MENU
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2016年7月 8日
花宿のファンタジー――ホタル
ホタルブクロが好きだ。つりがね状のあの花を学生時代に初めて見て以来、すっかりファンになってしまった。
同じような花を咲かせるツリガネニンジン、イワシャジンの花もお寺の鐘も、ぼくのお気に入りリストに入っている。とにかくあんな形が大好きだ。
ホタルブクロの色がまたいい。赤紫が基本色だとすれば、青みの濃いもの、逆に薄めで藤色と呼びたいもの、純白のものなど微妙な色合いが楽しめる。関東では赤紫系が多く、関西に行くと白花が多いとか。白いタンポポも西日本に多いというから、土質などに共通する条件があるのだろうか。
どんな色であったとしても、野山を歩いていてホタルブクロに出会うと、それだけで一日じゅう幸せな気持ちになれる。
右 :もっともよく目にする赤紫系のホタルブクロ
ホタルブクロの名前の由来は諸説あるが、そのひとつは提灯に似た形をしているから「火垂る袋」と名づけられたというものだ。ホタルのことを「火垂る」が語源だとする話もあるので、そうなのかとうなずける。もうひとつ有名なのが、子どもたちの野遊びがもとになったとする説だ。捕まえたホタルをホタルブクロに入れて楽しんだからだとされている。
いってみれば、花の宿にともる明かりだ。そんな話を聞けば、誰だって試してみたくなる。
だったら一度、やってみよう!
と単純に思うのだが、ホタルブクロもホタルも何度も見ているのに、いまだに実現していない。
ホタルをわざわざ放り込まなくても、ホタルブクロには常連ともいえる訪問者がある。虫媒花であるからには虫を誘い込まねばならず、その相手として選んだのがマルハナバチだという。どちらかといえばずんぐりむっくりした体形のマルハナバチに合わせた花の形が、ぼくがこよなく愛するあのつりがね花だったというのだ。
左 :ツリガネニンジンの花。ホタルブクロ同様に、いい形をしている
レンゲの花にとまったミツバチがみつを採ろうとすると体の重みで花弁が下がり、おしべが飛び出して花粉がくっつく。それからほかの花を訪れることによって受粉が完成し、レンゲは種を維持することができる。
マルハナバチがホタルブクロの花に侵入する際にも同じことが起き、結果として受精に貢献する。ホタルブクロは、ホタルのお宿になるために存在するのではなかったのだ。しかしまあ、マルハナバチといえば農業と密接にかかわる虫なのだから、大目にみる(?)ことにしよう。
右 :白花のホタルブクロ。よく見たら、マルハナバチならぬヒラタアブがとまっていた
ホタルブクロにホタルを入れる実験ができないのには、ちょっとした理由がある。いわゆる自然の豊かな土地ではなんともないのだろうが、少なくともぼくが知っている場所では両者がうまく結びつかないのである。
花の近くにホタルがいない。ホタルのそばで、ホタルブクロが見つからない。そんなこともあって、すでに数年越しの課題となっている。それでもいつかは、花の中でぼわわーん、ぽわっと光るホタルの写真が撮りたいものだとは思っている。
あえていうまでもないが、ホタルと日本人の付き合いは古い。『日本書紀』にもちらっと登場しているが、ある程度認知されるようになったのは平安時代以降のようだ。清少納言が『枕草子』で、夏の夜を象徴するもののひとつとして描いているのはよく知られるところだろう。
江戸時代には「蛍狩り」もレジャーのひとつになり、名所がいくつも生まれた。まさに夏の風物詩だったわけだ。それなのにそのうちホタルの減少が伝えられ、まとまって繁殖しているところは天然記念物にも指定されるようになった。
そんな経緯もあってか、ホタルは減っているという見方がいまも根強いが、自然観察を趣味にする人たちの一部は「このごろまた、増えてきたよなあ」なんて話している。その対象の多くはゲンジボタルという大型の種だが、ぼくはあまり関心がない。より親しみをおぼえるのるのは、ヘイケボタルだ。個人的な好みはどうあれ、この2種が日本を代表するホタルであるのはまちがいない。
左 :ホタルといわれてより親しみをおぼえるのは、このヘイケボタルだ。田んぼと深いかかわりを持つのがいい
右 :この中にホタルを入れて光るところを見たいのだが、いまだに実現していない
「きれいな水辺でないと、ホタルは生きていけないんだよね」
「それに、えさになるカワニナがいないとさあ」
ホタル前線が話題になる季節にはこんな会話がよく飛び交うが、清流を好むゲンジボタルとちがってヘイケボタルは田んぼの周辺にすみ、モノアラガイなどもえさにしている。なかなかにたくましいホタルなのである。
水辺とホタルはセットにしてイメージしがちだし、風流を好む日本人にとってはそれがホタルのすべてのようにも思われる。しかし、この2種にクメジマボタルを加えた3種だけが水辺のホタルで、国内にいる四十数種のホタル全体からみると、水辺にいる方が変わり者なのである。
なんていうことを話すと、へえ、という言葉が返ってくる。日本のホタルのほとんどが陸上で生活することは、あまり知られていないようである。だから陸生のホタルが水の中にいるカワニナを襲って食べるとか、においを嗅ぐために近寄るなんてことは、まずない。両者が出会う確率はきわめて低いはずである。
その代わりに彼らがえさとして求めるのは、カタツムリやミミズ、クモなどだ。それも幼虫サマ限定のお子様ランチみたいなもので、成虫はえさをとらない。
興味深いところでは、樹液をなめる幼虫がいたという観察例がある。さらに調査・研究が進めば、あっと驚くような食べものを口にするホタルがいる可能性も否定できない。なにしろ、ホタルといえば水辺の昆虫と思う人が多いのだから、その他大勢のホタルに目を向ける研究者は少ない。
左 :赤い頭に白と黒で構成されたはねを持つホタルガだが、じつは昼間飛ぶ。飛んでいると白い帯が輪のようになり、ホタルの光を連想させる
右 :ホタルは卵のうちから光る。幼虫も光る。成虫ももちろん光る。死んだらもう光らないけれど......
ある年のことだ。陸生のホタルが無性に見たくなった。
目をつけたのがヒメボタルだ。わがふるさと名古屋市のシンボル的な存在である名古屋城のお堀ではこのホタルの存在が以前から知られており、看板なんぞも立っている。それでずっと、なんとなく親しみを感じていた。
現在の住まいがある千葉県にも有名な生息地がある。だが、近年はヤマビルが増えているらしく、そのことがよく話題になる。
写真で見るヤマビルの卵はダイヤモンドのようで、親に似ず、美しい。だから一度は見たいと思っているのだが、親御さんには会いたくない。
それでも近いところだからと、出かけたことがある。現場となる生息場所には親切にもヤマビルよけの塩水スプレーまで置いてあったが、時期がまずかったのか、心がけがよろしくないのか、ヤマビルもヒメボタルにも会うことはできなかった。
そうなると、なおさらヒメボタルが恋しい。まさに、鳴かぬホタルが身を焦がすようなものである。
それからだ。必死になって生息情報を集め、友人に頼んで見られそうな時期を探り、その地に問い合わせ、何カ所かに足を運んだ。そしてついに、某所で舞うところを見ることができたのだった。
ヒメボタルは案外、いろんな場所で見られるという。ただ残念なことに、陸生のホタル自体が知られていないこと、光を放って飛び始める時間が遅いことなどから、よけいに人々を遠ざけているようだ。午後9時を過ぎたころからが、彼らの時間となる。
右 :陸生ボタルの一種であるヒメボタルは、舞い始める時間が遅い。まあ、夜更かし型ということだね
しかしなあ、と思うのは、より身近なヘイケボタルだ。
田んぼにいるというだけで、農業との結びつきの強さを感じる。
米づくりを続けることで多様な生物が生きていけるということが、少しずつ科学的に明らかにされてもきた。
ヘイケボタルがすめる環境で育てた米ということをウリにする農家もある。えさにするモノアラガイは、わが家のメダカ水槽にだってわんさかいる。姿を見せてくれるなら、手土産のえさとして持っていってもいいくらいだ。
――ホタルやーい! いつでも声をかけてくれよな。
と心で叫び、むろんホタルの1匹もいないメダカ水槽をながめている。
ホタルブクロの中で輝かせる夢も捨て切れないが、かつてあった麦わらの蛍かごの編み方も覚えたい。そのためのタネとなる麦だけは用意した。
タネをまくのはまだ先だが、麦わらかごの方が早く実現するかもしれないと、ひそかに思っている。
左 :麦わらで編んだホタルかご。ホタルが入ればもちろんうれしいが、これだけでも十分な趣がある
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。