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2018年7月 5日
お里が知れて戸惑い隠せず――クサガメ
池の水をくみ上げて、どんな生き物がいるのかを確かめるテレビ番組がある。手入れをせず何年間も放置したままだった池、あるいは水をためてから一度も底を見せたことがないようなところだ。そこで強力なポンプを駆使し、何日も水をくみ上げた結果、どんな顔ぶれが見られるのか。生き物に特別な関心がなくても、興味をそそられる。
これが農業と密接にかかわるため池だったら、どうだろう。よほどの知名度がなければ、番組としては数字がとれない。だからきわめてローカルなため池で実現する見込みは薄いだろうなあ、なんてことも思いながらも、ついつい、画面に引き込まれてしまう。
歴史をさかのぼれば、農業用のため池では当たり前のように行ってきた作業だ。維持・管理するために、かい掘りをする。
農閑期になったら水をすっかり落とし、白日のもとにさらす。いわば、ため池の天日干しだ。かい掘りをすることでおかずとなる魚も手に入り、ため池の水質も保てる。
テレビがすごいのは、そうした地味ともいえるかい掘りを、視聴率のとれる番組に仕立てたことだ。
ぼくはそれほど熱心な番組ウオッチャーではない。だから、たまたま見た放送に限られることかもしれないが、絶滅が心配される在来種よりも、憎まれ役の外来種のほうが圧倒的に多いとの印象を受けた。たとえばオオクチバス、ブルーギル、コイ、ウシガエル、アメリカザリガニ、ミシシッピアカミミガメなどだ。それらが次々と捕まる。
左 :「ブラックバス」の通り名で知られるオオクチバス。あまりにも増えすぎた!
右 :外来種といえばまず名前が挙がるウシガエル。ぶふぉーんという大音響の鳴き声は貫禄がある
「もともといる生き物にダメージを与えるんやろ。だったら、そんな外来種がこの国にのさばるのは許さへんで」という気持ちが強いからこそ、タレントが泥まみれになって格闘・奮闘し、ボランティアもまた多数集まるのだ。
そんな中でちょっと意外な目でみられるのが、コイであり、クサガメだった。
当然のごとく、どちらも外来種として紹介される。
「まさか、あのコイが?」
「クサガメって、日本の在来種じゃなかったっけ?」
そんな声があっちからもこっちからも聞こえてくる。
残念だが、それは本当だ。
――と簡単に言ってしまえるほどの知識の持ち合わせはないが、近年は日本にいるコイの多くが、急増した外来種と希少な在来種との混血だろうとみられている。
左 :色がついていようがいまいが、いまや日本にいる多くのコイが外来種かその交配種らしい
右 :クサガメまで外来種だったとは......驚く人も多い
コイといえば、コイヘルペス騒ぎを思い出す人も多かろう。コイに特有のウイルスが原因とされ、頭がへこんだり、ただれたり、目がくぼんだりした揚げ句、ほぼ100%死に至る。コイにとってはこの上もなく恐ろしい病気で、養殖ゴイ業界に大きな損害をもたらした。
この病気が世間に知られるようになったのは、十数年前のことだ。岡山県の吉井川水系や茨城県の霞ケ浦のコイ大量死がニュースになり、それをきっかけに、国内には在来種と外来種のコイが混在していたという事実がクローズアップされた。
琵琶湖にはいまも在来種がいる。コイヘルペスで犠牲になった琵琶湖のコイの多くは、世間で「野ゴイ」「マゴイ」といわれてきた在来種だったという。
対する外来種は、「ヤマトゴイ」と呼ばれる。
どこが、どうちがうのか。在来種は細長い円筒形で体高が低いとされるが、はっきりいって、ぼくには区別できない。せいぜい、色のついたニシキゴイとそうでないコイが見分けられるくらいだ。それだったら、よちよち歩きの子にもできそうだが、多くの日本人のとらえ方もその程度ではあるまいか。
野ゴイはどちらかというと深いところにすみ、警戒心が強いともいう。
ということは、子どものころから釣りの対象にしてきたコイはたぶん、外来種だ。鯉こくや鯉のあらいとして食べてきたのも、そうだろう。
きょうこそは釣りあげるぞと意気込んでサツマイモをふかし、つぶし、練り、さなぎ粉を混ぜ、竿を磨き、おもりに数本の針がついた吸い込み針をながめては、釣ってもいないのに、ふふふとにんまりし......というオゴソカな儀式を経て、ぼくは川に出かけた。
右 :日本には2種のコイがいるとわかったのは、まだ最近のことだ
ああ、だがそれは在来の野ゴイではなく、外来のヤマトゴイだったようである。
「ヤマト」なんていうから「大和」すなわち日本の純粋種を想像しがちだが、「ヤマトゴイ」は奈良県大和郡山市の「大和」とする説がある。
ああ、そうだったのか。ヤマトゴイこと外来種は明治時代になってから、食用・観賞用に持ち込んだものらしい。つまりヤマトゴイのはじまりも、それほど古い話ではないようである。
コイの話が長引いたが、決して故意ではないですぞ、なんてダジャレでごまかし、クサガメに移る。
クサガメもまた、イシガメと並ぶ日本在来種だと思う人が多いカメである。
ミシシッピアカミミガメはすっかり悪者にされ、有名すぎる外来ガメとなった。ぼくが子どものころはあこがれの「ミドリガメ」で、祭りの夜店で見かけると、色つきひよこやオカヤドカリと並んで、「欲しい!」「飼いたい!」生き物のひとつだった。それがそうではないのだよ、という情報はすっかり全国・多世代に伝わり、幼稚園児でさえ先刻ご承知のこととなっている。子どもたちのアイドル的存在であったカメさんがいずれ大変身するなんて、あのころはだれも想像しなかった。
左 :かつては良い子あこがれのペットだった「ミドリガメ」。それがいまや、池いちばんの嫌われ者だ
右 :「臭いからクサガメ? もしかして、加齢のせいかなあ」とでも言いたそうな表情だ
クサガメは「ミドリガメ」と区別され、イシガメと同様の「銭ガメ」として売られていた。そういわれれば、国産種だろうなと思って当然だろう。
DNA検査などから、クサガメは18世紀末に朝鮮半島から持ち込まれたものらしいと学術報告されたのは、ほんの数年前だ。韓国産とタイプが同じであり、日本各地のクサガメとも差がないということがわかり、「ああ残念、アンタは外来種だったのね」とされるようになった。
ところが中国や韓国、台湾など一部の国・地域では絶滅が心配されているという。あのミシシッピアカミミガメもアメリカ合衆国では同様の現象が起きているという。所変わればとはいうものの、地球規模でみると、生き物の世界は思うようにならないものだ。
クサガメは、ちょっとがんばれば田んぼやため池、ちいさな沼で捕ることもできた。いまや貴重種、将来が心配とされるようになったイシガメだって、いるところにはいたものだ。でもそれよりも「ミドリガメ」の方がずっと、少年的には価値が高かった。
それなのに、いまとなってはどこでも目にするミシシッピアカミミガメの爪のオソロシサといったら、ありゃしない。怖いよー。あんな爪でガリッとされたら、大変なことになる。カミツキガメのあごの力まで持ちだすべきではないが、野外で出遭う確率はカミツキガメの比ではない。だからなおさら、警戒が必要になるのだろう。
右 :「ミドリガメ」のなれの果て。ミシシッピアカミミガメの爪はたしかにおっかない
一方のクサガメは、臭いという以外、どこがイケないのか、よくわからない。その臭さも、ひとによって受け止め方、感じ方にかなり差があるようだ。
臭いにおいは、どこから出るのか。
それは重要だ。出どころがわかれば、対処のしようもある。
ところが、あしの付け根とはいわれるものの、前あしなのか後ろあしなのか、それともまた別の箇所なのか、ちょっと調べた限りでは特定できない。それ以上に、いつも臭気を発するわけではなく、身の危険を感じたような有事の際の最終手段であるとの記載もあるではないか。
いつもいつも鼻を近づけるわけではないので、確かなことはいえない。だがぼくには、「クサイクサイクサイ!」と思った経験も記憶もない。
それにクサガメの名前の由来については、草色をしたカメだから、という説も古くからある。その説をとる人たちは、もしかしたら、何度かにおいをかいでみた経験から臭いとは思わず、草色説を支持したのではないか。昆虫のクサカゲロウにも「臭い」説と「草色」説があるが、ぼくにはやっぱり、それほど臭いとは感じられない。
左 :玄関に飛んできたクサカゲロウ。たぶん、アミメクサカゲロウだろう
このごろはクサガメつながりで、「うんきゅう」というカメも話題になる。
「うんきゅう」は、クサガメとイシガメの交配種の俗称だ。中国語の「烏亀(ウーグェイ)」が変化したことばだとされているが、それはこの際、どうでもいい。
問題になるのは、その繁殖パワーだ。といっても、ねずみ算のように爆発的な殖え方をするという意味ではない。
一般に、生き物が種間交雑すると繁殖能力を欠くことが多い。ところが、うんきゅうさんはそうでもなく、イシガメやクサガメとも交わって、子孫を残せるというのだ。ハーフ、クオーター......と自らの系統を維持し、血縁者をふやしていく。そうなると、減少著しいイシガメの純粋種は、さらに減ることになる。
だから、外来種はよろしくない、となるのだろうが、ああそうですね、と全面的に同意したくないのはなぜだろう。野菜も果物も、外国からどんどん入っているのにね。
右 :「うんきゅう」のはく製。甲羅にはクサガメのように3本の稜線があり、その後縁にはイシガメ似のぎざぎざがある
ともあれ、まずはクサガメだ。臭いといわれるカメだ。おそらくはカメムシの語源となったカメだ。だけどカメムシだって、どれもこれも臭いというわけではない。
そんなふうに考えると、問題の度合いがだんだん薄まっていく。
だから、もう少し注目したほうがいいような気はする。なぜ、「だから」なのかという明確な説明はできないが、それまでは友達付き合いしていた友人から急に「あんたはヨソ者だ」なんて言われてもなあ......。人間だって困るよね。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。