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きょうも田畑でムシ話【48】

2017年3月 8日

忍耐強くてんこ盛り――アカガエル  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 キャララ、キャラララ......。
 春先の楽しみはいろいろあるが、鳴き声を聞いてうれしくなるのはヤマアカガエルだ。だれが言い出したのか知らないが、その声はまさに、女子高生の笑い声を思わせる。
 特別な意味はない。それなのにとにかく、おかしくてたまらない、そんな雰囲気が漂うのだ。

 ヤマアカガエルに比べると、ニホンアカガエルの声はやや地味だ。それでもよく行く田んぼにはニホンアカガエルしかいないから、同じアカガエル仲間ということでがまんしている。


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左 :産卵期にはかわいらしい声を聞かせてくれるヤマアカガエル。ほっぺのあたりから、背中のラインが曲がっている
右 :肩のラインがまっすぐだから、これはニホンアカガエルだろう


 なにしろ、何かとあわただしくなる時期だ。観察する時間もとりにくくなっている。それでも間違いなく多数が集まり、「かわず合戦」を経て産卵という大事をこなしていることは、豪勢に盛り上げた卵の塊が教えてくれる。
 まさに卵のてんこ盛り。よくまあ、あんなにも大きな塊をこしらえるものだと感心する。しかも単独で見つかることはほとんどなく、たいていは数個が接近している。「お隣同士、一緒に産みましょうよ」という感じでひりだしたイメージである。


 ニホンアカガエルとヤマアカガエルはよく似た姿かたちをしているが、成体、つまりおとなになったアカガエルなら、背中のラインなどからなんとか区別がつく。幼体であるおたまじゃくしはお手上げで、ぼくにはとても識別できない。
 とにかく、そっくりなのだ。それに比べれば、卵での見分け方はまだ楽である。
 まだまだ水が冷たい季節だから、確かめるにはちょっぴり、勇気が要る。あの寒天のようなゼリーのような物体を寒い中で手にのせても平気だという強い意思がないと、この方法は試せない。
 透明の丸薬みたいな塊をぐいっとつかんで、てのひらに載せる。そして指をすこーし、開き加減にする。
 すき間からこぼれるようにしてずるずると糸を引いたように落ちるならヤマアカガエル、崩れてなるかと集団としての形を保とうとしているならニホンアカガエルだと思っていい。


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左 :よく出かける田んぼにはいつも、これくらいの卵の塊がある
右 :田んぼのおたまじゃくし。タニシとどんな会話をしているのだろうね


 そんな毎年のイベントのあと、ぼくはたいてい、悩むことになる。
 さあて、この卵をば、わが家に招待すべきか否か――。

 なにしろ、ほかの生きものが少ない時期である。メダカやコクワガタも一年を通じて飼っているが、冬の間はじっとしていることが多い。コクワガタなんぞ、生きているのか死んでいるのかさえわからない。暇ニンゲンに付き合っていられるかと腐葉土の中にもぐったきり、出てこないからだ。どこにいるのかさえわからない状態ながら、もっと暖かくなるともぞもぞはいだしてくるから、一応は飼っているのだと思っている。


 カエルだって同じだ。いつも身近にいるわけではない。必要になっていざ探そうとすると、なかなか見つからないものである。ところが春先ならこうやって、まあるい卵の塊として、じっとして目の前にいる。いや、あるというべきか。そこで悩みつつも、結局は卵さまの一部をわが家にお招きすることが多い。

 しからばと、とりあえずはちゃんとした目的をみつける。おたまじゃくしの写真が撮りたいとか、何をどれくらい食べるのか、自分たちが育った場所にはたしてもどってくるのかということを調べるためである......とかね。ところが多くの場合、プチ研究の途中で頓挫することが多いのもまた事実。ぼくはどうやら、ひとつのことをとことん追求する根気が欠如したまま生を受けたようである。


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左 :ちょいとお持ち帰り。といっても、これだけですごい数じゃん!
右 :アカガエルの幼体。飼っていたのがここまで育った。覆いもない水槽なので、このあとどこぞへ飛んでった


 むかしの人たちもアカガエルをよくつかまえた。なんのために? もちろん、食べるためである。
江戸時代から伝わる「赤蛙丸(あかひきがん)」は子どもの疳(かん)の虫の妙薬として、けっこうな人気があったようである。

 効き目のすぐれたカエルの肉を選んでこしらえたものだと宣伝し、常に梢にいるから泥土にまみれていない、と清浄性(?)をアピールした。しかし、アカガエルはふつう、木に登るか? 木登りガエルとして有名なのはモリアオガエルのはずだが、そんなことまでは気にしていないようである。
 なにしろ、大正時代まで広く利用されたロングセラー商品である。そのころの人々にとってはありがたい薬だったのだろう。漢方の世界では「山蛤」と呼んだようだし、地方名として記録に残しているところもある。


 アメリカで「ロッキー(山脈)のカエル」といえばちょっとしたブランド品だったが、われらがアカガエルも負けてはいない。江戸時代半ばに出た『日本山海名産図絵』には、伊賀山中で網を手にした男たちがいままさに捕らえんとしているシーンが描かれている。「伊賀の山蛤」もまた、特産銘柄品のひとつだったというわけである。
 本来はヤマアカガエルに価値があったようだが、そうはいっても、売れるとなればまがい品が現れるのは世の常。平地のアカガエルも混じっていたというから、そちらはニホンアカガエルだったのだろう。


tanimoto48_7.jpg しばしの時を経て、明治の初め。いまではすっかり国民食となったカレーライスのレシピが初めて紹介されたのが『西洋料理指南』だったとされている。そこに記された材料のなかに、エビやタイと並んでアカガエルが登場する。
 「カエルの肉? なんか、ゲテモノっぽくないか」などと思うのが、おそらくは一般的な現代人の見方であろう。しかしアカガエル肉は江戸のむかしから身近なたんぱく源だったわけで、それを前提にすれば驚くこともない。
 カエルの肉ということでは「食用ガエル」と俗称されるウシガエルしか食べたことがないが、おそらくカエル全体に共通するのは鶏肉の味ということであろう。子どものころアカガエルをよく食べたという友人もいるから、地域によってはそれほど奇異にみられなかったはずである。
右 :ウシガエルは食用ガエル。持ち込まれた当時は期待の食料だったはずなのにね


tanimoto48_6.jpg それにしても「山蛤」という表記はどこから生まれたのか。アカガエルをハマグリにたとえた理由が、ぼくにはよくわからない。あしや体の模様がハマグリの模様に似ているとみたのか、肉が貝の味に近いと思ったからか、あるいは体を丸めたところがハマグリの形状に近かったからか...。
 無責任ではあるが、おそらくはそんなところからハマグリと結びつけたのではないかとは思っている。
 「山に蛤を求む」といったことわざは、「畑で蛤」「木に縁りて魚を求む」と同様の意味を持つ。方法が正しくないと手にするのは難しいといった意味である。「山蛤」という文字を見るとこのことばを思い出すが、これがアカガエルだと考えると、たとえ方がよろしくないのではないの、なんて思ってしまう。もっとも、そうみるのはよほどのヘンクツであるとは思うのだが......。
左 :これはシナハマグリだが、ハマグリに変わりはない。いったいどこがアカガエルに似ているのだろう


tanimoto48_8.jpg こんな歴史を持つアカガエルだが、ほかの生きものの例にもれず、田んぼを生息場所のひとつに選んだ不幸に見舞われているのが実態だ。その理由としてよく、乾田化があげられる。
 ぬかるむ田んぼでの作業は大変だ。泥田で農業機械を使おうとしても、思うように動作しない。そこで編み出した技術のひとつが暗きょ排水で、田んぼの地下に穴あきパイプのようなものを敷いて、水分量を調節する。
 農家の作業は楽になるから、歓迎すべきことではある。だが、立場を変えてカエル目線でみると、なんとも困った話となる。
右 :水がすこしでもあると、アカガエルは集まって卵を産んでいく。このあとここは、水枯れした


 アカガエルの産卵では、水のある場所が欠かせない。ところが冬の田んぼでは水を必要としないため、カラカラであっても農家は困らない。
 もしかしたら産卵後に雪が降り積むかもしれない危うい場所でアカガエルは卵を産む。そのときに水があれば「まんず、ラッキーだわさ」と受け止め、せっせせっせと卵を出す。キャララという鳴き声が歓声に聞こえるとしたら、それはアカガエルの喜びの歌であってもおかしくはない。

 だが、そのあとに、カエル族にとっての地獄が待っているかもしれないのだ。せっかく産んだ田んぼから水が消えたら、ふ化したおたまじゃくしは生きていけない。それ以前に、干からびてしまう卵もあるだろう。そんなこんなで、全国的にみるとアカガエルはどんどん減っているという。


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左 :いまにもはちきれそうなおなかをしたアカガエル。無事に卵を産んだかな
右 :ピカソの絵をまねて、手の影を入れてみた。描いたのは、これくらいのおたまじゃくしだった?


 かの巨匠・ピカソの作品に、おたまじゃくしと遊ぶパロマを描いたものがある。あの頭でっかちキャラの生き物は「蝌蚪」と漢字表記し、「蝌蚪文字(かともんじ)」と呼ばれる古体篆字(てんじ)も存在した。それだけなじみ深いカエルの幼生が人々の生活から遠ざかったら、芸術家だって困るだろう。後世の人々は、ピカソのおたまじゃくしの絵を見て、ほかの作品以上に頭を悩ますかもしれぬ。妖怪の泥田坊とカエルが共闘を組んで、「冬の田んぼにも、もっと水をくれー!」運動を展開することだってありそうだ。


 幸いなことに、ぼくが知っている場所ではまだ、卵が見られる。カエルにとっても、ぼくにとっても、じつに幸せなことである。女子高生の笑い声は、いつまでも聞いていたい。
 なんてことを「蛙の目借り時」に考えては、うとうと、うつらうつら......。カエルの鳴き声が聞ける幸せをみんなで考えたいね。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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