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2016年2月 4日
古代ファッションの伝道者――ミノムシ
ニワバタケを少しはマシなものにしてやろうと、植木を移したり、友人がくれたタマネギやソラマメの余り苗を植えつけたりした。冬のさなかの作業だった。
ニワバタケというのは、虫好きなら誰でも知っている戦前の漫画家・小山内龍の名著『昆虫放談』に登場する「ムギバタケ」にあやかった命名だ。よそで話してもたぶん、通じることはない。画伯がムギバタケと名づけたのは後にヒメヤママユという蛾の幼虫であると判明するのだが、わが「ニワバタケ」は蛾ではない。それどころか昆虫でさえない「庭」の「畑」、つまりは庭の片隅に拓いたごくごく狭い菜園を称したものだ。春になれば、野菜が育つとともに虫も寄り集まり、にぎやかな昆虫菜園へと変身するはずである。
右 :戦前の漫画家・小山内龍が「ムギバタケ」と呼んでいたヒメヤママユの幼虫
そう思って移植した梅の木の枝に、ミノムシがひとつ、くっついていた。ミノムシを知らない人はいないが、実際に見たことがある人は急激に減っている。しかも、わが家の客はオオミノガだ。数あるミノムシの中でも減少著しい種である。
「ありがたや、ありがたや......」
心のうちでそう唱え、人目もはばからず、手を合わせてしまった。ぼくにとってはそれほどにうれしい、予期せぬ珍客である。
左 :移し替えた梅の木についていたミノムシ。わが家にいただけでうれしい
右 :オオミノガの蓑、2連結? 複数が一緒にいる場面は珍しくなった
ミノムシというのは、ミノガという蛾の総称であり愛称でもある。近ごろはこうしてひとこと断わらないと、「ミノムシ」が正式な虫の名前だと思う人が多い。やっかいな時代になったものだ。
「見たところどれも同じようだけど、オスとメスはどうやって見分けるの?」
「あの蓑、いったいどこまで大きくなるんかねえ」
たびたび聞かれる。
最初の質問に答えるのは難しい。雌雄は確実に存在するのだが、ミノムシの外見で判断するのはまず無理だろう。
言ってみればあの蓑は、繭のようなものだ。蓑の中で幼虫が生まれ、育ち、さなぎになる。そしてひと眠りしたら羽化し、空に「蛾として」飛んでいく。
もっともこれはオスにだけ当てはまる生態で、メスは一生をあの蓑の中で過ごす。成虫になっても姿は変わらず、イモムシ状態でオスが飛来するのを待っている。
左 :蓑からはみ出したようなミノムシの羽化殻。オスはこうして成虫になり、空に飛んでいく
右 :オオミノガのメスはずっと幼虫体形だ。一生を蓑の中で過ごす
こんな特殊性がある虫だが、2つ目の問いに対する答えは明らかだ。オスならさなぎになるまで、メスは成虫になるまで、である。何年もかけてどんどん大きくなり、その重さに耐えられなくなった木の枝がポキンと折れる、なんてことには決してならない。その点ではガーデナーも安心だ。
とはいうものの、一応はミノムシのおさらいをしようと思って調べると、ななな、なんと、ずーっと信じていたことが土台から揺らいできた。メスは死ぬまで蓑の中だよ、なんて言ってはいけないようなのである。
右 :コケにくっついていたミノムシ。素人目には変わり者に見える
ミノムシが属するのはミノガという蛾のグループで、日本ではいまのところ、約20種が知られている。ところが地衣類やコケを利用して蓑をつくるものもいて、研究が進めば現在の倍ほどいるとみた方がいいらしい。そして名前通りの細長い蓑をこしらえるヒモミノガ類のように、成長すればオスもメスも羽化して蓑から脱出するものもいるという。つまり、多くの蛾がそうであるように、はねが生えて成虫となったオス・メスがちゃーんと空を舞うというのだ。
もっというと、はねはないが、あしはあるメスも存在する。したがって、「ミノガのメスはね、いつまでたってもイモムシ状態なんよ」などと軽々しく口にしてはいけないのである。それなのにずっと勘違いしたまま、知ったかぶりをして「メスは飛べねえ」と説いてきた。ごめんね、ミノちゃん、と謝りたい気分である。
先日もラジオ番組で、しゃべってしまった。「メスは卵を産んでしばらくすると蓑の中で死んで、蓑の底からポトンと落ちるんですよ」
番組のパーソナリティーは驚いていたが、そうでないミノガもいると知ったいまのぼくの方がもっとびっくりしている。多くの人がイメージするミノムシはオオミノガだろうから、それに限れば間違っていないのがせめてもの救いである。
左 :オオミノガの蓑を開くと、こんな幼虫が入っている
右 :正面から見たオオミノガの幼虫。カッコいいとみるか、それとも......。きっと個人差が大きいね
そうだ。日本でミノムシといえば、大方はオオミノガだった。果樹や庭木の害虫という性格もあわせ持つため、冬になればせっせと取り除かれた。そうやって集めたミノムシをどうするかといえば、ある人は幼虫を引っ張り出して飼い鳥に与え、またある人は蓑だけを利用した。ぼくが若いころはまだ、そうしたミノムシ採集人が冬の風物詩のようにしてマスコミに登場したものである。
――という話をすると、へえ、と感心する人が多くなった。昭和時代の話だから、ぼくにはつい最近のことにしか思えない。それなのに、もはや伝説化しているのがかなしくもあり、残念でもある。
一念発起したぼくは、長年の夢であったミノムシ細工に挑戦することにした。大柄なオオミノガの蓑なら、そこそこの素材となる。
そう思ってオオミノガのミノムシを探し歩いたのだが、数が集まらない。中国からやってきたオオミノガヤドリバエという寄生バエの攻撃を受けて一時的に激減したものの、国内に生息する数種の寄生バエやハエトリグモの仲間の活躍により、少しずつ復活しつつあると聞いていた。しかし少なくともぼくのまわりではまだ、あまり見つからない。これではせっかくのやる気が失せてしまうではないか......。
右 :やっと集めたオオミノガの蓑。何かを作るにはまだ、少なすぎる
と困っているところへ、朗報が届いた。オオミノガヤドリバエの寄生状況を調査していた研究者が、調査済みの蓑を分けてくださるというのだ。まさに渡りに船である。。
初めてなのでこれが正しいやり方なのかどうか分からないが、まずは蓑に張りつく木の葉や枝を取り除き、水で洗って乾かし、加工しやすいように方形に切りそろえ、それを布に接着剤で貼り付けた。
左 :ミノムシの蓑を開いて布に貼る。これをもとに細工していく
こう書くといかにも順調に進んだようだが、思っていた以上に手間がかかる。
それに、さすがは天然ものである。オオミノガの蓑という共通性はあるが、それから先はまさに個性。少しぐらい引っ張ってもびくともしない蓑があれば、力の加減をあやまったばかりにびりりと破れるものもある。集まった蓑がすべて材料になるとは限らないことを身をもって知った次第である。
「むかしのミノムシじいさんは、すごかったんだなあ」
唐突にそう思った。冬の風物詩として取り上げられるミノムシじいさんの帽子もチョッキもかばんも、ミノムシの蓑そのものであったからだ。あれだけのものを作るために、いかほどのミノムシを集めたものか。かつてはそれほどいたミノムシさんが貴重品、希少品になっている。まさに寒い話ではある。
一部の人にとっては、害虫であるミノムシが減ったのは感謝すべきことであろう。しかし、ミノムシはやはり、子どもの遊び相手であり、ちょっとした蓑細工の材料であってほしいと願わずにはいられない。
右 :蓑細工の入門編に、こんなペン立てはいかが?
「もはや蓑革財布とかハンドバッグなんぞ、この世に存在しないのだろうなあ」
半ばあきらめながらインターネットで検索すると、なんとまあ、いまもまだ流通しているではないか。いわく、ミノムシの財布はお金がたまる、幸せが逃げない......。まさに縁起ものであったのだ。そのせいもあってか、けっこうな値が付いている。
そうと知った以上は、がんばらねば。ガメついぼくの採集ごころがこうして、再起動した。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。