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2019年5月10日
持ちすぎてうらまれる――ヤスデ
1等よりも2等、2等よりも3等......と数字が大きくなるほど、ランクが上だと思っていた。うんとむかし、小学生のころのことだ。
お年玉をもらえば百円よりも千円、千円よりも1万円のほうがうれしい。当時集めていた切手だって、1枚よりは2枚のほうがずっとよかった。だからなのかわからないが、順位を競うことはだいたいにおいて苦手だ。
そんなところから生まれた格言が「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」である。
――なんてことを信じる人はいまいが、これをムシの世界に当てはめたときに思い浮かぶのがムカデ、ヤスデ、ゲジなどの多足類だ。その名の通り、あしの数が多い。そして、多すぎるゆえに、嫌われる。
それでも、ムカデはまだいい。毒を持ち攻撃性が高いという嫌われ度は高いものの、見た目にはカッコいいからだ。ゲジはヒトに見つかるとサササッと逃げだし隠れようとする小心者のイメージがあるうえ、あしがすぐにとれる習性があわれみを誘う。
左 :ムカデ。おっかないけど、カッコいい。体の1胴節から1対のあしが生えている
右 :トイレの片隅にいたゲジ。あしの数・長さだけでなく、あしがよくとれることでも有名だ
残るのがヤスデだ。ムカデ、ゲジに比べると印象が薄い。あしの多さでは両者をしのぐようだが、これといった特徴がないように思われがちだ。
ところがヤスデは、意外にいいやつである。自然界では分解者として落ち葉や菌類を片付ける役割を担う。つまり、自然界の掃除屋さんということになる。
樹木の幹で見たヤスデのなかには、地衣類をかじっているようなものがいた。俗に「牙を持つ原始的な蛾」として一部で有名なコバネガを探しに出かけた際には、幼虫のえさとされるジャゴケの上にいるヤスデを見つけた。
左 :特別出演のコバネガ。「映画スター」モスラのモデルともされる原始的な蛾だ
右 :ジャゴケの上のヤスデ。コバネガを探しているときに見つけた
「へえ、意外におとなしいムシなんだな」
という印象を持つのは、そうやって単独でいる場合だ。
マクラギヤスデという、これまたストレートな命名に感心するものがいる。これなどは初めて見たとき感動し、つい飼ってしまった。
とはいっても、真剣に飼育する対象にはなり得ず、ミミズだったり、トビムシ、ふん虫だったりとのシェアハウスでの滞在だ。腐った葉っぱの混じった土を入れたところで、しばらく観察した。
「おお、きょうも無事であるな」
「なるほど、よく洗った枕木のごとく美麗であるよなあ」
と愚にもつかない感想を述べる程度のお付き合いであった。
右 :ミミズと一つ屋根の下で暮らすマクラギヤスデ。争いはまったくない
マクラギヤスデはぼくの周辺では普通種なのだが、ちょっと似た感じのヒラタヤスデは国内に数種しか知られないグループだという。
ぼくにとってはマクラギヤスデもどきのヒラタヤスデは、驚きの習性を持つ。「ヤスデ」という侮蔑的な名前からは想像しがたいが、親ムシが卵を保護するのだ。しかも、卵を守るのはオスだという。オスは、メスが産んだ卵を1週間ほど抱きかかえるようにして守るというのだ。
さらにびっくりしたのは、オスは必ずしも自分の配偶者の卵でなくても保護するという研究報告もある。なんともうるわしき父性愛ではないか。
だけどまあ、ムカデの仲間も卵を抱いたりなめたりして、外敵やカビから守る習性が知られている。だったら同じようにも思えるのだが、それをするのは母ムシだ。ヒラタヤスデは、その点でも珍しい。
そうなるとどうしても自分の目で見たいものだが、いまのところ知己を得られない。
それどころか。絶滅が心配な生き物をリスト化したレッドデータに含まれる種さえいるのだ。
ヤスデに限らず、「嫌われ者なんだから、いなくなっても困らないでしょ」的な見方をされている生き物は多い。だからというか、だからこそというのか、人知れず消えていくものたちもまた多いのだ。ヒラタヤスデがそうならないことを祈るばかり、出会いもまた祈念するだけである。
左 :食べていたのかどうか確かめていないが、蘚苔類にいたヤスデの一種
右 :ヤスデ、ヤスデ、ヤスデ......。これでは嫌われてもしかたがないなあ
いやはや、なんだか、ちょっとさびしい話になってきた。気分を変えるためにも、元気で型破りのお姫さまに登場願おうか。
それは、『堤中納言物語』の「蟲愛づる姫君」だ。そのお姫さまが、虫を捕らえて持ってくる子どもたちにさまざまなニックネームを付けていたというくだりがある。いわく、「けらを、ひきまろ、いなかたち、いなごまろ、あまびこなんど」。ケラとかヒキガエルと並んで、最後の具体的なあだ名として出てくるのが「あまびこ」だ。
漢字で書けば、「雨彦」。雨彦とくるとどことなく優雅なものをイメージするかもしれないが、その意味は雨が降るようなときに目にする生き物ということで、何を隠そう、われらがヤスデの古称なのである。
ヤスデはたしかに、じめじめした環境を好む。わが家でいえば、植木鉢や敷石を持ち上げると姿を現す。それを「ヤスデ」という無機的な名前で認識すると、どことなくあやしげな不審者となるのだが、「あまびこ」さんだと思えばすこしはちがった印象を持つ、かもしれない。まあとにかく、人それぞれだからね。
雨彦が生息環境を連想させることばだとすると、「筬虫(おさむし)」はその形状からの古名だろう。「筬」なんていう漢字はふだん使わないが、機織り機に使われている部品のことだ。たて糸をそろえ、よこ糸を押し詰めて織り目を整えるためのものだと説明される。
でもまあ素人目にはくしの歯、あるいは鳥かごの一部のようなものだ。細長いところに何本もあるから、ヤスデのあしを連想するのは難しくない。
右 :ヤスデの古名のひとつは、機織り機に使われている筬にちなんだものとされる
ヤスデの古名には、「銭虫」「円座虫」もある。これらはヤスデの習性からきたものだろう。
嫌われ虫だからじっと見ることはしないかもしれないが、ヤスデをいじめると丸くなることが多い。いわゆる、ぐるぐる巻きだ。それをコインに見立てたり、わらで編んだ敷物にたとえてもなんら不思議はない。
それよりも、「馬陸」という漢字の意味するところがわからない。馬にはたてがみがあり、陸が土を盛った小高いものを指すとしたら、畑の畝のようなものにたてがみのような数多いあしがあるムシということで、そう記すようになったのだろうか。「馬」「陸」をドッキングさせた強力な文字だけに、気にしだすと終わりがない。
それに比べれば、手やあしの数が多いものに使った「八十手」「弥十手」(やそで)はよほど、すっきりする。数が多いということから、「八百万(やおよろず)の神」なんていうことばはよく耳にするもんね。
習性のひとつとして丸くなることを紹介したが、丸くなるムシの代表といえばダンゴムシだろう。「マルムシ」とか「タマムシ」とも呼ぶことはよく知られる。といっても、法隆寺の「玉虫厨子」で有名な金ピカの甲虫・タマムシの話ではないので、ツッコまないでほしい。
左 :これはおなじみのダンゴムシ。あしは7対14本にとどまる
右 :ヤスデには原則として1胴節から2対ずつ、あしが生えている
面白いのは、ヤスデにもダンゴムシそっくりの球状になるものがいることだ。しかも案外、身近にいるというではないか。
「もしかしたら、もう出会ったかも......」
そう思ったときにぼくがとる行動のひとつは、撮りだめた写真を見直すことだ。ダンゴムシのような姿かたちで、わかりやすい見分け方としてはあしの数を確かめることらしい。
で、写真を1枚ずつ見ていったのだが、そしたら別の場所で撮影した中に何枚か、それらしいものがあった。いつもの通り、まあ後で調べようと思いながら、そのままにしておいたものだ。体節の数や首のあたりがどことなくダンゴムシとは異なる。こんど見つけたら、もっとしっかり観察することにしよう。
とまあ、いつもながらの今後に期待というパターンだ。
だって、次につながる課題のある方がずっと楽しいんだモン。そう思わないと、クヤシイではないの!
右 :これはたぶんタマヤスデの一種。からだの節の数がダンゴムシよりも多い
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。