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2019年3月12日
牛と肩並べる家畜の虫――ミツバチ
引っ越してすぐ、人は庭に何を植えるのだろう。ぼくの場合は迷わず、レンゲとソバだった。
レンゲなら、窒素固定をして、土に力を与えてくれる。ソバはやせた土地でもよく育つ。強いていえば、そんな単純な理由からだった。
ホームセンターに出かけてタネ売り場を見ると、その2種類の袋がぼくを待ってくれていたように思えた。
レンゲは庭全体にまき、ソバはフェンスに沿って、ぐるりと囲むようにまいていった。彼らはみごとに、ぼくの期待に応えてくれた。一般の住宅にふさわしくないソバの白い花はけっこう、道行く人の目を楽しませたようである。
右 :引っ越してすぐにまいたのは、レンゲの種だった。窒素固定をしてくれる一方で、ミツバチのみつ源ともなった
レンゲの花は、道からは見えない。そんなに目立ったら、空き巣だって心配だ。ところがミツバチの目をごまかすことはできず、いつも数匹が庭で遊んでいた。
わが家の隣には当時、ニホンミツバチの巣箱があった。空き地になっていたのを幸い、近所の人が養蜂もどきのことをしていたのだ。
「プーさんみたい!」
そう言ったのは、まだ幼い娘だった。クマのプーさんのおはなしが好きで、よく読んでいた。だから、プーさんのはちみつ好きはよく知っていたのである。
そして、付けた名前が「プーおやじ」。もちろん、ご本人はいまも知らない。実際には、おじいさんとよぶべき年齢のようだが、「プーじいさん」だとあいまいな品格が生まれてしまう。だから、ネーミングとしては、まずまずの出来だったと評価している。
プーおやじが言った。「刺さないから、大丈夫だよ」
普及しているセイヨウミツバチに比べれば、おとなしいといわれるハチだ。しかし、幼な子が引っ越してきたことで気をつかったのか、しばらくしてニホンミツバチの巣箱は消えた。珍しいハチが身近で観察できることをぼくは内心喜んでいたのだが、たしかに、刺されでもしたら大変だ。かくして、のちに名作と評されるはずだったぼくのニホンミツバチ観察記は、幻と消えた。
左 :蜂洞のスリット。手づくりらしい趣が感じられる
右 :ニホンミツバチ。黒みかがかっていて、精悍な感じがする
ミツバチは集団生活を基本とする。それは徹底していて、人間でいえば成人してからもずっと、ひとつ屋根の下で暮らすのだ。最近はシェアハウスが増えているようだが、シェアもシェア、しかも大半がメスだけの特殊な世界である。
かつての日本人は「うさぎ小屋」に住む「働きバチ」にたとえられたが、実際の働きバチのみなさんは、うさぎ小屋よりももっと狭い場所にいて、それでも文句ひとつ言わずにせっせと働いている。
ところがあるとき、「そんなこともないよ」という専門家の研究結果が出て、ハチ社会に一石を投じた。巣で働くハチの2割はいつもサボっているという。それならと、ダメ社員ならぬダメ働きバチ2割を排除すると、残った中から新たなサボり組があらわれ、全体からみるとやっぱり、2割のなまけ者ができるというのである。かなり話題になった話だから、いまだにいろいろな場で語られる。
右 :ミツバチの巣箱。ハチにとってのマンションだ(なんて思っているかもね)
でもなあ、とぼくは思う。
人間社会では何かにつけて、数値目標が求められる。客観的に判断できる数字がないと、どれだけの働きぶりだったのか評価できないじゃないの、という理屈である。なるほど、もっともだ。
しかーし、なまけ者のひとりとして言う。ハチたちにそもそも、目標なんてあるのだろうか。
「おたくの巣、間取りはどれくらいザーマスの?」
「なんてこと、ありませんわ。ほんの5万LDKしかございませんのよ」
「何をおっしゃるの。わたくしんちもあと2万部屋は増やす計画なのに、サボってばかりのメイドが2割もいて、とても計画通りすすみませんの」
「それはまあ、お気の毒。大変ザーマスね」
しかしたぶん、最終的にはこれだけの規模にしたい、するのだという計画なんて、もともとないはずだ。女王バチの娘である働きバチにしても、母親の計画にどこまで付き合えばいいのか疑問に思っていて、でもなんとなくまわりの雰囲気に押されて仕事をしてしまうのではないか。そしてあるとき、これではいけないわ、と気づいたハチが仕事をサボり、人間社会ではやりの自分探しをするのだ。
なーんていうのは、いつも通り、なんの根拠もない戯れ言なので、よそで知ったかぶりをして話さんほうがええでっせ。
左 :ミツバチの巣箱。ヒトの目で見れば、みんな頑張っているように見えるのだけど。でも実際には、常に2割がサボっているのだとか。ハチは見かけによらない?
ミツバチのご先祖さまがこの地球に現れたのは、恐竜が姿を見せるよりも早かった。だから、あれだけデカい図体を持つ恐竜なのに、先輩であるミツバチには気をつかっていた可能性がある。でなければ、プーさんみたいな恐竜がいていいはずだ。したがって、恐竜のずっとずっと後輩であるホモ・サピエンスも、もっとミツバチを尊敬しないといけないのである。
考えてもみられよ。どこかで修業するわけでもないのに、羽化してすぐに働きだすのだ。しかも、俗にハニカム構造などと呼ばれる、強度抜群の形を生みだす。ハチの巣から人間が学んだハイレベルの構造である。
子どもたちにハチの話をしたとき、このすばらしい建築方式も紹介した。ただ話を聞くだけではつまらないから、コピー用紙で小さな筒をいくつも用意し、その外側にのりを付けて固定し、その上から力を加えた。すると意外や意外、そのハチの巣もどきはちゃんとその圧力に耐えたのだ。
まさに、タネのない手品。子どもたちから尊敬のマナザシを浴び、プチ生物研究家は悦に入るのであった。
右 :もはや芸術作品。蜂の巣づくりは、立派すぎる
ミツバチの一番のすごさはもちろん、はちみつをもたらすことにある。しかし考えてみれば、いや考えるまでもなく、彼女らの努力と労働の結果である生産物をば、われわれは搾取するのだ。彼女たちの気持ちも少しは考えなければならない。
「なによ、もう。また、地球新参者のホモ・サピエンスに持っていかれるの?」
「頭にくるよね、ったく」
「よね。家のもとになる木の箱をもらったから、少しぐらいなら、しかたがないわ。それなのに、なによ、ほどほどってことを知らないのかしら」
お怒り、ごもっとも。そこで生まれたのが、サボる2割の働きバチではないか。なにしろイイカゲンなプチ生物研究家であるからして、そんなことも妄想してしまうのだ。だから余計に、ミツバチさんをリスペクトする。
蚕(これだって、多くの女性が嫌う蛾の幼虫・イモムシだ!)と並んで家畜の仲間に入れてもらった、虫のエリートなのである。牛、豚、鶏と肩を並べる家畜ファミリーなのである。
その重要なミツバチが危ないといわれてから、もう何年も経った。養蜂家も減っている。もっともっと敬意を払い、しっかり向き合わないと、授粉作業だって支障をきたす。
「ふん。ばかばかしくって、やってらんないわ」
「むかしは、2割しかサボらなかったんだって」
「うそー。いまなんて、2割しか働いていないのに」
こんなミツバチ同士の会話が日常となる時代がこないとは、いえないではないか。
左 :ミツバチは蚕とともに家畜扱いされている
右 :セイヨウミツバチの分封。いわゆる新天地を目指しての巣分かれだ
信じる信じないは自由だが、セイヨウミツバチの巣群でみた最近の調査報告によると、彼女たちはいくつもの病気に同時感染しているそうだ。ぼくの体験からすると、花粉症と風邪ひきになるようなものかしらん?
しかも、同じみつ源に行くことで病気を広げるのだとか。風邪の治療でお医者さんに行き、そこでインフルエンザにかかるようなものなのか。
みつ源だって、どんどん減っている。少ない植物にいくつもの巣のハチが群れれば、感染の危険度はさらに増す。
風邪をひいてマスクをしてもたいした予防にならないそうだが、それでもしないよりはマシだろう。
「よし、こうなったらミツバチ用のマスク開発だ!」
このスバラシイ計画に乗る人は......うーん、おらんだろうなあ。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。