、そう言われてもなかなか......。
同じエノキを食することでイモムシの外見が似る現象を、生物学では「同じ釜の飯効果」と呼ぶ。
なーんていうのは、まったくのデマだ。よそでは決して、話してはなりませぬ。
そんなアカボシゴマダラと時期を同じくして、ツマグロヒョウモンが現れる。雌雄ではねの模様が異なり、「ツマグロ」の名は雌のはねが黒っぽいことに由来する。
左 :ツマグロヒョウモンのメス。「ツマ」は妻の意にあらず。わかりやすくいえば、端っこだ。はねの先が黒いっぽいでしょ
右 :ツマグロヒョウモンの幼虫を正面から見た。このご面相では、同じ庭にすむアカボシゴマダラの幼虫に負けそうだなあ
「あー、そういうことか。雌だから妻、って表現したんだね」
そう考える人がいたが、そうではない。この場合の「ツマ」は「褄」とか「端」の字を用いることばで、この雌チョウの前ばねの先端部分が黒紫色であることから名づけられた。したがって、ちらっとでも、色黒の奥様なんて思い浮かべてはいけません。
そのツマグロヒョウモンを呼び寄せるのは、パンジーの鉢植えだ。ぼくらが子どものころは春の花と認識していたが、近年は冬春ものとして植えられる。寒さに強いうえに、さまざまな色の花を咲かせるのだから、普及するのもよくわかる。
で、わが家でも毎年、タネから育てたり苗を買ってきたりして、植えている。ほんとうは花殻摘みや切り戻しをした方がいいのだが、つい手を抜いてしまう。気がつけば、鉢からはみだして、蓬髪状態である。
よく言えば、ワイルドになる。
と、ツマグロちゃんがやってきて、卵を産んでくれるのである。アカボシゴマダラは葉の表側に産卵するが、このチョウは裏側に産む。見るともなく見ていると、おしりをぐいっと曲げて、ひと粒ずつ産んでいる。
ところがこれまで、その卵を見たことがなかった。
――これはいかん。家主としての責任を果たさなければ。
ある時、決心した。そして、たんねんにパンジーの葉の裏側を探すと、たしかに卵がある。
チョウの卵は、鶏卵のように単純な卵形ではない。種によって、実にさまざま、個性的な形状の卵を産む。
ではツマグロヒョウモンの卵はどうかというと、さて、どう言えばいいのか。チョウの卵に興味を持つ人はそんなにいないだろうから、とりあえずはモンシロチョウのような、とでもしておこう。「アゲハ類の卵なら見たことがあるよ」という人には、あんなに丸くはないとだけ伝えることにしよう。
右 :ツマグロヒョウモンは裏側から見るのがいちばんだとぼくは思う。いやあ、きれいだね
左 :咲き始めたころのパンジーはただ美しいだけ。事件はそのあと起きる。毎年の「恒例事件」だ
右 :トウモロコシの先っぽをちょん切ったようなツマグロヒョウモンの卵
なんだか卵に対するこだわりが強いような言い方になったが、卵の形はどうでもいい。言いたいのは、「もうちっと、考えて産んだ方がいいんではないの?!」ということである。
ツマグロヒョウモンは長いこと、野生のスミレを食草として生きてきた。ところがガーデニングブームの到来でパンジー人気が高まり、あっちでもこっちでも植えるようになった。
そこで、ツマグロちゃんたちは考えた。
「ニンゲンの植えたパンジーも、スミレの仲間でしょ」
「んだな。街にいっぱい生えてるよ」
「そんなにあるなら、パンジーをもっと利用しないとね」
チョウ語でこんな会話を交わし、街へと繰り出したのだ(たぶん)。
その考えは否定しないが、それにしてもアナタたち、あまりにもかためて産みすぎていませんか、とぼくは言いたい。
たいていのことは言いっぱなしで終わるのだが、ちょっと余裕があったので、わが家のパンジーをあらためて見た。
すると、いるわいるわ。一株当たり7~10匹の幼虫が葉にしがみついていた。
成長の各ステージが一度に見られるような株もある。卵、ふ化幼虫、1齢幼虫、2齢幼虫......。さすがに成虫はくっついていないが、それはまあ、当然だ。はねがあるから、羽化してはねが乾いたら、どこぞへ飛んでいく。
左 :ツマグロヒョウモンのこの色彩。いきなり見せられたら、たいていはびっくりする
右 :年の離れたツマグロヒョウモンの幼虫きょうだい。「あたしも早く、あんなふうにきれいになりたないなあ」だって
イモムシ・ケムシが好きでないことは告白済みだが、このツマグロヒョウモンのお子さまは、好き・嫌いを超越した色彩感覚を身につけている。赤と黒を基調にした配色で、ありていに言えばケバい!
しかも悩ましいことに、イモムシと呼ぶのがいいか、はたまたケムシがいいのかと迷わせるお姿なのである。毛というほどに細くはないが、多くの人が想像する、体表のつるんとしたイモムシでもない。やわらかい毛というのか、とげと呼ぶのか、判断に困る。
そんなのが、さまざまな成長を見せつつ、同じ株で暮らすのだ。まるでどこかの小学校に迷い込んだのではないかと思えるくらい、奇妙な共同生活を送っている。
その先どうなるのかも予想はつく。しばらくすると葉という葉を食べつくし、葉柄だけにしてしまうのだ。そしていよいよ食べるものがなくなると、当てのない旅に出る。
運がいいコドモは、やさしい家主の好意で、まだ葉を残すパンジーに移してもらえる。そうでないものは......大急ぎでさなぎになれ!
ここで再び思うのだ。それにしても、オマエたちの親は何を考えて、こんなにたくさんの卵を産んでしまったのか、と。
左 :いつものように雑然としたわが家の「菜園」、と呼んでいいのだろうか?
右 :ホースラディッシュの葉を裏返したら、おびただしい数のモンシロチョウの卵があった。しかもさらに産むつもりのようである
あきれ果て、とつぜん、庭の草むしりを始めた。特別な意味はない。狭い庭なので、小松菜があればジャガイモ、キャベツ、トマトもある。ナス、レタス、ピーマン、シシトウ、ヤマノイモ、ツルムラサキ、オクラ、チコリ、アピオス......と雑多なものが雑然と植わっている。
何気なく、ホースラディッシュの葉に目をやった。ローストビーフと一緒に出される、あの西洋わさびだ。
とそこには、モンシロチョウの奥さまが産んだとおぼしき卵が1枚の葉に三十数個あったのだ! パンジー1株に10個程度の卵で騒ぐ方がおかしい。
――ごめん、ツマグロちゃん。
ぼくは、心の中でぼそっと謝った。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。