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2015年12月 9日
大いなる大変身!――さなぎ
久しぶりにわが家の菜園を大改造することにした。
といってもたいしたことではなく、ちょいとばかり、植栽面積を広げようというだけだ。
スコップ1本で耕していたので、道具も新調することにした。くわがあると、土を起こしたり耕したりするのに都合がいいことは多くの認めるところだろう。
ザクッ。ザクザク――。
おお、おお。なんとも心地よい手ごたえではないか。こんなことならもっと早く使うべきであった。
少しばかりのたい肥を投入したり、穴を掘って野菜くずを埋めたりする程度なら、スコップで十分だ。それで20年間もスコップだけで事足りた。しかし、道具は使ってみるものだ。体がそれを教えてくれる。
ザクザクするうちにフトミミズが何匹か出てきた。菜園のうれしい友人だ。ダンゴムシ、ワラジムシ、ゴミムシ、ハサミムシ......。いやあ、小さいながら頼もしい土壌圏の生き物たちがあいさつしに来てくれたようでうれしくなる。その割にはそそくさと姿を消すところをみると、彼らには彼らなりの事情や用事があるのだろうと納得するしかない。
そんなムシたちに混じって次に見つけたのが、蛾のさなぎだった。種名までは分からないが、なるべく目立たないように茶色のコートで身を包んでいる。
右 :土の中から出てきた蛾のさなぎ。畑しごとのお友達だ
ぼくはイモムシやケムシが大好きだ!
――などと言うムシ好きとは違う。どちらかといえば、苦手だ。それでも友人に分けてもらったフチグロトゲエダシャクという春の蛾の幼虫を飼い、それが成長して産んだ卵から次の年も飼育した経験はある。アゲハチョウの仲間やヤママユ、ウスタビガ、ツマグロヒョウモン、ジャコウアゲハなど、お気に入りの習性を持つチョウや蛾の幼虫を育てたこともある。
左 :人工飼育したフチグロトゲエダシャクのさなぎ
右 :ヤママユのまゆの中にも、さなぎは入っている
「それってさあ、もしかしたらイモムシが好きってことじゃないの?」
たびたびそう言い返されるが、うそ偽りなく、あの〝幼児体形〟が苦手なのだ。
ここでそんなに力むこともないのだが、さなぎという形態になるととたんに、好ましく思えてくる。卵から幼虫、さなぎの時期を経て成虫になるのは、完全変態の昆虫だ。バッタやトンボの仲間は、さなぎ時代をカットするため不完全変態と呼ばれている。
不完全というとできそこないみたいな印象を受けるが、むろん、そんなことはない。あくまでも、それぞれの生活に合ったスタイルだから、責めてはいけない。
で、さなぎである。
さなぎになる前、昆虫の体はいったんドロドロになるということがチョウなどで確かめられている。臆病なぼくにはとてもできないが、きちんとした研究者なら一度は自分の目で確認しているようである。
右 :さなぎになる直前のアオスジアゲハの幼虫。このあといったん、体がドロドロになるらしい。怖いよー
ムシの世界にヒトの感情を持ち込むのはよくないが、幼虫からさなぎになるのは、いったい、どんな気分だろう。もしかしたら、幼虫時代の記憶もすっかり消え去るのではないだろうか。気弱なぼくが昆虫だったら、さなぎになんてとてもなれそうにない。
「あらあら、そんなの当たり前よ。むかしの記憶なんて、すっかり消えてしまうわ」
華麗なアゲハチョウのお嬢さんにそう言われたら、ほっとするかもしれない。
しかし、そんな怖さもうわさも気にしなくていいヒトであるぼくは、さなぎの多様な形に大きな魅力を感じる。
左 :アゲハチョウ類のさなぎは、わが家の常連さん
最も心ひかれるのがジャコウアゲハのさなぎだ。
俗に「お菊虫」。ひとによっては「浄元虫」「常元虫」と表記する。「じょうげんむし」または「つねもとむし」と呼ばれるさなぎである。
お菊さんといえば、知る人ぞ知る番町皿屋敷の幽霊だ。「いちま~い、にま~い......」と皿の数をかぞえる女の幽霊として、いまに伝わる。一方の浄元というのは悪行をかさねた坊主で、遺体を埋められたあたりから現れた虫が浄元の魂だと流布されたことで名を売った。まるで後ろ手にしばられているような姿なので、科学知識にうとい昔の人が見れば、確かに幽霊であるな、と思っても不思議はない。
情報にスレ切った現代人は、幽霊なんて信じない。「ああ、それね。そんなのジャコウアゲハのさなぎに決まってんじゃん」と、あっさり答える。ホント、夢も希望もない時代になったものだ。
まだ見たことがない人がいたら、ぜひとも一度は実物をご覧いただくといい。おちょぼ口に紅をさした、ちょっと色っぽい日本髪を結ったお菊さんがそこにいる。
左 :一般には「お菊虫」として知られるジャコウアゲハのさなぎ。おちょぼ口がかわいらしい
右 :こうして並べると、個性の違いが分かる
......とばかり言い切れないのが天然モノのすごいところで、個体差は大きい。だから、あるさなぎは女性ではなく、男性に見える。そうなると、「こいつは浄元坊主の生まれ変わりかもしれないなあ」と思えてくる。いずれにせよ、そうした想像に駆り立てるさなぎはそう多くない。親せき筋のベニモンアゲハのさなぎを見たときには、仁王様を連想した。
わが家の庭では秋になるとホトトギスが華麗で個性的な花を咲かせるが、そのちょいとばかり前に葉っぱを食い荒らしてさなぎになるのがルリタテハである。
その形も面白い。アゲハチョウやアオスジアゲハなどのようにぴったり壁に張り付くのではなく、葉っぱなどにぶら下がる垂蛹(すいよう)となるからだ。しかもその表面には、ギンギラギンのメッキみたいなものがある。パンジーの葉っぱをご利用になるツマグロヒョウモンのさなぎもやはり垂蛹で、ルリタテハをしのぐ数の銀の鋲を打ち込んだようになっている。これがヒトの世であるなら、さぞかし腕のいい職人の作だろう。「国蝶」のオオムラサキのさなぎは確かに立派な垂蛹だが、色気は感じない。
垂蛹は、ちょんとつつくと、ひょいっと体をひねる。ああ、こいつらも生きているんだやっぱり、と思える瞬間だ。
左 :ベニモンアゲハのさなぎ。仁王様に見えない?
中 :銀メッキが目立つルリタテハのさなぎはぶら下がり型
右 :オオムラサキのさなぎは立派だが、魅力が感じられないなあ
ところが同じぶら下がり型のさなぎでも、蛾となると印象はまたちがう。垂蛹よりも、人目を避けて土の中に隠れるさなぎの方にずっと愛着をおぼえる。
たまたま見つけた蛾のさなぎを手にして、昔の子どもは「西はどっちか?」とさなぎに尋ねた。お年寄りによってはいまも蛾のさなぎを見て、「ニシドッチがいたぞ」などと言う。西の方角を問うのは、極楽浄土がどこにあるのかと問いかけた名残だとされている。うーん、なかなか歴史のあるさなぎではないか。
右 :「西どっち?」と聞くのは、極楽浄土に行きたいからかな
豪華さを求めるなら、オオゴマダラのさなぎに尽きるだろう。なにしろ、全体がキンキラ金なのである。
まさに黄金のさなぎだ。残念ながら、沖縄にでも行かないと野生のものは見られない。ぼくはこの黄金のさなぎが見たくて、毎年のように彼の地を訪ねる。身近で見るなら、暖房装置のあるチョウの温室に行くことだ。
左 :沖縄のシンボルともいえるオオゴマダラ
右 :「黄金のさなぎ」という以外の言葉を思いつかないオオゴマダラのさなぎ
さなぎは、チョウや蛾だけの専売特許ではない。カブトムシ、クワガタムシにもさなぎの時代があるし、テントウムシ、ハエだってさなぎをこしらえる。テントウムシのさなぎなんて体の節に仕掛けがあり、体を伸ばして節のすき間を縮め、外敵をはさみ込む。
デザイン性なら、カミキリムシがすごい。ツタンカーメンも真っ青の芸術性を備えている。さなぎはとにかく、すばらしいのである。
左 :カブトムシのさなぎ。やはりカッコいい
右 :テントウムシのさなぎにはちょっとした仕掛けがある
左 :シロスジカミキリムシのさなぎ。とにかく圧倒されるデザインだ
右 :ハエのさなぎ。単調すぎて面白みがない
もっとも、ハエのさなぎはなかなか好きになれない。造形に芸がない。幼虫時代はウジムシとさげすまれ、じっとしているさなぎになれば、つまらん形だ、キモチ悪いと嫌われる。ああ、気の毒だ、とは思うが、やっぱりいやだなあ。
ごめんね、ハエさん。
だからなのか知らないが、長じてからはヒトの食い物にたかり、うっとうしくまとわりつく。だから、アンタは嫌われるのだよ、と言ってやりたいが、ハエにはハエの良さもあるから、まあまずは、このヘンでお開きとしましょうか。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。