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きょうも田畑でムシ話【65】

2018年8月10日

天女の衣はかくのごとし?――クサカゲロウ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 ことしは、やたらとクサカゲロウが目につく。
 小さな菜園の野菜たちのごきげんをうかがうために、庭に出る。
 と、そこには「うどんげの花」と俗称されるクサカゲロウの卵がちょこん、ちょこんと産んである。


 何も考えずについ、「うどんげ」などと記してしまうが、漢字で書くと「優曇華」となり、なにやら威厳を感じさせる。
 辞書などによるとサンスクリット語の「ウドゥンバラ」を音写したもので、「優曇婆羅」「優曇鉢」の省略語でもあるらしい。そんなにも格調高い紹介文を読まされたら、ぼくのような凡人は思わず、はははーっとその場にひれ伏すしかないではないか。
 インドの伝説上の植物であるとはいうものの、3000年に一度しか、花が咲かないと続く。さらには菩薩さまだか金輪明王、転輪聖王だかが現れるともいうから、4年に1度のオリンピックどころの騒ぎではない。「うどんげの花が咲いたから、うどんでも食おう!」なんておやじギャグを飛ばしている場合ではないのだ。
 「優曇華」には「華」という文字も含まれるから、「花」と加えてはダブり言葉になり、よろしくない。
 なんてことも書いたことがある。まあ凡人であるからして、それくらいで「優曇華」の説明は許してもらおう。


tanimoto65_1-2.jpg  tanimoto65_1.jpg 
左 :クサカゲロウはかなり長い間、身近で見かける。それだけ害虫退治に貢献しているということだろう
右 :細い糸の先にくっつけるようにして産んだ卵


 エラい王族の方々には申し訳ないが、虫好きにはその優曇華だろうと、実在する植物名であろうと関係ない。昆虫の一種であるクサカゲロウが産んだ卵であるということが、ずっとずっと大切なのである。
 だから1950年代初めの新聞に「自転車のスポークに13本も咲いた」などという記事が載っていたという記述をみても、ああそうですか、優曇華は1本、2本と数えるのですねえ、などという、どうでもいいところに感心する。

 重要なのは、その産卵のしかただ。彼らは植物の茎や葉やわが家の玄関ドア・門扉などを選んでまずはすーっと糸を伸ばし、しかるのち、その先端にひとつずつ紡錘状の卵を産みだす。その結果、なんとも不思議な物体が出現する。
 それはそうだ。「卵が先か鶏が先か」などという議論よりもずっと難解なシロモノが、目の前にある。あの紡錘卵がおしりから先に出てきたとしたら、それから伸びる糸はどうやって、ひり出すのか? それこそ、鶏や卵に尋ねてみたい。
 純情なぼくなんぞ、その答えが見つかるまでに、いくたびも頭を悩ませ、もだえ苦しみ、その果てにぐっすりと眠りの世界に突入してしまった。
 現代の情報文化はすばらしい。その答えとなる写真や動画が、だれもが簡単に見られる。糸が先なのである。
 経験はないのだが、頭髪を人工的に植えつけるときにもこんなやり方をするのだろうか。だとしたら、そのヒントをもたらしたのはクサカゲロウかもしれない。


tanimoto65_8.jpg この虫の興味深いのは、その謎の物体から登場するナントカ王......ではなく、牙さながらの大あごを有した幼虫の生態だ。
 卵から出るとすぐに、えさとなるアブラムシを探す。
 といっても苦労することはない。たいていは愛情あふれた成虫が、アブラムシのいる場所に卵を産んでくれるからである。
 そう思ってきた、ずっと。ところが、わが家の玄関ドア・門扉に産まれたのだ。そしてこれまた不思議なことに、そうした場所に産卵されたものは、ボンクラ観察者が気がつくころには姿を消している。無事にふ化し、幸運に恵まれてアブラムシに出あえばいいのだが、情けないことにその答えを得たことがない。
右 :食事中のクサカゲロウ幼虫。「このジューシーさがたまんないの」なんてね


 それはさておき、幼虫はどう猛なことこの上ない食欲でアブラムシを腹におさめ、すくすくと育っていく。大あごをアブラムシの体に差し入れ、体液を吸うようだ。
 そうやって桃から生まれた桃太郎みたいにぐんぐん育ち、自ら放出する糸で繭をこしらえ、さなぎになる。といっても、繭の外側からさなぎが見えることはないのだが、勇気をもって繭を切り裂いた先人の行いにより、それは間違いのない事実として知られる。


tanimoto65_3.jpg クサカゲロウの幼虫を見ていて飽きないのは、何をしているのかはっきりしない動作を幾度も繰り返すことだ。ちょこちょこ、とことこと歩いたと思うと、突然一カ所にとどまり、おしりを振り振り......ただただ、そのフリフリを続ける。
 「おまえさあ、いったい何してんの?」
 頭に浮かぶのはそのせりふ、ただひとこと。だが、もちろん、理由はおしえてくれない。
 ぼんやりとした答えがみえてくるのは、2度脱皮してから、いよいよ繭をつくろうというときだ。終齢となった3齢幼虫はおしりから糸を出し、それで繭をこしらえる。おしりフリフリはその予行演習だったのか。それとも繭をつくろうとして場所を選んでいたのか......。ともあれ、繭をつくる多くの芋虫・毛虫がするような、口から糸を吐くという表現はできない。
左 :おしりをフリフリするクサカゲロウの幼虫。「うん。このごろ、運動不足でさあ」。ホントかいね


tanimoto65_5.jpg 農家によく知られた虫でいえば、蚕がそれを教えてくれる。小さくてわからん、という人は、かの有名なモスラを見るがいい。とにかく、芋虫の多くは口から糸を吐くのである。
 われらがクサカゲロウの糸だし行動は、クモに似ている。アリそっくりのアリグモは、自分がアリではなくクモの仲間であることを証明するかのように、有事の際にはおしりから糸を出し、「わたしゃ、れっきとしたクモでありんすよ。アリではないのでありんすよ」などと言いたいような表情をみせる(ようにみえる)。
 だからクサカゲロウは、ああ見えてもクモの一種なのだ。
 と、ここで話を終えると本気にする人がいるかもしれないが、クサカゲロウはもちろん、クモではない。クサカゲロウ科というきちんとしたグループを成し、世界には1300種、日本だけでも40種ほど知られている。
右 :クサカゲロウの繭。糸の網で固定した球状の物体をこしらえる


tanimoto65_4.jpg ああ、そうか。だからなのだ!
 と突然思い出すのが、いくつか出あったクサカゲロウたちである。
 見た目はクサカゲロウの幼虫で間違いないのだが、あの独特の体形は似ていても、どこか雰囲気の異なる幼虫がいる。そのちがいはおそらく、種のちがいなのだろう。
 これまでいい加減に付き合ってきたぼくが悪いのだが、ウスバカゲロウの幼虫である「アリジゴク」そっくりの大あごを持つ「アリマキジゴク」がクサカゲロウの幼虫に与えられたあだ名であり、その類似性がクサカゲロウグループの幼虫であることを証明する。

 大ざっぱに分けて、ごみやアブラムシの死がいを身にまとうクサカゲロウ幼虫と、そうでない幼虫がいる。それでたまたま捕まえたものがごみの山をかついで動きまわれば、これがクサカゲロウの幼虫に共通した習性なのだと思い込む。
左 :ごみ屋敷の住人もびっくり? ごみを背負ったクサカゲロウの幼虫。それにしても器用だよね


 そしてまたあるとき、すっきりボディーをあらわにした幼虫を見つければ、これからごみを背負うのだな、重いだろうにご苦労なこった、と思って、おしまい。そこには探求心のカケラもないのである。お恥ずかしい。
 しかしまあ、気がついただけよしとしよう。その先はプロの領域だ、と自分にとって都合のいい方に解釈するのがプチ生物研究家の強みであるのだ。


tanimoto65_6.jpg そんなことをせせら笑うかのように、おしりから糸を出して繭をつくったクサカゲロウは、しばらくすると羽化の時を迎える。
 するとここでまた、オドロキの行動をとるのだ。
 なんとまあ、繭の中から現れるのは成虫ではなく、さなぎなのである。
 さなぎそのままの姿でズリズリとはいだしてくるのだから、人間世界に置き換えたらじつにブキミだ。映画「リング」の貞子だって、卒倒するやもしれぬ。
右 :クサカゲロウのさなぎの殻。さなぎの形のまま繭から出てきて羽化をする。ユニークな習性だ


 こういうさなぎを専門的には「ファレート成虫」と呼ぶらしい。だがそこに「さなぎ」という単語が付かないところをみると、ぼくのように「さなぎがはいだす」と表現するのはよろしくないのかもしれない。でもまあ、そこもプチ生物研究家ってことで、許してもらおう。
 カゲロウには亜成虫の時期があって、見た目は成虫なのに、そのあともう1回、脱皮をして、成虫になる。成虫みたいなのが脱皮をするのだから、まあ衣替えみたいなものだ。その代わり、彼らにはさなぎの時期がない。
 亜成虫が大人になりきっていない若者だとすれば、ファレート成虫はそのすこし前、背伸びをした若者というところか。衣装として見た場合、そのデザインはいまひとつ、パッとしない。
 だが、そのあと、ほんのちょっと頑張れば、あの天女のようにすばらしいレース状の衣をまとうことができるのだ。
 そう思うと、脱皮の際にはついつい、応援したくなる。お嬢さん、ガンバレー!


tanimoto65_10.jpg はて、お嬢さん?
 見かけは同じような羽衣を身につけた成虫になって、オスなのかメスなのか、ぼくには見分けがつかない。天女と呼ぶためには、そのチェックが欠かせないのだが......それもまあ、失礼なことだ。勘弁してもらおう。
 それにしてもことしはよく、クサカゲロウが目につく年だ。
 まさにわが家の「年」伝説である。
左 :これはアミメクサカゲロウか。ワンポイントとなる点がはねにある美しい種だ

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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