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きょうも田畑でムシ話【25】

2015年4月 7日

新たなシシャモ伝説?――トカゲ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 毎年のスギ花粉症から逃れるには、国内なら沖縄、北海道に行くことだ。かの地には杉の木がないのだから、少なくとも杉の花粉は心配しなくていい。
 そんなふうに思って北へ南へと旅に出てはみるのだが、2、3日の旅行で劇的に症状がおさまることはない。それでも今年もまた、沖縄に行ってきた。


 めざすのはたいてい、「山原(ヤンバル)」と呼ばれる北部地域である。ヤンバルクイナ、ヤンバルテナガコガネといった山原の名を冠した生き物が数多く生息する、生き物好きにはこたえられない土地である。

 何度も足を運ぶと、ある程度の土地勘はできてくる。そこで毎回、同じ1本の木をめざすことになる。ありがたいことにそこにはいつも、かわいらしい友人が待ってくれている。
 キノボリトカゲである。あるときは樹幹に張り付く地衣類にまぎれて静止し、またあるときは茶色の木肌に合わせた体色で歓迎してくれる。そのどちらでもない緑と茶の入り混じった衣装でも見られた日には、大いに得をした気分になるものだ。
左 :緑色と茶色が混じった状態のキノボリトカゲ


 「これだから山原は、いいんだよなあ」
 感謝しながら、しばし観察の時を持つ。
 長いしっぽ。
 どこか恐竜を思わせる目玉。
 カメレオンのようにも見える細身の体躯――。
 それらのバランスが実にすばらしく、魅力的なのである。

 それになにより、ドラゴンフルーツやオウトウの植わった畑のすぐそばの木にいるのがいい。この地に住む人たちなら、農作業の合間に見ることもできよう。それはまさに、うらやましい特権だ。
右 :こちらは茶色のキノボリトカゲ


 同じ沖縄でも、石垣島に出かけたときには、野生化して問題になっている外来トカゲを見た。
 グリーンイグアナと呼ばれるそのトカゲの幼体は美しく、ペットとして飼う人がいるのもなるほどと思えたものである。

 ところが、だ。そのなれの果てはもう別の生き物であり、ふてぶてしい猛獣のようだった。おりにいたのは、まるで変身したかのような巨漢だった。第一発見者がどれほど驚いたかは、想像にかたくない。ずっと面倒をみる覚悟がなければ、外来種をペットとして飼ってはならぬ。


  
左 :グリーンイグアナの幼体。これくらいの時期はまだかわいらしい方だ
右 :成長したグリーンイグアナはもはや怪獣の領域に入りそうだ


 そんな南の国から戻ってふだんの生活をし始めると、こんどはごく普通のトカゲがぼくの相手をしてくれる。
 はっきりいって、わが家の周辺でよく見かけるのは、トカゲとは似て非なるカナヘビだ。
 両者は、混同されることが多い。そこでいろいろな識別法が紹介されるが、ぼくの印象では体に艶のある方がトカゲであり、かさかさした皮膚ならカナヘビである。


  
左 :カナヘビはトカゲに比べると肌が荒れている。どう見ても皮膚がかさかさだ
右 :シシャモに見えたらトカゲ。というのは、ぼくだけの言い分だ。おそらくは――


 幼体を見分けるのはたやすい。トカゲの幼体はしっぽの青さが際立つからだ。それにカナヘビは、「ヘビ」という文字を含む名前から想像できるように、体長に対するしっぽの割合がトカゲを上回る。
 ぼくが身につけた直感的判別法は、まだある。見た目の印象がシシャモのようであればトカゲだ。頭だけ見ればトカゲはヘビ、カナヘビはワニに似ていると思う。


 そんなトカゲたちの習性で驚かされるのは、地面に穴を掘って産む卵の世話をきちんとすることである。一斉にふ化させるためなのか、卵を口にくわえて動かしたり、頭で押し出すようにして転がしたりする。そしてふ化が始まると巣穴の中は、青光りしたしっぽの子トカゲでごった返す。外見がいくら似ているといっても、こんなにも愛情たっぷりの子育ては、カナヘビにはできまい。
右 :穴の中にいたトカゲ。ぼくに気づくと、中に隠れてしまった。せっかく友達になろうとしたのに......


 ところでこのごろは生き物の分類に新しい波が押し寄せ、以前とはいささかイメージが変わってきた。たとえばコウノトリ目に入っていたトキやサギ類がペリカン目に変更されたり、俗にクロメダカと呼ばれていた日本在来のメダカがキタノメダカとミナミメダカに分かれたりしている。まさかと思ったキリギリスも、ヒガシキリギリスとニシキリギリスに2分された。


 トカゲも変わった。いまではヒガシニホントカゲ、オカダトカゲ、ニホントカゲに3分類されている。ぼくが付き合う関東のトカゲは、分布域からいって、ヒガシニホントカゲとなるのだろう。


 トカゲはそもそも、名前からしてケッタイである。
 戸の陰にいるので「戸陰」。または、走るのが速いことを意味する「敏駆」が転じたとする説などいくつかが知られている。もともとはにごらず、「トカケ」と発声していたというはなしもある。
左 :しっぽの青いトカゲ。これはまだ成長過程にある証拠だ


 生き物の方言に興味があるぼくは、当然のごとく、トカゲについても調べてみた。
 そしたらなんとまあ、「トカゲはカマキリである」という不可思議な見解に出あってしまった。
 虫の話をしていてカマキリと言えば、あの鎌を持つオオカマキリやハラビロカマキリを連想するのが普通だろう。しかし、魚の話をしているときにカマキリが話題に上れば、これまた迷うことなくカジカ科のアユカケを思い浮かべる。「カマキリ」がアユカケの別名だということは、魚好きにとって常識だからだ。

 だったら、トカゲをカマキリと呼びならわすのは特別な地域かというと、そうでもないらしい。ぼくが暮らす千葉県や栃木、埼玉、山梨、青森、静岡県など複数の県で、「カマキリ」はトカゲの方言だとする例が報告されている。


 どうして、そんな不思議なことが起きたのか。

 謎を解く際のヒントになるかもしれないと思うのが、千葉県の例だ。方言という性格上どうしてもお年寄り世代になるが、カマキリのことを「カマゲッチョ」と呼び、トカゲにも「カマゲッチョ」の呼称を使っていた。つまり、「カマゲッチョ」に共通性を持たせたため、カマキリ=トカゲという関係性も生まれてしまう。
 しかし、その先の分析力を持たないぼくは、この興味深い言葉の巡り合わせを楽しんでいるだけである。


 そういえばたしか、山男が使う言葉にも「トカゲ」が登場したっけ。
 好天の山行で出あった大きな岩に身をゆだね、うつらうつら居眠りしたり、無心になって宇宙を感じたりする。それを「トカゲ」と言っていた。トカゲの行動を見ていると同じような場面に出くわすので、うまい表現だと感心することしきりである。

 この点はカナヘビも同様だ。陽だまりの中、温まった石の上でだらんとする。その習性に目をつけて石を積み重ね、トカゲやカナヘビを呼び込もうとする試みも広がっている。
右 :公園で見かけたトカゲを呼ぶための石積み。いかにもトカゲやカナヘビが好みそうな環境だ


 江戸時代の俳諧師・宝井其角の句に、トカゲとホトトギスを題材にしたものがある。
 ――あの声で蜥蜴(とかげ)食らうか時鳥(ほととぎす)
 あんなにも美しい声で鳴くホトトギスがあれほどに醜いトカゲを捕らえて食べるとは、という意外性をうたったものだ。凶悪事件が起きたとき、「あの人がまさか、あんなことを......」とは、現代でもよく耳にするたとえである。

 ホトトギスの餌食になるトカゲだが、彼ら自身は虫をえさにする。害虫扱いされている芋虫、毛虫をパクリと食べるさまを目にしたら、黙って手を合わせよう。農家にとってはありがたい、「生きている農薬」のひとつなのだから。まちがっても、しっぽを引っ張らないようにしてほしい。

 トカゲの再生能力の高さは認めるが、1カ月以上かけないと復元しない。しっぽをなくしたトカゲも落ち着かないだろうし、ご主人さまに捨てられたしっぽの気持ちも考えてやるべきだ。切られたしっぽがしばらくジタバタするのは、意思があるせいだと思えてならない。

 だからトカゲのしっぽ切りのような行いは、ニンゲンもしてはいけない。事件が起きるたびに、ぼくはそう思う。
左 :しっぽの切れたトカゲ。この再生には、1カ月はかかることだろう

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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