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きょうも田畑でムシ話【58】

2018年1月10日

イケメン虫の隠し技――カブトムシ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


tanimoto58_1.jpg だれかの当たり前が、すべての人の当たり前であるとは言えない。
 なーんて理屈っぽく考えたのは、穴掘りの最中だった。
 冬になってハウスにビニールを掛ける際、落ち葉や野菜の残さを埋めてきた通路をほじくる。腐熟物の天地が入れ替わり、土の中の通気性も高まるような気がするからである。
 ゆえに、運動不足の解消も兼ねて、えいほらほいと、土を掘る。
右 :ごく普通の狭い庭に、冬になると突如現れるビニールハウス。しかもよく見ると少し曲がっている。ふふふ、プロ農家にはまねできまい


 そうしていたら、あらまあ、あれま、カブトムシの幼虫が出てきたのである。
 昨シーズンに続けて今回もまた、カブトムシのジュニアがわが菜園に居ついていたのだ。
 近くの雑木林から飛んできたメスが卵を産んだのか、どこぞの子どもが飼っていたのが逃げ出したことで生まれた偶然なのか分からないが、とにかく2年連続で穴掘り最中にジュニアを発見した。

 文句なしに、うれしい。幼いころから見てきた人にはなんでもないのだろうが、少年時代にカブトムシをじかに捕まえるという経験をしたことがないぼくのような者にとっては、この上もない幸せなのである。
 だから、だれかの当たり前が、ぼくには大ラッキー、大珍事になる。
 そうはいっても、2年目だ。したがって、コガネムシかな、いやいや、カナブンの幼虫かもしれないぞ、まさか庭に建てたハウスの中にカブトムシがいるわけがないもんなあ......と迷ったり疑問に思ったりすることはない。そこのところは割愛、省略だ。
 穴掘り作業を熱心にしたおかげなのか、結局、5匹のジュニアさんを腐葉土入りの水槽に引っ越しさせた。


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左 :自分ちの菜園からカブトムシの幼虫が出てくるなんて、以前は考えたこともなかった
右 :わが家にやってくるカブトムシはふだん、どこにいるのだろう


 カブトムシはなぜか、きわめてポピュラーな昆虫として取り上げられる。児童書の編集者と話していると、「虫を扱う作品なら、やっぱりカブトムシでしょ、やっぱり、きっぱり」などというせりふの飛び出すことが多い。子どもたちにとって昆虫の代表はチョウやトンボではなく、カブトムシやクワガタムシなのである。

tanimoto58_9.jpg この国で虫といえば、むかしは鳴く虫のことだった。古典の世界の主役はスズムシ、マツムシ、コオロギなど秋の鳴く虫たちだ。
 それが崩れたというのか変化したのが、怪獣ブームのころではないかと思う。近年はそこに、ロボットの活躍が加わった。カブトムシやクワガタムシなどの甲虫は、よろいそのものである。戦車や装甲車、なんとかスーツと呼ばれるもののモデル的な存在だ。
右 :甲虫とはいうが、そのよろいを脱ぎ捨ててどこかへ行くことはない。残念だがこれは、脱ぎ捨てたよろいにあらず。死がいである


 江戸時代の全国方言辞典である『物類称呼』を開いたら、「江戸にてかぶとむし」「伊勢にてやどをか」「大和にてつのむし」とあった。
 このうち、現代に生きるのは「かぶとむし」だけで、「やどをか」「つのむし」の呼び名を耳にしたことはない。
 「やどおか」はどうやら、「宿を借りる」の後半部を略した呼び名らしいが、それならヤドカリにこそふさわしいと思える。甲虫類に共通する、よろいのようにかたいはねを借り物に見立てたのだろうか。
 「つのむし」は、平安時代に「あくたむし」とも呼称された「都乃牟之(角虫)」の方が有名だろう。「あくた」はごみを意味し、そこからゴキブリを呼ぶことばとなった。その異称が「つのむし」であることは、すこしは知られる。
 スズムシ、マツムシの例を持ち出すまでもなく、時代によって虫の呼び名が変わることがあるから、カブトムシを「つのむし」と呼ぶ地域があってもかまわない。ゴキブリを表す「つのむし」は、その触角からイメージしたものだと解釈されるが、カブトムシの場合には、オスに特徴的なあの巨大で目立ちすぎる角のことだろう。


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左 :カブトムシの古称「やどをか」は、宿を借りるの意だとか。だとしたら現代人はヤドカリを想像してしまう
右 :むかしはカブトムシのことを「つのむし」と呼ぶ地域もあったようだが、現代の「つのむし」はゴキブリと解釈されることが多い


 『物類称呼』は同じ甲虫類のひとつとして、「こがねむし」も取り上げている。漢字では、「飛蛾」とある。飛ぶ蛾と見ていたなんて、初めて知った。カブトムシさん、ありがとう。
 と感激しながら同じく江戸時代の貝原益軒の『大和本草』を読むと、カブトムシは「カブト虫」の名前で登場し、そのあたりの項目にはない図まで付く特別待遇だから、角の分岐具合がよくわかる。
 ちょっとわからないのは、「蛾ニ似テ大ナリ」という表記だ。
 大きな蛾? と初めは思ったが、2つ前のところではコガネムシを「飛蛾」と表すところから類推すると、蛾に似ているというのではなく、コガネムシを大きくしたような虫という意味だろうか。


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左 :「蛾ニ似テ大ナリ」とはなんぞや。大きな蛾とすれば、このオオミズアオのようなものを連想するのだが......
右 :カブトムシには隠し持つはねがあるが、その巨大な体を支えて自在に飛ぶにはちと荷が重すぎる


 カブトムシは、たしかに飛ぶ。あの頑丈なよろいの下に隠れている薄いはねを広げて飛び立ち、ほかの場所に移動する。
 さすがは森の王者である。
 なんて思ったら、大間違いだ。貫禄十分の見かけとちがって、飛ぶのはへたっぴいである。
 その場からまっすぐ上昇することができなければ、下がることもできない。空中にとどまることなんて、とてもとても。「はねがあるし、飛べるから飛んでいるのですよね、わたしら......」という言い訳が聞こえてきそうである。
 それはそうだろう。あの巨体で自在に飛ぶためには、もっと強力な筋肉、筋力が必要になる。

 ついでに言うと、歩き方もスマートさを欠く。昆虫だから左右に3本ずつのあしがあるが、歩行時に使うのは一度に3本だ。左の前あしと後ろあし、右の中あしがセットになり、最初にその3本を動かしたら、次には左中あしと右の前あし・後ろあしを移動させる。
 つまり、3点を交互に接地させて前に進むのがカブトムシの歩き方だ。わが家の子どもが幼かったころ、自由研究でよく観察させたものである。


tanimoto58_10.jpg さらに付け加えると、カブトムシの視力は、動くものが認識できる程度だとされている。
 まだある。コオロギやキリギリスなどはあしに耳があるが、カブトムシにはないのだ。その代わり、体じゅうに生えている細かい毛で音を感じ取っているようだという。
 そういうカブトムシが好むのはよく知られるように樹液なのだが、近ごろの新世代はスイカ畑やトウモロコシ畑、リンゴ園などに出没して、農家の新たな敵ともなっている。
右 :カブトムシを子どもたちの遊び相手にとどめておくのはもったいない。調べればまだ、隠された謎がありそうだ


 あかん、あかん。これ以上続けると、王者の風格も名声もふっ飛んでしまう。コガネムシやカナブン、ふん虫のジュニアに比べると体格が良い以外には、これといった特徴がないことになる。
 いわば、珍虫から駄虫への転落だ。人間なんて勝手なものだから、穴掘り発見当時のコーフンなど、すぐにどこかへ飛んでいく。


 ほかにないか、何か、ないか......。
 角の大きさ、体格の良さが樹液酒場での優劣につながるらしいが、自ら実証するのは困難でも、なんとなく、理解はできる。
 幼虫がさなぎになるときにはお隣さんと適度な距離を保つ、なんていう発見にもふむふむとうなずける。
 えーと、えーと。
 と、あったのだ。2017年10月だから、昨年のことになってしまったが、名古屋大学の研究チームが面白い説を発表していたことを思い出した。カブトムシのシンボルである、あの角についてだ。
 わが菜園から掘り出したのは幼虫だが、腐葉土のなかで時を過ごし、時期がくれば土繭をこしらえてさなぎなる。オスならその時、立派な角の形がさなぎにも現れている。それはそうだろう。何もないところから急に、角がびよーんと生えてきたら、その角の大きさ以上にびっくりする。
 凡人は、だからさなぎの時から角があるのだよな、と思っておしまい。なんの疑問も感じなかった。
 しかし、である。考えてみれば、不思議だ。幼虫時代でも雌雄の判別はつくが、あのイモムシに角は生えていない。形状はオスもメスもほぼ同じである。


tanimoto58_8.jpg としたら、角はいったい、どこにあったの?
 研究チームは、そのそもそもに着眼した。そして出した結論が、幼虫は折り畳み式の角を隠し持っていたということだ、とぼくは理解した。
 幼虫の頭のなかに「角元基」という幾重にも折りたたまれたものをつくっておき、さなぎになる際に体液を送り込んでふくらませるというのである。
 「ピロピロ笛」とか「吹き戻し」とか呼ぶおもちゃがある。くるくるっと巻かれた紙筒に息を吹き込むとビヨーンと伸びるあれだ。
 あのおもちゃと同じように、折りたたんであったところに体液を流し込めばだんだん、最終的にねらいとする形になる。カブトムシの幼虫たちには、その仕組みをずーっと隠し持ち、新世界に飛び出す前にしっかり用意するプログラムが組み込まれていたのである。
 こういうことがあるから、一部だけを見てばかにしたり、けなしたりしてはアカンのだよ、と自責の念にかられる。
左 :幼虫にはなかった角が見られるのは、巧みに折りたたんでいるからだという。いやあ、考えたものだね


 とっさに思い出したのが、宇宙実験衛星の太陽電池パネルや大型宇宙アンテナなどのもとになったミウラ折りの構造だ。見た目にはとても小さいコンパクトな紙が、いざという時にはさっと、パーッと大きく広がる。ふだんはポケットに入る地図として持ち運ぶのに、もってこいの仕組みである。

 二次元と三次元というちがいはあるが、まあ、あんなものかねえ。実に効率がいいことを、カブトムシくんは黙ってしている。幼虫の時から角があったら、あっちにぶつかり、こっちで引っ掛かり、日常生活に支障ありだもんね。
 なるほどなるほど、これだから駄虫だなんて言ってはいけないのだよ(と反省してマス)。
 カッコ良すぎる外見に惑わされると思考停止になることはよくある。
 もしかして、イケメンもそう?
 そういうものとは縁のないぼくだが、外からは見えないところにあるものを見抜く力を、もっと磨かねばと思うのだった。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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