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きょうも田畑でムシ話【54】

2017年9月 7日

由緒正しき嫌われ者――ホオズキカメムシ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 幕末から明治初めにかけてのこと。西洋から入ってきた犬が「カメ」と呼ばれていた、という話がある。
tanimoto54_1.jpg 犬がなぜ、カメなのか。その理由はあんがい単純で、「こっちへ来い!」なんて呼ぶときに、飼い主が英語で「カム・ヒア」とか「カム・イン」と言っていたからだという。
 ぼくの耳はいまもその当時の人たちと同じレベルだから、彼ら西洋人の言葉が「カメ!」と聞こえたという話には、なんの不思議も驚きも感じない。それどころか、もしもその場に居合わせたら、新鮮なことばの響きに感動していたことだろう。
 「いやいや、そうじゃないんだ」と別の由来・語源説を述べる人もいるが、素人的にはまあ、犬がカメに化けた話の方がウケる。
右 :むかしは犬が「カメ」とも呼ばれたとか。カメにも感想をきいてみたいね


 で、わが家のカメさんの出番となる。
 これが実は、なんともはや、困り者なのだ。いつもいつも、問題ばかり起こしている。
 といってもワンちゃんではない。は虫類のカメでもない。れっきとした「カメ」の名を持つ、カメムシたちだ。
 カメムシは実に興味深い虫で、カメの姿など連想できない糸のように細いもの、おわんのような体形をしたもの、臭いもの、臭くないもの......といった多様性を備えている。そしてお気に入りの場所もまた変化に富み、木の幹、木の葉、花、茎、つぼみと、これまたさまざま。わが菜園のように、人間の目にはなんの魅力もないようなところにまで足繁く通ってくる。


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左 :これはかわいらしいウズラカメムシ。これなら歓迎だ
右 :アカスジカメムシのデザインセンスはなかなかだ。これも美麗種といっていいだろう


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左 :これもカメムシらしからぬカメムシの一種だ。一般のカメムシイメージとは異なる
右 :キバラヘリカメムシは色も姿もすばらしい。青リンゴの香りがするという人もいるしね


 いやいや、通ってくるなんて、生やさしいものではない。居すわる、居つく、というのが正しい表現だ。
 ある年はトマトに群がり、ことしはピーマンに集合して、なにやらペチャクチャ、べたべた......。
 まあ、なめるだけならいいのだが、針のごとき〝くち〟を茎に差し込み、チューチューチューと、のべつ幕なしに汁を吸う。

 「こりゃ、たまらん。あっち行け、シッシ!」
 かつてはカメでもあったのだからと、まるで野良犬にぶつけるような言葉を発しても、まったくの無視。さすがに虫だわい。なんて、シャレている場合ではない。野良犬ならさっと、そうではなくてもトボトボ逃げ出すはずだが、虫との会話はどうにも難しい。
 表情は読み取れぬが、おそらく彼らなりのすずしい顔で、チューチューチュー。ピーマンの悲鳴が聞こえるようである。

 業を煮やしたぼくは、臭気をあやつる彼らにとってもおそらく「超」がいくつも付きそうな息、台風のごとき強い息を吐きつけるのだが、それでもなかなか、去る気配をみせない。
 ふーふー。
 ひゅーひゅー、ふゅううう......。
 繰り返すこと数度にして、ようやく数匹のカメムシが落下する。そして残るのは、見るも無残、あわれなほどにしおれた茎と葉っぱである。


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左 :カメムシをひっくり返すと、長い針のようなくちが見つかる。なるほど、これで汁を吸うんだね
右 :しおれたピーマンの葉にもホオズキカメムシの卵が産んである


 カメムシが嫌われるのは、臭いからであろう。へたに関わると、とんでもないしっぺ返しを食らう。
 しかしそうはいっても、みんながみんな悪いヤツではないのだよお立ち会い、といったノリで書いたような本も自著に持つぼくとしてはいささか複雑な気持ちになるのだが、自分の菜園に現れるのはスカン!
 最初に目につくのは、若いカメムシだ。
 つまり、幼虫。彼らは背中に臭腺なるものを持ち、そこから悪臭を放つ。
 そして長じたのち、成虫になってからはあしの付け根から放出するようになる。
 臭い!
 多くのカメムシはそうやって身を守るようだ。しかし、そうではないカメムシもいるから、そんな心やさしい(?)ものたちとしばし付き合うと、ついつい油断してしまう。その結果、臭いバクダンが鼻のあたりでサクレツ、バクハツする。
 面白いもので、そんな毒ガス虫を同じ容器に閉じ込めると、失神したり、勢い余って相撃ちとなり、自滅するカメムシもいる。そんなむごい実験をしたこともあるのだが、リョーシキあるおとなが何度もすることではない。


tanimoto54_15.jpg とまれこうまれ、カメムシの集会所と化したピーマンの株は、豊穣と収穫の女神に見放された姿を菜園にさびしくさらす羽目になる。
 ピーマンでここまでやられたことは過去になかったが、ことしはアカンようである。カメムシの攻撃をなんとかまぬがれ、やっと実ったと思えば、ひねくれねじれ、調理に手を焼く特異な形の果実になっている。それでも食べられればまだマシというものであろう。
右 :例年なら、これくらいのピーマンが収穫できる。まあ、たいした出来ではないけれど


 してその正体はとみれば、どうやらホオズキカメムシらしい。
 ローガンの目玉を通すと、小さいうちはちょいと大きめのアブラムシに見える。それが無事に成長する姿を見るのは、菜園地主としては無上の喜びだ。
 なんてことは、断じてない!
 ――と、強い口調で言うことも、ぼくはしない。
 収穫できないのはさびしいが、せっかくのホオズキカメムシなのだから、記念撮影でもさせてもらおうとカメラを持ち出す。


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左 :ホオズキカメムシの幼虫。子どもだからとっいって油断すると、臭いバクダンが飛ぶぞお
右 :立派なホオズキの実。ホオズキカメムシの名前はホオズキの古語「ホウ」に由来するといわれる


 カメムシ、カメムシというけれど、その代表種は何あろう、ホオズキカメムシである。いってみれば、由緒正しきカメムシなのだ。
 という話はついぞ、聞いたことがない。だがぼくは勝手に、そう思っている。古語で「ホオ」「ホウ」といえば、カメムシのことを指したという説があるからだ。
 ホオが好きな植物だからホオズキ。そう言われれば、無学のぼくはなるほどなるほど、そーいうことだったのね、と無条件で信じてしまう。
 とはいいながら、ホオズキを栽培したことはあっても、そこでホオズキカメムシを見たことはない。それどころか、カメムシの1匹も目にしたおぼえがないのである。


tanimoto54_14.jpg 実をいうとことしも、食用ホオズキを育てている。もっと正直にいえば、昨年のこぼれ種から勝手に生えてきたものだ。
 ちいさな果実しか収穫できない。たぶん品種のせいだとは思うが、食べればなかなかに美味である。かすかに甘く、フルーツ感覚で食べられる。
 だったらその食用ホオズキにこそ集団でやってきてもおかしくないのだが、不思議なことに1匹も見ない。ピーマンだけに集合するのだから、菜園の主としては戸惑ってしまうのである。
右 :食用ホオズキ。ピーマンよりもこちらを好いてくれていいはずなのになあ


 食用ホオズキの葉をめくり、実を探り、枝の根元、枝のうなじをじっくり見つめるのだが、やっぱりいない。
 さればとてピーマンに戻ってながめると、いるわ、おるわ、ごっちゃごちゃ。見ようによっては、肩を寄せ合い、仲睦まじく暮らしている。これだけの大家族を見るのは、わが菜園の作物多しといえどもピーマンだけである。
 とりあえずシャッターを押して、何カットか押さえる。
 そのあと枝を揺すり、あたふたと逃げまどい大騒ぎしているところを、にんまりとながめる。
 お返しにくれるのは、見事な悪臭である。なんとも油くさい。


tanimoto54_6.jpg と、その最中に、きらりと輝くものが。
 はてなとばかりに目を凝らせば、それはそれは美しい宝石が、みどりの葉っぱにいくつも張り付いているではないか。
 「ほお。これがホオズキカメムシの卵ちゃんであるのか」
 とちょっぴり感動してしまう。そのときにはもう、「害虫」カメムシの記憶は消え去り、きらりんこと輝く宝石にしか見えなくなっている。
 「人魚の涙は、もしかしたら、こんな感じかもなあ」
 などと乙女チックに思ってみたりもする。なにしろ、つやつやしていて、ルビーのような光を放っているのだ。
左 :ホオズキカメムシの卵。見るだけなら、とても美しいのだが......


tanimoto54_8.jpg アカスジキンカメムシのような美麗種で丸っこい体つきのカメムシは、うら若き女性をして「ブローチにしたいわあ」などと言わしめる。それと同じように、ホオズキカメムシの卵がもう少し大きかったら、ペンダントにして首にかけたいという乙女も現れるにちがいない。あるいは、のどの痛みを鎮めるドロップにも......。
右 :アカスジキンカメムシの幼虫。どことなく愛らしいカメムシだ


 ピーマンを襲われたのは悔しい。病気知らず、害虫知らずの野菜と信じてきたピーマンが玉砕してしまったのだから。
 しかしそこへ魅惑のしずくを持ち出すとは敵も去るもの、去らぬもの。ほんとうならすぐさまレッドカードの退場処分にすべきなのに、なんの手もなく施さず、ただただカメムシ王国の繁栄を見守るだけの菜園主が一人いる。
 だけどね、できれば来年はよそへ行ってほしいなあ。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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