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きょうも田畑でムシ話【53】

2017年8月10日

偉大なるウンコの秘密――ミミズ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 畑と虫というと、たいていは悪い関係をイメージされる。畑は作物を育てるためのスペースであり、そこには土と作物以外、存在してはいけないのである。
 ――といった暗黙かつジョーシキ的な合意が、この社会にはできあがっている。
 それはそうだ。そのために人は畑を耕し、タネをまき、クソ暑い夏の昼日中に草を引っこ抜き、刈り払い、肥料を与え、日照りだから雨を降らせと天に向かって、わめきちらす。そのくせ、まちがって大雨になろうものなら一転して空をにらみつけ、うらみ言を延々と口にする。
 それもこれも、すべてはかわいい作物のためなのである。トマトやナス、キュウリをまっとうな収穫物に仕上げるためのバリゾーゴンなのである。
 そのために高い確率で憎まれ役をたまわる虫たちだが、ことミミズに関しては、そうした悪囗をあまり聞かない。それどころか、むしろ感謝されている。

 おかしい。
 そう思わないと、おかしいように思う。
 なにしろ、あの風体である。
 「かわいいわね。わたしと一緒に暮らしましょ」
 という、奇特というか風変わりな方も現実にはいらっしゃるのだが、それはまれだ。多くのまっとうな人たちは、畑の他の虫たちと同じように、邪魔で気色悪いものとして、なるべくかかわらないようにしようと思っている。


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左 :土を掘って、ミミズがこれくらい出てくればひと安心だ
右 :ミミズの働きのおかげでなんとか実をつけてくれているトマト。感謝、感謝の毎日だ


 いくつかの例外を除き、ミミズは地味な色をしている。黄色と黒のストライプだったりピンクの水玉模様だったりすればいくらかちがうのかもしれないが、嫌われ者のゴキブリと比べても見劣りする。ゴキブリにはあんがい美麗種もいるからだ。
 それに俗信もある。おしっこをひっかけるいたずらっ子にはたまに反撃してもいいと思うのだが、それ以前に、地表を移動するミミズを見かける機会そのものが減っていないか。いわれのない差別を受けるのがミミズの運命であるかのような場面が多々ある。


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左 :元気いっぱいのミミズさま。まるで生きているパワーショベルだ
右 :「環帯」、俗にいう首まきが見えるようになれば一人前


 子を持つ親など、わが子がミミズを目にしたというだけで、「しっかり手を洗うのよ。そんなものを見た手でさわったら、腫れちゃうでしょ!」と声を荒げてのたまう。見ただけで、ふれてもいないのに......。それではカガクの心が育まれるはずもなく、理科のテストで点数がとれないといって大騒ぎするのはそんな親なのだ。
 当の子どもたちは、むしろ冷静である。それに何より、ミミズが好きだ。田畑の生き物観察に付き合うことがあるが、子どもたちは興味を持って観察し、話を聞く。
 ミミズは、かのチャールズ・ダーウィンが人生の多くの時間をあてて研究した興味深い生き物である。心ある子どもたちは、機会さえあればミミズのつくだ煮だってつくりたいと言いだすだろう。


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左 :これはけっこう美人(?)のミミズさん。つやつやしているね
右 :ミミズの卵胞。レモンのような形をしているものが多い


 子ども相手の生き物ばなしでは時々、ミミズのふんを使わせていただく。
 「ミミズのふん? そんなの、どこで手に入れるんや!」
 釣り餌にするためのミミズならまだしも、ふんを売る店なんぞあるものか、と言わんばかりにコーフンする人がいる。
 1970年代にはミミズふんの一大ブームがあって、肥料のひとつとして売られていた。それも今は昔だ。そうした店のほとんどが、消えてなくなっている。


tanimoto53_13.jpg ではどこで、そんなキョーザイを入手するのか。そのふんがないと、アンタの話もでけんのかいな、なんて尋ねてくる人が実際にいる。
 だがしかし、心配することはない。ふんの入手先で頭を悩ます暇があったら、ミミズの飼育環境をととのえてミミズを飼い、そのおしりを、じーっとながめていればいいのである。しからばほどなくして、待望のふんを排出してくださるであろう。
右 :力強く地面にもぐるフトミミズ。あまりの勢いに圧倒されて......ブレてしまった


 とはいっても、そんなヒマ人は多くない。それで自分がミミズ話をする際にはもちろん、自ら用意する。ある時は庭で、またある時は公園、雑木林で地面をじろじろ、じろり。あっという間、とはさすがに言えないが、たいていは数分後にふんの塊をいくつか、手にしている。
 それを会場で手土産のごとく取り出し、水を入れたコップにポトンと落とす。
 と、あぶくが出る。シーンとした会場で、静寂を破るような大きなぶくぶく音をたてて......。
 ということは、さすがにない。耳を傾けても、ほとんど聞き取れない音である。しかし堅実に実直に、サボることなく、ちいさな泡をゆらゆらと立ちのぼらせる。


tanimoto53_8.jpg 土の塊からなぜ、あぶくが出るのか。その理由は、それがミミズのふんだからだ。
 ミミズのふんの中には微小なすき間があり、そこにはこれまたちいさな生き物がすんでいる。ササラダニやトビムシの仲間であることが多い。
 そうなのだ。ミミズは自分たちが掘るトンネルにそれらの微小生物を住まわせるだけでなく、廃棄処分にするふんにまで、いのちはぐくむ場を提供しているのである。
 なんと崇高な。だから、見かけにだまされてはいけないのである。それでリョーシキある農家の人は、ミミズを別格の虫として扱い、間違っても農薬をぶっかけたりしない。畑にいてくれていい虫なのである。
左 :ミミズのふんを水の中に入れると、細かい泡が出る。その中が微小生物のすみかに利用されるのだ。すごいね


tanimoto53_9.jpg 腐りかけの葉っぱを食べて分解してくれるだけでなく、通路やふんを惜しげもなく他の生き物に差し出し利用させる。死してのちは肥料として、腐れ葉の食事をふるまってくれた草木に栄養分をお返しする。なんとまあ、えらい生き物サマであることか。
 あぶく銭はだれも評価しない。だが、ミミズのふんが水中で見せるあぶくは、大いに意味のある泡、小さいながらきわめて大きな価値を有する穴ぼこがあることを証明してくれるものなのである。
右 :干からびて化石のようになったミミズ。死んでも窒素を土にもたらす


 ――とまあ、ミミズさんになりかわってウンコの話をしたあとは、かなりの聞き手がふん塊に尊敬のまなざしを注ぐ。たぶん。そして、そのうちの何割かは、こう言うのである。
 「そのウンコ、もらえませんか」
 ウンコを求められるニンゲンがこの世に、どれほどいよう。それに引き換え、ミミズさんの徳のあることよ。
 おそらくは持ち帰って、同じような実験モドキを家族や友人に見せたいのであろう。それはいいことだ。ミミズさんの大便、いやいや、代弁をした者としていささか誇らしい気分になる。
 最近はそうでもないが、むかしのトイレには、これでもか、まだ足りぬかといわんばかりの落書きがあった。そこには「自らの手でウンをつかめ」という名言も残されていた。
 だからというわけでもないのだが、できるならミミズのウンコそのものよりも、その持ち主であったミミズにこそ目を向けてほしい。自らの手でウンコをつかんでこそ、運もつかめる(かどうかは、保証の限りでないのだが......)。


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左 :ミミズがつくったふんの山。これを見つけると、うれしくなる
右 :ミミズさんのウンコのおかげで収穫できたわが菜園の初キャベツ。このときは意外に、青虫も少なかった


 わが家の菜園で土をほじくっていて、予期せず、ミミズのふんの山を見つけることがある。その時はうれしくって、天にも昇る気持ちになる。
 だって、わが菜園の野菜さんたちはロクに肥料も与えられず、ひょろひょろとして、人間でいえば青白い表情をしているのです。
 そこにミミズさんからのプレゼントがあれば、だれだって飛び上がらんばかりに喜ぶはずだ。
 ミミズさん、ありがとう。
 ささやかなお礼として、腐って落ちた野菜の葉っぱをあげるからね。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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