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きょうも田畑でムシ話【68】

2018年11月12日

泥水も見通す母の愛――トンボ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 野生の動物がひんぱんに通る道は「けもの道」と呼ばれるが、「なまけ道」があれば、ぼくは間違いなく、その道を歩んでいる。
 朝はなかなか、布団から抜け出せない。ひとに決められた予定がなければ、平気で昼過ぎまで眠っている。片付けが大の苦手で、本も箱も次から次へと積み上げて、すぐに収拾がつかなくなる。
 家庭菜園の園主であるぞ、なんてエラそうに宣言しながら、種まき時期をのがすのは毎度のこと。収穫遅れも珍しくない。
 まあ、怠けずに実行するのは、どんなに遅く起きた日にも三度の食事をとることぐらいか。
 そんなタチだから、何度もやってきたことしの勤勉台風と気が合うことはない。当然、後片付けも後回しになる。
 それでも、いつかはやらねばならぬ。そう思って怠慢癖がしみ込んだ体にむち打ち鼓舞し、ついこの間、立ち上がった。
 菜園の残さを取り除き、穴を掘り、その中に放り込んでから米ぬかをばらまき、水をかけ、土をかぶせて、とんだりはねたり。まあ、すこしは整理らしいことをしたのだった。


 そうしてながめると今度は、やはりずっと先送りにしてきたメダカの水槽が気になってきた。
 えさだけは、忘れずにやる。生き物を飼う者の最低限の心得として、それだけは欠かせない。
 かわいいことに、それに応えるようにメダカたちはどしどし卵を産み、子孫を増やしてくれた。
 感謝である。増えるのはいい。うれしく、めでたいことだ。だから、ごみの山だってどんどん大きくなるのだが、それはさておき、まずはメダカたちの住まいである。


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左 :メダカ水槽の水質を保つために赤玉土を敷いてあるが、汚れたままだと、やっぱりマズい。そこの底には赤虫が潜んでいる
右 :水槽を掃除すると、ボウフラもよく見つかる。ぼくとの仲は良くないが、邪険にしてもよく集まる


 水槽は定期的に掃除すべきだ。そうしないと、水草の根は伸び放題の増え放題。しかも、水はにごってドロドロになり、赤虫の一大増殖場と化してしまう。それだってもう、何度も経験している。
 ここでもわが怠け心は健在で、なるべく手が抜けるようにと考えた。
 水槽の底には赤玉土を敷き詰め、水質浄化に貢献してくれるタニシを入れた。そうすると、メダカの排せつ物がバクテリアの力も借りながら分解されるという、すばらしいものぐさシステムが構築される。
 それは確かにその通りだったが、何事にも限度はあるようだ。メダカ家族が増えた水槽ではふんの量も次第に増え、浄化システムが機能しなくなる。運が悪いと、弱いメダカからあちらの世界に旅立ってしまう。ことしのように暑い日が長引くとなおさらだ。
 それくらいことは足し算・引き算ができればわかりそうなものだが、なまけ道まっしぐらのぼくには、すぐに計算できなかった。
 その結果が、目の前にある。さすがに、動かねばなるまい。
 意を決して、これからも平然と怠けられるように、すこしばかりの努力をした。赤玉土を洗い直し、タニシもポトンポットンと落とした。


tanimoto68_3.jpg あれからまた、数カ月が過ぎた。
 よく見れば、水はわが労働にあらがうごとく濁りに濁り、ヒドラだって敬遠しそうなヘドロ状態。底には、プラナリアやイモリを飼っているときならまだしも、いまいてくれてもありがたくもなんともない赤虫たちがうごめいていた。
右 :汚れ切った水槽を掃除すると、底から現れる赤虫。その正体はユスリカの幼虫だ


 「まいったなあ」
 と、ほとんどひとの責任であるかのようにつぶやきながら、とにかくは水槽をきれいにしなければと水道のコックをひねった。
 勢いよく水が飛び出す。と、泥土と化した赤玉土の中から、あわててはい出るものがいるではないか。
 トンボの幼虫のヤゴである。
 しかも、1匹、2匹ではない。8匹も10匹もいる。
 庭に分け置いた水槽は十数個。次の水槽を洗うと、そこからも出てきた。そして、その次の水槽の底からもまた......。
 こうなると驚きを通り越してもはや、うひゃひゃ状態である。労せずして、空を制する虫の子がゲットできたのである。
 「おお、よくぞ来られた。待っておりましたぞ」
 時代がかったせりふを頭の中に浮かべ、表情筋もゆるめた。


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左 :水槽を掃除したら出てきたヤゴ。洗った赤玉土の水槽に移したものの、はて、えさはどうしよう。飢えないといいのだが......
右 :ヤゴの背中には、ちゃんとはねがある。早くからちゃーんと、将来に備えているのだね


 これまでに幾度か、わが庭ビオトープ作戦を企てている。バケツ稲作を試みたり、発泡スチロールに土を入れ、水草を植えてトンボ誘致の環境をととのえたりしたものだ。プラスチックのたらいも用意して水を張り、雨水をためる容器もそこかしこに放置した。
 しかし待つものは来ず、招かざる蚊のゆりかごとなって、わが身わが心を悩ませた。
 思うに、いかにもホレ来いヤレ来いという見え見えの下心を、母トンボは見抜いていたのではないか。それで産卵を避け、繁殖に水辺を必要とする同類の蚊どもに紹介状を渡したにちがいない、なんて思いたくなる。

tanimoto68_9.jpg 蚊に似た大柄のガガンボは、「蚊の母」が語源だとか。ひとを刺さないガガンボならまだしも、その子である蚊だけは来てほしくないのに、よりによってその蚊のための育児施設がわが庭にはたくさんできていたのである。
 そんなことを繰り返してきただけに、ヤゴたちの滞在はうれしい。蚊の幼虫であるボウフラだって食べてくれる。
 にわかに力を得たぼくは一生懸命、水槽を洗った。濁りが消えるまで赤土も洗って元に戻し、新しい水を張った。新居の完成である。
右 :水槽をすみかにしていたトンボの親......だという保証はまったくない。通りすがりのトンボである


 そのまましばらく放置し、水道水のカルキがいくらか抜けたところで、ヤゴを入れる。すると、いかにもうれしいといった感じでゆらゆらと水の底をめざし、新しいすみかに落ち着いた。
 水草も、生きもの仲間としてのタニシの子も入れてやった。見るからにすがすがしい、ヤゴの楽園の完成だ。
 ところがこのとき、ハタと気づいてしまったのである。
 見た目には美しい住まいとなったが、ヤゴたちにとっては、見通しのきく水域よりも、腹を満たすえさこそ、欲しいのではないのか。
 だから母トンボも、見た目にはやや難ありなれど食料には事欠かぬ赤虫ホテルを選んで、産卵したのではなかったか。
 浅はかな飼い主のもとでヤゴは苦労することになったが、早々に気がついただけ幸いであった。
 こういうこともあろうかと、庭の隅、庭木・雑草の陰にはまだ、隠れ水容器が残してある。
 「ふふふ。だから、安心したまえ、喜びたまえ」
 心の声がぼくの脳に語りかけた。これで水清くして赤虫住まずえさ不在という、飢餓の危機は乗り越えることができそうだ。


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左 :オニヤンマとコヤマトンボのヤゴたち。平べったい体をしているのが後者だ
右 :アオイトトンボのヤゴ。たまたま持ち込んだ水草にくっついていた


 ところで、このヤゴの種類は何だろう。見慣れた姿かたちだから、いわゆる赤トンボの代表種であるナツアカネかアキアカネであろう。本によると、どちらも卵で冬を越すことになっている。それなのに11月になっても幼虫状態でいて、いいのだろうか。
 そう思ってさらに調べると今度は、日本のトンボの約85%がヤゴで越冬するという具体的な数字まで盛り込んだ記述が見つかった。
 こうなると、トンボ知識の希薄なぼくはお手上げだ。現実にいま、目の前にいるヤゴたちを見ると、ヤゴ越冬の方を支持したくなる。もうすこしわかりやすい紹介のしかたをしてくれればありがたいのに......と自戒の念も込めて思うのだ。


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左 :これはアキアカネのヤゴのようだ。タヌキモにしがみついている
右 :この手のヤゴがわが家の常連組。特に大きな特徴はないけれど、居ついてくれればうれしい


 前から気になっていたのが、トンボは不完全変態の昆虫であるということだ。
 卵→幼虫→さなぎ→成虫という完全変態の昆虫がたどる成長過程をみせないことからきた命名だろうが、「不完全」なんていわれたら、トンボ自身はどう思うのだろう。
 「だから言ってるだろ、努力が足りないって。もうちょっと頑張れば完全変態できるはずだぜ、オレみたいによ」
 国を代表するチョウに選ばれているオオムラサキにでもそう言われたら、カチンとくるのではないだろうか。
 トンボは、ぼくのようになまけ道を歩む虫ではない。好きで、さなぎになることを拒否したわけでもあるまい。
 「ほっといてくれよ。オレはオレの道を行くさ」
 きっと、こう反論するだろう。


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左 :カワゲラは不完全変態のうちの半変態の虫だ
右 :アメンボは不完全変態のうちの小変態の虫に分類される


 そんな思いがあって調べてみたら、不完全変態も2タイプに分けることがあると知った。
 トンボは幼虫であるヤゴと成虫がまったく異なる環境で生活し、外見も似ていないことから、半変態と呼ぶようだ。カゲロウやカワゲラも同じグループに属する。
 それに対してタガメやアメンボのように成虫も幼虫も同じような環境で育ち、姿かたちも似るものは小変態の昆虫とされる。
 「半とか小という区分があるなら、それももっとアピールした方がいいよなあ。半ライスとか、ご飯の小、なんて言うモンなあ」
 いつものように、こんなことを考えながら、さあ赤虫をやろうと、つまみとるための箸を手にしたのである。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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