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きょうも田畑でムシ話【34】

2016年1月12日

コワモテの下の真実――ハサミムシ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 寒い季節に、「掘る」ことを楽しみにする人たちがいる。
 例えば日当たりが良く、赤土の露出した崖をガリガリ、ボリボリとほじくる。
 あるいは、腐りかけの葉っぱがうんとこ積もったところを探し出して掘ってみる。
 そうかと思えば、ぼろぼろになった朽ち木を好んで掘り崩すことがある。
 昆虫採集を趣味とする人たちの用語で言えば「オサ掘り」だ。オサとは、オサムシの略である。
 そう。あの著名な漫画家であった手塚治虫さんがこよなく愛し、自分の名前にも取り込んだのがオサムシという甲虫の一種だった。


 冬は、昆虫がほとんど目につかない。そんなとき最初に、「オサ掘りでもしてみっぺ」と言い出した人は尊敬に値する。見た限りでは何もないところからちゃんと生きている虫を掘り出すのだから、見事としか言いようがない。
 このオサ掘りをすると、予期せぬものも姿をあらわす。どこを冬越しの場にしようと、そんなのは虫の勝手、虫の気分次第だからだ。
 その結果、ゴミムシが土の中から顔を出し、眠りを邪魔されたスズメバチがにらみをきかす。ムカデやヤスデが出ることもよくある。


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左 :昆虫ファンは冬になると「オサ掘り」と称してオサムシ探索に精を出す。土の中から姿をあらわすのはまさに、自然界の宝石だ
右 :ゴミムシの仲間も外見と異なり有益だ。イモムシを食べれば、タネも処理する種類が多い


 スゴいと思うのは、カエルやカメまで掘り当てる人たちがいることだ。寒気の中に引っぱり出される方はたまったものではないが、その特殊ワザには拍手を送りたい。
 ナメクジやらミミズやらを口にする肉食系のオサムシだが、その体の輝きは賞賛に値しよう。タマムシも美しいが、オサムシだって十分にうるわしい。
 金属光沢という言葉で片付けては申しわけない気持ちになる。土の中に埋もれていた宝石だから、外界にあらわれたときの感動がなおさら増すのだろう。昆虫の標本をつくる趣味は基本的に持たないが、オサムシを見ていると、手元にあれば事あるごとにながめるであろうことは想像がつく。


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左 :中身が空っぽのタマムシ。美麗種という表現はこんな虫のためにあるのだろう
右 :ハサミムシの卵。白くて真珠のような輝きを持つ


 それならぼくも、というのがいつもの行動パターンである。とにかく、土をほじくればいいのだろう。
 そう思って試しても、たいていは失敗したり挫折したりするのがオチだ。スコップやら使いふるしのフォークなんぞを用意してボリボリするのだが、ねらったものはまず出てこない。「おおお、出たー!」といくらかでも心震わすものがあるとしたらハサミムシぐらいである。


tanimoto34_5.jpg 「ぐらい、とはナンだよ。ニンゲンの認識はそんな程度かよ」
 ハサミムシに口がきけたら、そんなことを言いそうである。
 ニンゲンにも共通するが、外見のおっかない人はけっこういる。テレビや映画で活躍する役者にも、見るからに悪人ヅラした人がいるものだが、ご本人はやさしいというのが通説になっている。
右 :掘りに掘ってやっと出てきたのがハサミムシであっても、決してけなしてはいけない。十分にありがたい存在であるからだ


 ハサミムシも同様だ。性格までは分からないが、あの外見はよろしくない。
 おしりの先にあるはさみがあんな形をしているばかりに、誤解されることがきわめて多い。そもそも、おしりにはさみを設けた神さまがよろしくない。

 外国産のヨーロッパクギヌキハサミムシのように農業害虫として嫌われるものもごく一部には存在するが、ほとんどのハサミムシは害がないとされている。農作物を食い荒らすことはなく、むしろ田畑に現れる蛾の幼虫などを退治する正義の味方として働いているのだ。
 そのことをよく知る東南アジアでは、田んぼにわざわざハサミムシを放すというから、その観察力、洞察力には頭が下がる。


tanimoto34_6.jpg だからといって、いくらハサミムシのファンになっても、できればこんなことは思い出さない方がいい。英語ではハサミムシを「イアー・ウィッグ」と呼ぶということだ。
 はさみだから、「シザー」という語を使うのかというと、さにあらず。「ふーん、なぜかな」と思ったら、もう危ない領域に踏み込んでいる。
 「イアー」はいうまでもなく、「耳」である。では「ウィッグ」はというと「かつら」ではなく、古くはくねくね動いたりするものに使った言葉だという。
左 :「なんだ、文句あっか!」。おしりにあるはさみは、いかにもけんかを売りそうな雰囲気を醸し出す


 そんなこともあって生まれた言葉だろうが、ハサミムシは夜になるとニンゲンの耳をかじったり、耳の中に入り込んで、じわじわと脳にまで歩み、しかるのち脳みそ食いちぎったりするというのだ。現代的に言えば都市伝説めいたことだが、海外にはそれを信じる人たちがまだいるようである。
 おお、怖い!

tanimoto34_13.jpg そう思ってハサミムシを見直すと、たしかにおっかない姿をしているではないか。サソリを連想する人がいれば、ペンチやヤットコを思う人もいる。テカテカした印象から、ゴキブリを思い浮かべる人もいよう。しかも、どうしても毒があるように見えてしかたがないという。あんなものが耳の中に入ってきてガジガジやりだしたら、どうしようもないではないか、と。
右 :西洋ではトンボも「悪魔のかがり針」として恐れるという。ハサミムシとどちらが怖いのかな?


 そんな気弱いおのおの方、安心めされよ。毒はありませぬ。それに飛ぶことができる種はたしかにいるが、はねが小さいので、ほとんどは地上ではいつくばるようにして生きている。地道に、まじめに、しかも結果的にニンゲンの役に立つようにえさにとることが多いのだから、恐れるよりも感謝する気持ちを持たねばならん。それこそがヒトの道というものであろうね。


 オサ掘りの際に見つけることがあるハサミムシだが、春から秋にかけては葉の上、花の上で見ることも多い。自慢のはさみできのこをカットしているようなしぐさを見せる個体も見かける。


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左 :花の咲く季節には、葉の上、花の上で見かけるハサミムシも多い
右 :きのこを食べているハサミムシ。食性はかなり広いのかもしれない


 ぼくはまだ見たことがないが、洞くつ内でコウモリのふんを食べている種もいるらしい。ご苦労なことだ。それだけ勤勉であれば、とてもニンゲンを襲う暇などないはずである。
 それどころか、コブハサミムシのように究極の母性愛を発揮する種もいる。どこかの世界には自分が産んだ子を捨てる生きものが生息するようだが、「虫けら」とさげすまれながら、その実、かいがいしく卵の世話をし、ふ化した幼虫に自らの体をえさとして供するハサミムシだっているのだ。どうだ、もう、ハサミムシに足を向けて眠れまい。


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左 :コウモリのふん。ハサミムシの中には、こんなものを食べる種類もいるという
右 :地面でへたばっていたハサミムシ。こんな状態であっても、耳に入るバケモノだと思う人はいるのだろうな


 もっとも、ハサミムシの多くは夜行性で、ぼくたちが活動する昼間は目につかないことが多い。それで彼らの本当の姿も知られずにいる。
 しかしどの分野にも目利きはいるもので、キャベツ畑でもっと活用してもらうためにはどうしたらいいかと日夜、オオハサミムシとにらめっこしている研究者だっている。ゴミムシもそうだが、きたないと感じる場所にいても、そこでせっせと害虫退治、雑草抑制に貢献している虫たちがいることを忘れてはなるまい。

 目につくことが多いようで少なく、少ないようにみえて多い。なにかにつけて見かけによらない行動をとるのが虫である。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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