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きょうも田畑でムシ話【50】

2017年5月12日

透き通ったクロワッサン――トウキョウサンショウウオ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 わが家には、毎春恒例のスプリング・イベントがある。車で30分ほど走ったところにある田んぼへ、トウキョウサンショウウオを見に行くのだ。
tanimoto50_1.jpg 東京ディズニーランドは千葉県にあるのに、「東京」が使われている。それと同じかどうかわからないが、千葉にいても「東京」サンショウウオであるところがまず、面白い。
 だがそれはまあ、仕方のないことだ。新発見された生き物の名前に、最初に登録された場所が付く例は珍しくない。
 種は異なるが、エゾサンショウウオはアイヌ語で「卵塊を運ぶ者」を意味する「ホマルラ」とか「チポンルラム」と呼ばれてきた。それは多分、繁殖期の彼らのとる行動にちなんだものだ。トウキョウサンショウウオにしてもエゾサンショウウオにしても、雄は雌の体に巻きつくような体勢をとり、しかるのち、雌がゼラチンみたいな袋に入った卵塊を産み出す。
 そんなシーンを目にすれば、卵塊を運んでいるといってもおかしくはない。それよりもアイヌの人たちは繁殖行動をよく観察していたものだと、敬意を表さなければならぬ。
右 :トウキョウサンショウウオが産卵に来る場所


 情けないことに、ぼくはまだ、その肝心の場面を見たことがない。それなのに、エラソーに語るのだから、「まさに笑止センバン。カタハラ痛いわ!」とお叱りを受けるかもしれないが、スプリング・イベントで努力はしているので、どうかご勘弁を。
 ――と謝ったからといってどうなるものでもないのだが、いつも一歩も二歩も遅れてしまう。
 産卵直後のシーンなら見たこともあるのだが、思い描いていたような複数の雌雄がからみつく決定的なところは見ていない。そんなこともあって、毎年の田んぼ訪問となっている。

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左 :アカガエルは早々とふ化して泳いでいても、トウキョウサンショウウオの幼生はしばらくしないと見られない
右 :観察に行くころはよく、アブラチャンの花が咲いている


 珍しいのは、ここのトウキョウサンショウウオだ。谷あいに開けた田んぼはその周囲にもいくつかあるのに、よそでは見つからない。それに農薬のせいで大量のドジョウが浮かんでいたというのに、「ハタケドジョウ」のあだ名を持つサンショウウオはなんとか生き延びている。
 国の特別天然記念物にもなっているオオサンショウウオには「ハンザキ」の異称もあり、体が半分になってもまだ生きているという。種の違い、サイズの差を乗り越え、もしかしたら生命力の強さはサンショウウオ全般に備わる底力なのかと思えてくる。


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左 :半分になっても死なないといわれたオオサンショウウオ。サンショウウオの中の王様だ
右 :トウキョウサンショウウオの卵のう


 ありがたいことに、そうした危機をものともしないサンショウウオの産んだ卵のうが、ことしも見られた。数は年々減っているものの、ぷるんぷるんのクロワッサンが、あちらにもこちらにもある。
 そのぷるぷるパンから透けて見えるのが、本当の卵だ。たいていはクロワッサン2つがワンセットになって、両端がくっついている。だが時間が経つと離れ離れになる運命であるかのように、別々の卵のうとして水底に横たわる。
 その場所で初めて見たのは10年以上も前のことだが、多いところには重なるようにして産んであった。

 「これって、どこかで見たシーンだよなあ」
 しばし考え、思い出したのがアンモナイトだ。アンモナイトがサンショウウオのご先祖さまというわけではないのだが、クロワッサン卵の形がアンモナイトのうず巻きにも似ていると思ったからだ。あのらせん模様には心をひかれる。


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左 :多い年にはこんなにも卵が産んであった
右 :アンモナイトの化石。サンショウウオの卵のうを見たら、これが頭に浮かんだ。似てませんか?


 ともあれ、しばらくするとその中の卵のひとつずつから幼生が誕生する。
 透き通った卵のうなので、観察も楽だ。カエルの幼生であるオタマジャクシそっくりの、頭でっかちで尾の長い幼生が飛び出してくる。

 両生類同士だから、似ていてなんの問題もない。しかし、よくよく見ると、カエル族にはない糸のようなものが頭の端に付いている。「バランサー」と呼ばれる器官で、その働きで体の均衡を保つらしい。
 生き物の本にはそう書いてある。だが、人間であるぼくにはいまひとつ実感できない。疑問に思って何人かにたずねてみたが、やっぱりわからないという。


 たとえば綱渡りをしようとして、素人が考えるのは長い竿を持ち出すことだ。バランサーがそれに通じるものだとすれば、もっと長くていい。だからといって長くなりすぎると敵に襲われる確率も高まりそうで、巌流島の宮本武蔵をまねるようなことをしたら逆に命取りになる。
 「それにしても、ちいとばかし頼りない感じだなあ」
 とぼくは思うのだが、そうやってもう長いこと生きてきたのだから、他人がとやかく言うことではないのだろうね。
 そんなことを毎年思いながら、同じ場所に足を運んでいる。


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左 :スケスケの卵のうなので成長の様子がよくわかる
右 :トウキョウサンショウウオの幼生。ほっぺのあたりに出ている細い糸のようなものがバランサーだ


 特別天然記念物ということで手が出せないオオサンショウウオは別格として、小型サンショウウオの成長を身近で見るのは楽しい。オタマジャクシに似ていながら、少しずつ違いがあるからだ。
 わが家の子どもが幼い時には、何度か飼ってみた。自由研究の素材にいいと思ったからだ。
 ある時、息子が叫んだ。「口から、大きなべろが出ている!」
 ――そんなことがあるのか、そもそも舌なんてあったっけ?
 疑問を感じながらも飼育水槽をのぞきこむと、確かにべろがあるではないか。
 ――ま、まさか!
 とびっくら仰天したものの、よくよくみれば、共食いの最終場面であった。食べられた相手のしっぽが、まさに飲み込まれようとしているところだった。
 そんなオドロキはそうそうないが、オタマジャクシのあしの生え方と異なるところはぜひ、見せてやりたい。オタマジャクなら後あしから出てくるが、サンショウウオの幼生は前あしからだ。
 体つきも、オタマジャクシよりほっそりしている。身近なカエルの仲間ではシュレーゲルアオガエルやモリアオガエルのオタマジャクシがやや細めだと思うが、それよりもさらに細いのがサンショウウオだ。
 まさにスリム。細い方が、カッコよく見える。


tanimoto50_12.jpg ところがこれもまた種類によって異なり、俗に「ウーパー・ルーパー」とか「アホロートル」と呼ばれる幼児体形のサンショウウオは、ぽにょぽにょぷよぷよ感が何ともいえない良い味をかもしだしている。
右 :俗称「ウーパー・ルーパー」。本名はメキシコサラマンダーなのだけれどね


 そんなこんなはあっても、ぼくはトウキョウサンショウウオが好きだ。何よりも毎年、自然の状態で観察することができる。その環境がいつまで保てるのか心配な面もあるが、所有者が稲作を続けるうちはなんとかなりそうだと楽観している。
 そのためにぼくが協力できることはないものか。考えた末にたどり着いたのは、ご飯を食べることだ。ご飯もう1杯運動こそ、われらがトウキョウサンショウウオを守る秘策なのである。
 さあ、ご飯お代わり、もう1杯!
 (実はちよっと、食べすぎなんだけれどなあ......)

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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