農業のポータルサイト みんなの農業広場

MENU

きょうも田畑でムシ話【73】

2019年4月 9日

永遠不滅の面妖キャラ――ヒキガエル  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 桜が咲くと、世の中がもわっとふくらんだように感じる。空はより青く、漂う空気ものんびりのどかにたゆたう感じで、地球全体の色がひときわ明るくなったようである。
 と思う人が多いのかどうか知らないが、テレビも新聞も申し合わせたように桜の開花情報をビシバシと送りつける。まちがっても、「ああ、いやだいやだ。桜の開花なんて見たくないよー」と嘆き悲しみぼやく一群れがいることは、まず伝えられない。
 われら花粉症族にとって、桜の花咲く時期はちっともうれしくないのだ。花びらよ早く散れ、いつまでとどまるのだ、早くみどりの葉に塗り替えよと心のうちで念じながらも、「見事な桜ですなあ」「ほんに、まったく」などと、それこそまさにサクラではないかと疑いたくなるような会話を交わすばかりである。
 ――なんていう人ばかりでないのは重々しぶしぶしかたなく承知しているのだが、どうにもひとこと言わずにはおられぬヒレクレ者もおるのだよ。


tanimoto73_2.jpg 「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」というショッキングな書き出しで有名な小説『櫻の樹の下には』 を著したのは梶井基次郎だが、それに比べるとあまりにも陳腐で規模も小さく、まさにミクロレベルのおはなしになるのだが、わが家の庭土の下にも、いろいろなものが埋まっている。
 梶井流にいうなら、カブトムシやクワガタムシの死がいがある。人間とちがって外骨格からなる生きものだから、内臓は朽ち果てても、外側のボディーはしっかり残る。そしてそれらが土をほじくった拍子に浮き出してきて、おおそうであった、キミであったのだな、と思い出させてくれるのだ。だがたいていはおぼろげな記憶でしかないため、「キミ」などと特定できないのが真相である。
 そうした外側主体の甲虫類のほかにも、収穫時に逃げられた芋類のカケラなどにも出くわす。俗にいう、野良芋だ。さらには春の開花をめざして芽を伸ばし始めた球根類をうっかり掘ることもあるのだが、そんな小物はこの際、どうでもいい。
右 :山で見る桜。その下にはたしかに、落ち武者のむくろのひとつぐらい眠っているかもしれないと思えてくる


 話は昨年の春まだき、冬の影をひきずっている時期の土起こしにまでさかのぼる。少しは畑を耕したほうがいいだろうなあ、とスコップ片手に土を起こした。と、その下から何やら、いくらかぷにょ感を漂わせる物体が現れたのである。
 はてな、と思いつつ土を払う。
 その時しっかりと姿を見せたのは、オスのヒキガエルだった。


tanimoto73_3.jpg  tanimoto73_4.jpg
左 :庭の野菜も急に育ちだす時期。カエルの事件はこのとき、この現場近くで起きたのだ
右 :眠そうな目。「蛙の目借時」といえば、春の季語だよね


 「アンタ、いつからそこに隠れとったの?」
 当然の疑問を胸に、しかし口に出せば隣近所からアヤシゲな視線を投げかけられるのは必至だからあえて黙し、ただただ、じっと見つめる。
 そんなぼくの事情など知るよしもないヒキガエルは、どことなくねぼけたような顔をして、とにかくこの場から逃げねばならんとばかりに、あしを伸ばす。
 もぞっ、のそっ。
 もぞぞ、のっそり。。
 しかし、それくらい動かしただけで、ぼくの視野から抜けだすことはできない。ほとんど同じ場所でもがく状態が続いた。それがまた、ほほえましく思えてくる。


tanimoto73_5.jpg とはいえ、それにも限度がある。ぼくはその珍客を丁重に、そこらに転がっていた植木鉢へとお招きした。
 最初の鉢はすこしばかり小さすぎた。そこでもうすこし大きな鉢に移して、しばらくようすをみた。
 前あし・後ろあしをぐいっと伸ばしても、逃げ出せそうにない。安心して、それでも念を入れようと、鉢の上には板をのせ、逃亡防止の策とした。

 ところが、その考えは甘かった。あくる日には早くも姿を消し、その行方はだれも知らぬところとなった。
 「ここから逃走しようなんて、そうとうな覚悟がいるよね」
 「産卵場に早く行きたい一心で、カエル跳びをしたのよ」
 のんきな家族は、知能犯のヒキガエル逃走劇を知って、ノーテンキな会話を交わした。
 なぜ、どうやって彼の背丈を大きく上回る鉢から抜け出せたのか。謎のまま、1年が過ぎた。
右 :この鉢ならなんとか滞在願えそうだ、と思ったのだが、あっという間に姿を消した


 そしてこの春。彼はふたたび、姿を現したのである。
 その手口というのか出現のしかたが、あまりにも大胆だった。
 「いやあ、いい湯でっせ」
 とニンゲンさま、いやこの家のあるじであるぼくをあざけるかのように、メダカの水槽につかっていたのだ。


tanimoto73_6.jpg  tanimoto73_9.jpg
左 :メダカの水槽はビニールで囲って、暖かくしてあった
右 :湯治気分のヒキガエルさん。さて、湯加減はどうでしょうかね


 最初は、だれかが大きな石を放り込んだのだと思った。握りこぶしを上回るサイズだから、春風に乗って飛んできたものではない。
 いたずらとしたら、ちいとヒドい。庭の奥まったところに置いた水槽だからだ。それに、そんなことがあるとしたら、防犯上も問題がある。
 第一、こんなにも大きな石がどこにあったのか?
 そう思って目を凝らすと、なんと!
 石が動いた。
 それができるのは、ひそかに鍛錬しているぼくの超能力が、いよいよ目覚めたからにちがいない。
 なんて想像をしながら見ていると、石からあしが生えてきて、見事なカエルに変身した。
 まごうことなく、ヒキガエルだ。
 そのとき頭に浮かんだのが、妖術をあやつる伝説の忍者・児雷也だった。
 だが、それはあまりにも荒唐無稽である。あらためて見直し、もしかしたら、昨年この庭から消えたヒキガエルではないのか、という思いに至った。


tanimoto73_10.jpg  tanimoto73_8.jpg
左 :怒っていたのか、体をふくらませた去年のヒキガエルさん
右 :黒いパッドがカッコいい。オスの証だ


 前あしの指を見たところ、メスを抱きかかえるためのパッドらしきものがある。
 オスである。ということは、その可能性を否定できない。
 それよりも驚いたのは、そのふてぶてしいさまだ。
 メダカはかなりの低温に耐えてくれる。怖いのはむしろ、夏の暑さだ。それでもいくらか快適な冬越しをしてもらおうと、水槽の三方はビニールで覆ってある。春になれば日中は、ちょっとしたリゾート気分が味わえるはずだ。
 そんなメダカ愛から設けた、快適環境のはずだった。
 それなのに、あろうことかヒキガエルがその水の中に体をひたし、どう見ても温泉気分を味わっているのだ。
 図々しいったら、ありゃしない。
 だがしかし、なかなか絵になるではないか。


tanimoto73_15.jpg  tanimoto73_13.jpg
左 :かつて飼っていたヒキガエルの幼体。この中の1匹が数年を経て、姿を現したのだろうか
右 :たくましいヒキガエルさん。この太い腕、スゴい!


 しばらくはそうした図を楽しませてもらったが、そのうちに1年前の記憶がよみがえり、昨年の汚名をそそごうとばかりに同じ大きさの鉢を持ち出して、その中に入れた。
 彼は前あしをうんと伸ばし、高さをはかるようなしぐさを見せた。
 そして次の瞬間、びよーんと高跳びをしたのである。しかし逃亡は未遂に終わり、「その気になればいつでも逃げられるんだぜ」「去年だって、こうやって跳んだんだよーん」という可能性があることを身をもって示した。
 あわてたぼくはその轍(てつ)は踏まぬと、網をかぶせ、しっかりひもで結んだのである。
 もちろん、底には土を詰め、その上には落ち葉をかさねた。
 水槽に入ったくらいだから水浴びもしたいのだろうと、水を張った水槽も備え付けた。これなら、リゾート気分も味わえるはずだ。


tanimoto73_12.jpg するとその翌日、また新しい芸を彼はみせた。落ち葉をかぶった状態で鳴いたのである。
 ブルーン・ブルーン・ブーン......。
 まるでバイクのエンジンをふかすような連続音だ。
 ――えええ、え?
 クククククとかココココ、キュー、クウーという声は過去にも耳にしているが、今回はまるでちがった。
 ぼくの知っているヒキガエルのオスは、春先の繁殖期だけ、鶏の鳴き声に似た音を発し、そそっかしいオスがオスのからだにしがみついたときには、ゲッゲといった発音をするだけだった。
 すぐさま、その2日間の出来事を家族に伝えた。
 「カエルだもん、それくらいの跳躍なんて、当たり前でしょ」生物家
 「そりゃあ、鳴くよ。ヒキガエルだからさ」
 こうしてプチ生物研究家の面目は、大きくつぶれるのだった。
 してその真相は......いまも鉢の中の落ち葉の下に隠れている。
右 :こんどは滞在を決め込んだのか、おとなしくなったヒキガエル。怪音はこのあと、葉っぱにもぐってから聞こえてきた

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

「2019年04月」に戻る

ソーシャルメディア