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2015年3月11日
ちょいととぼけたスレンダー――アメンボ
カエルが卵を産める場所が、どんどんどんどん減っている。その原因のひとつとして指摘されているのが、田んぼや沼の減少だ。集団で産卵する「かわず合戦」を見ようと去年まであった場所に出かけたら、あれまあなんと、田んぼが田んぼでなくなっていた。
農家の高齢化、米の販売価格の下落といった理由を挙げることはできる。だが、それが問える人間は、まだいい。カエルやタニシ、メダカにとって生息場所の消滅は、種の滅亡にもつながる一大事である。
右 :梅は咲いても、桃の開花にはまだ早い
いかん、いかん。春から、こんな暗い話はしたくない。そう思って首を振ると、小さな水たまりがあった。そしてそこには、アメンボが浮かんでいたのである。
「アメンボ赤いな あいうえお......」。頭をふとよぎるのは、演劇部員やアナウンサーが滑舌練習に用いる北原白秋の詩「あいうえおの歌」の一部だ。赤いアメンボはそれほど見かけないはずだが、だからといって赤トンボが赤いのは当たり前すぎて発声したくないし、アメンボ、赤い、あいうえおと韻を踏むことにもならぬ。してみるとやはり、アメンボさんの出番なのであろう。
それにしてもアメンボは、実にとぼけた虫である。細い体で水に浮かび、ノーテンキと思えるほどのんびりと水面を滑っている。英語ではポンド・スケーターとかウオーター・ストライダーとか言うようだが、まさにその通りの滑りっぷりだ。スケートをしたり、あの長いあしにものをいわせて大股で素早く動いたりするさまを表現した言葉なのだろう。
左 :アメンボがつくった影。どことなく愉快な顔に見える
右 :きれいな十文字を描くアメンボ。しかし、仲良くあしをつないだわけではない
日本では江戸時代に「跳馬(ちょうま)」「水澄(みずすまし)」の呼び名もあったようだが、現代人の多くはアメンボと呼ぶ。いまではそれが標準語だ。それでも漢字にはまだ多様性があり、「水馬」「水黽」「飴坊」など数種類の表記を目にする。
なかでも注目したいのは、「飴」という文字である。アメンボのにおいをかぐと飴のようなにおいを感じることから、この字を当てる。
ところがアメンボは大ざっぱにいうと、カメムシの仲間だ。カメムシといえば臭い虫の代表格である。それなのに臭いどころか甘いとくれば、カメムシ界の異端児ということになる。なんとも、とぼけた虫である。
右 :アメンボを間近でみると、カメムシにそっくりだ。親戚筋なのも納得
さらに驚くことがある。
気が向くと、この時とばかりにはねをパッと広げ、どこぞへブーンと飛んでいくのだ。あれまあ、おやまあ、とのんびりながめるうちに、さっさと視界から消えうせるのである。
そんなポーカーフェイスの虫が、いったい何を食べるのか。
やせてもかれてもカメムシの仲間であり、そのくちは針のように細く鋭い。だから植物の汁を吸うくらいしかできそうにない。間違っても、肉にガシガシ食らいつくことはできない構造だ。つまりは草食系の虫なんだろうなあ、と誤解する人もいる。
左 :アメンボは陸に上がるし、空も飛ぶ。そら見たことか、なんてね
右 :アメンボは肉食昆虫。針のようなくちで体液を吸う
ところが、彼らはここでも、人間にまんまと一泡吹かせるのだ。
あろうことか針のくちを獲物に突き刺し、肉をじわじわ溶かしては体液をじゅるじゅると吸いとる。それはまさに、バンパイアのやり口だ。豹変どころか、初めからその意図を持って接近するのだから、相当なワルだといえよう。
しかし、のんびり滑っているとしか見えない連中がいつ、どうやって獲物の存在を知るのか。実はそこにも、おそるべき戦略が隠されていた。
クモの半数は目の細かい網を張って、獲物の侵入・接近を知る。まさに、ネットワークだ。あの細い糸は自らの体内からせっせと紡ぎだすのだから、努力した結果の褒美ととれなくもない。
だがアメンボは、何をしたといえるのか。汗を少しでも流したかというと、そうではあるまい。もちろん、汗腺がないという意味ではない。あくまでものーんびり、浮かんでいるだけである。
――と思ったら、すでに術中にはまったと知るべきだ。なぜならアメンボは、クモのような苦労をすることなく、自分たちがいま遊んでいる水面全体をクモ網のように使っている。
右 :クモは網を張って獲物がかかったことを知る。アメンボは水面に起きる波紋で変化を感じ取る
何も知らない虫がポトンと落ちる。と、水面に小さな波紋が生じ、その輪がどんどん広がっていく。そしてしばらくすればアメンボにもビビッと伝わり、「獲物が来たぜ」というサインが届く。その先は言うまでもない。電光石火のごとく獲物に近づき、針くちを突き立てるだけである。
すなわち、水面に起きた波動を感知する能力を備えた虫がアメンボなのである。
そして器用にも、彼らはその波を自ら起こし、オスからメスに送るラブコールにも利用する。
左 :のんびり浮かんでいるように見えるアメンボだが、実際にはなかなかの戦略家だ
アメンボが水生カメムシとすれば、もっと大くくりのグループにセミがいる。アメンボもカメムシもセミも針のようなくちを持つから、この分類はまちがっていない。
とはいえ、同じ親せき虫でもセミは鳴くが、カメムシの大半は鳴かない。アメンボも鳴かない。この場合の「鳴く」は体のどこかの器官を用いて発音するという意味で使われるが、鳴けないアメンボが獲得したのはまったく別の方法だ。なにしろ自分の体以外の、しかもどこにでもある水の振動を利用するのだから、なかなかのヤリ手である。
その策略家は3対あるあしのうち、まんなかの2対を動かして前に進む。くちからは常に脂分を出してあしに塗り付け、水をはじきやすくしている。あし先には細かい毛がたくさん生え、その力もあって表面張力を利用した水面浮遊ができるのだ。
左 :アメンボたちは、表面張力を利用して水に浮かぶ
右 :田んぼで見つけたケシカタビロアメンボ。体長は約2ミリ。なるほど、ケシ粒ぐらいの小型種だ
川や沼に洗剤が流れ込むとおぼれるのは、その界面活性剤の働きで表面張力が弱まるからにほかならぬ。
だったら元気をつけるために、牛乳風呂に入れてやったらどうだろう。
実際に試すのが一番だが、そんなことをしたらアメンボは、底なし沼にはまったごとく、ズブズブと沈んでいく。助ける気があるなら、すぐさま引き上げることだ。牛乳の表面張力は水よりも小さいため、その上に乗っかるアメンボは沈没する。親切心が時としてあだになるということを教えるにはいいかもしれないが、良い子にはまねをしないでもらいたいものである。
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。