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2018年9月 7日
バレバレの隠とんの術――ハモグリバエ
ぼくの児童向け初期作品に、『とびだせ! にんじゃ虫』がある。枝に化けると紹介されることが多いナナフシと少年の交流を描いたものだ。
書名に「にんじゃ」を用いたのは、ナナフシの擬態が忍者の「隠とんの術」を思わせたからである。小説や映画にあるようなオドロキの術ではないにしても、ぼくのようなうっかり者をだまくらかすくらいなら、難なくこなす。
それに比べるとハモグリバエ、つまり「葉もぐりバエ」の忍術はどこか抜けている。あんなにも薄い葉の間に忍び込むところはあっぱれだが、その先がよろしくない。せっせ、わっせと掘り進んだところが、車のタイヤ跡のようにはっきりと見えてしまうからである。
モグラは土の中にトンネルを掘る達人で、あちこちにモグラ塚と呼ばれる小山を残す。だが、そこをほじくっても、モグラが見つかることはない。それに引き換え、ハモグリバエの愚かなことよ。
――などとあざ笑うのはさすがに失礼かと思うのだが、子どもにだって居場所を見抜かれるのだから、弁解はしにくかろう。
右 :あちこちに穴があるようなところでは、ハモグリバエの芸術センスも埋没する。というか、美しくないよね
トマトやコマツナ、ネギ、キュウリ、エンドウ、ダイコン、ナスなど、いろいろな作物の葉でハモグリバエを見る。
あまりにも当たり前に存在するので興ざめしそうだが、じつはあの「絵」や「文字」がぼくは好きだ。
あるとき、ハモグリバエの「文字集め」をしようと思い立った。われながら、なかなかいいアイデアだ。たくさん集めれば、キョーハク文のひとつぐらいできそうだ。それを持って山に入り、オオクワガタを脅すのだ。
あらためてまわりを見回すと、幸運にも「A」とおぼしき痕跡がすぐに見つかった。あと25文字そろえれば、アルファベットの収集完了だ。
ハモグリバエの作品なら、庭を探すだけでもけっこう見つかる。楽勝であろう。
そう思ったのだが、意外や意外、2番目の「B」が見つからない。
「C」とか「L」ならそれだと言い切れそうなものがあるものの、「B」がない。いま思えば順番にこだわることもなかったのだが、そのときは始めたばかりの文字集めを早々にやめてしまった。
いわば、得意の断念、中途挫折のわざである(って、あったっけ?)。
いやいや、それ以前に、この絵や文字を残した虫がどんなハモグリバエであるのかさえ、ぼくにはわからない。どれもこれも、よく似ている。
左 :トマトの葉などに多いハモグリバエの一種が書いた「C」。これなら、なんとか読めるだろう
右 :この形を「B」だといえば通じるかもしれないが、多くの人はハート形だというだろう
かろうじてそうだろうといえるのは、エンドウやコマツナのナモグリバエだ。葉の中でさなぎになるのはナモグリバエだけだと聞いたことがある。
もちろん、身近にいるハモグリバエに限っての話だろうが、ナモグリバエ以外は土の中でさなぎになるという。
わが菜園で何度も目にしているということはつまり、ずっと葉の中で生活するナモグリバエだということになる。葉の中にいるさなぎも幾度か撮影した。
彼らのすごいのは、あの薄い葉を破ることなく食べ進むことだ。
破れそうで破れない。そのわざを使って作った網で夜店の金魚すくいでもしたら、店のおっちゃんは大赤字に泣くことになる。
左 :ハモグリバエの成虫。わが家ではコマツナでよく見る。おそらく、ナモグリバエだろう
右 :ハモグリバエのさなぎ。成長のスピードはかなりのものだ
ハモグリバエは小柄なりにすこしずつ成長し、大きくなる。それでも葉を破るというミスをおかすことなく前進するのだから、まあ、見事なものである。
成長のスピードも、すこぶるはやい。
外気温が25度あれば、たった3日の葉内滞在で外に飛び出すというのだ。葉を生涯の生活の場とするナモグリバエを除けば、飛び出たあとは土にもぐってさなぎになる。
だから、あんなにも早く、一気に増えていくのだなという指摘はほぼ正しい。自分の畑にいてほしくないなら、初期の段階で叩くのが一番だ。これくらいならまだいいだろうと思って油断していると、あっという間にハモグリバエの楽園ができあがる。
とわかっていても、なかなか、そうはできない。そんなこともあって、ぼくはいつまでたっても野菜づくりの初心者から抜け出せない。楽をしてハモグリバエが防げる道具でもあれば、すぐにでも用意したい。
右 :気がついたときにはすでに立派な絵や字ができている。手を打つなら迷わず、すぐにすることだ
同じように考える人が多いのか、アブラムシやコナジラミの仲間には黄色粘着板、 「スリップス」と呼ばれるアザミウマ類には青色粘着板という便利な農業資材がある。トマトやナスなどの栽培ハウスでつるしてみたり、発生予察に利用したりしているものだ。つるしておけば、ぺたんと張りつく。
「だけど、もっともっと、楽がしたいよなあ」
なーんて思う農家も多い。最近はなるべく農薬を控えたいという流れができているから、「天敵昆虫と組み合わせることができればもっといいのだが......」と考える人がいても不思議ではない。
だがそれは、あまりにも身勝手な発想だ。
いやいや、そう思ったら、進歩はない。ものぐさは発明の第一歩である。それが証拠に、頭のいい人たちがその先のアイデアを、ちゃーんと考えてくれていた。
左 :ハモグリバエ類は黄色粘着板に集まる。黄色には、コナジラミ類やアブラムシ類を呼び寄せる力もある
右 :青い光でハモグリバエが死んだという実験もあったが、再現できない。ショウジョウバエには効果があるようだ
ひとつは、青い光でやっつけてしまおうという作戦だ。
うれしいことに、われらが宿敵となったハモグリバエに青い光を当てたら死んじゃったよ、という実験データが示されたのである。
おお、まさに朗報ではないか!
そう思って大いに期待したのだが、いかんせん。再現しようと試みたところ、どうもうまくいかなかったという。がっかりである。
ところが、ひとのいい神さまがどこぞにおられたらしく、青い光のお隣さんともいえる紫色の光が、殺虫とは別の角度から新しい知見をもたらしてくれたのだ。
その研究で対象にする虫はアザミウマ・アブラムシ類だが、応用すればいつかはハモグリバエにも使える農業技術となるやもしれぬ。それだけの価値がある研究成果だとぼくは思う。
簡単にいうと、こんな内容だ。
虫にはそれぞれ好きな色があって、一部のヒメハナカメムシの場合にはそれが紫色だった。波長でいうと405~415nm(ナノメートル)だという。
そこで技術革新の著しい発光ダイオード(LED)の出番となる。この波長の範囲にある紫色の光を夜間にともし、天敵昆虫としての働きが期待できるヒメハナカメムシを誘い出す。駆除の対象にするのはアザミウマやアブラムシの仲間だ。
「なんやて。そんなことしたら、ほかのカメムシもわんさか寄ってくるで。あかん、あかん」
なるほど。農業害虫となっているカメムシは、ずいぶん多い。
だが、そんな心配は無用だ。紫外線や緑色が好きな虫はたくさんいるが、紫色の光を目指して寄り集まるのはヒメハナカメムシやタバコカスミカメなど、ごくごく限られた虫でしかないという。正義の味方だけを呼ぶなんて、なんともありがたい光ではないか。
昔から紫は、高貴な色とされてきた。だからなのか、虫ならなんでもええわと、なんでもかんでも呼び集めることはしないのだ。
右:ナミヒメハナカメムシは、紫色の光に集まることがわかってきた。ほかの虫はあまり好まない波長だ
畑のまわりに、ヒメハナカメムシやタバコカスミカメが好きそうなものがあると、なおいい。「天敵温存植物」と呼ばれるマリーゴールドやソバ、ゴマなどを植えるのはそのためだ。まずは温存植物にご滞在願い、そこからおもむろに、ナスの株へと移っていただく。
そのときに役立つのが紫色の光だ。夏の浜辺の泊まり客が、打ち上げ花火に誘われて海岸へ繰り出すようなものだろう。
実験はうまくいき、天敵カメムシのご一行はナスへと移り、そこで出会ったカップルが子孫を残すところまで、しっかり観察されている。
左 :ゴマやソバを植えると、ヒメハナカメムシ類が集まる。その近くで栽培するナスのもとで紫色の明かりをともすと、今度はそちらに移っていく。すばらしい発見だと思う
右 :ハモグリバエの幼虫が通った後には点々が......。正解は、彼らのふんですね
絵を描き字をしたためる昆虫であるハモグリバエは、人の目にふれても虫の目には入らないように、葉の中でこっそりと行動する。しかし、あまりにも薄くかじりすぎて、通り道に残したウンチまで透けてしまう。
寄生昆虫は、そこをねらう。自慢の術が自らの身を滅ぼすとは、なんとも皮肉な話ではないか。
だからハモグリバエは、ちょいとヌケている虫だと言いたいのだ。
もっとも、それだけに、いくら被害をもたらしても、「絵描き虫」とか「字書き虫」という愛称をいただいている。
こういうのをぼくは、人徳ならぬ「虫徳」と名づけたい。困っている農家には申し訳ないのだが、どうにも憎めない虫ではある。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。