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きょうも田畑でムシ話【11】

2014年2月13日

嫌われ続ける名飛行士――ハエ  

プチ生物研究家 谷本雄治   


 ぼくの机の脇にはちょっとヘンな形のガラス瓶がある。オランダに出かけたとき、スーパーで購入したものだ。底には大きな穴があき、瓶の形状に合わせて内側に曲げられている。


tanimoto11_1.jpg「こ、これは......あれじゃないか!」

 過去に一度だけ見たことがあるハエ取り瓶と同じだと直感した。穴あき部分にえさを置き、湾曲部に水を注ぐ。その匂いに誘われて飛び込んだハエはガラス瓶の中をうろついた末、力尽きて水の中に落ちる寸法だ。瓶のフォルムといい機能性といい、実に素晴らしい。
 このオランダ製の瓶にはご丁寧に、ハエのマークまで入っている。洋の東西を問わず、同じ発想に基づく製品があると知っただけでもうれしくて、おそらくは床から数ミリ飛び上がったはずである。
左 :オランダで買ったハエとり瓶。日本で昔使われていたものにそっくりだ 


 ぼくのふるさと名古屋には、「ハイトリック」というぜんまい式のハエ取り器があった。大正時代の発明で、輸出までしたヒット商品だったという。名古屋弁ではハエのことを「ハイ」と呼ぶ。おそらくはその言葉に引っかけたネーミングだろうが、郷土自慢がひとつ増えた気分である。


tanimoto11_2.jpg こうした例を引くまでもなく、ハエは、蚊やゴキブリと並ぶ堂々の衛生害虫であり、嫌われ者の代表として紹介される。しかし、家屋内で目にする機会は著しく減った。1年のうちに1回でも見れば、さあ、どうやって追いだそうかと家族そろって大騒ぎである。

 それならハエはついに死に絶えたのかというと、もちろん、そんなことはない。野外ではいまも、よく見つかる。寒い季節でムシが少ないときなど、ハエ1匹といえども出現すればうししし......なのである。
右 :窓ガラスに張り付くハエ。こうして家屋で見かける割合はうんと減った


 日本はかつて、「さばえなす」国であった。さばえというのは陰暦5月ごろ姿を現すハエのことで、漢字では「五月蝿」「蠅聲」「狭蠅」などと書く。五月蝿は夏目漱石が「五月蝿い」と当て字表記したことで有名になったが、それ以前に「さばえ」はこの国で幅をきかせていた。したがって「さばえなす」といえば、騒ぐ、荒らぶるというような意味である。


tanimoto11_11.jpg だからといって、ただ煙たがるだけでなかったのが、われらがご先祖さまのエライところだ。ご飯粒にハエの頭を混ぜ込んだものでトゲを抜いたり、ムカデに咬まれたときの治療に用いたりした。剣豪・宮本武蔵は飛ぶハエを箸でつかんだという伝説があるし、動体視力を高めるために頭を動かさず目だけでハエを追う訓練をした剣士もいたようだ。なにしろ、さばえなす国の貴重な天然資源である。これを生かさぬ手はない。
左 :センチニクバエ。センチは「雪隠」、つまりトイレのことだ。メス成虫は卵ではなく、1齢幼虫を産む


 ハエは、人類以上に進化した存在だ。多くの昆虫が持つ4枚ばねのうちの後ろ2枚は平均棍と呼ばれるものに変わり、飛ぶ際にバランスをとるジャイロスコープの機能を持つ。しかもたった2枚のはねで急発進、急回転をこなせば、粘着性のあるあしで天井にもハゲ頭にも見事に張りつく。前あしでは食べ物の味までみるのだから、実にねたましい。

 だからというべきか、人間に嫌われる。バイキンを運ぶという一点を除けば、ハエは汚いというより、何かにつけてうっとうしい存在なのだ。だからやっぱり、嫌われる。


 そこでこんな話を思い出す。昔のこと、店先でうまそうなぼたもちを見つけた客が言った。
「あれを一つ、おくんな」
「毎度ありー!」
 そんな返事とともに店の主人が動かした手元を見ると、それまで小豆のように見えていたものがパーッと散った。それらはもちに群がるハエだったのだ。実際にそんな場面に遭遇したら顔をしかめたくなるだろうが、そのユーモア精神に免じて座布団を1枚くれてやりたい気分にもなる。

tanimoto11_3.jpg こんな計算もある。ハエのカップルがひと夏を仲良く過ごすと、1兆の1億倍に増えるというのだ。ネズミ算など足元にも及ばぬハエ算である。
 もちろん、成虫になるまでには幾多の障害があり、実際にはごく一部しか親バエになれない。だが、それを差し引いたとしても、ものすごい繁殖力だ。これなら、小豆なしにぼたもちを作り上げくらい朝メシ前であろう。
右 :交尾するハエ 。ハエ算によると、驚くほどたくさんの子孫が誕生することになる


 進化論で有名なチャールズ・ダーウィンは、これだけ繁殖力のあるハエが地球を覆い尽くすことがないのは、自然界にそれを抑える力があるからだと考えた。それが自然淘汰であり、生存競争なのだろう。剣豪も博物学者も、後世に名を残す人物はハエさえも無駄に見ていない。

 ハエは、日本だけで3000種近く生息する。屋内よりも、野外の方がずっと多い。
 冬のヤツデの花に群れているのを見て以来、ツマグロキンバエはなんとなく気になる存在になった。複眼に見事なスリットが入り、なかなかカッコいい。ほかの季節にもいろんな花で見る機会があり、ハエ初心者には受け入れやすい種といえる。
 死肉や排泄物に群がるキンバエやニクバエの仲間となると、さすがに目をそむけたくなる。だがそれも、チラ見したときの反応だ。


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左 :花を愛する(?)ツマグロキンバエ。複眼に入るスリットがなかなかシャレている
右 :ミミズに群がるキンバエ。獲物の存在をキャッチする能力には脱帽だ。それにしてもこんなに群れたら蒸れてしまう?


 いつだったか、行き倒れたミミズにキンバエが群がるシーンを見た。最初はさすがに嫌悪感をおぼえたが、カメラのレンズを通して見るうちに、懸命に生きようとするハエたちに拍手のひとつも送っていいのではないかと思えてきた。牧場で大量に発生する畜ふんを分解するのはハエの子のウジ虫であり、ふん虫、ミミズなど世間的には嫌われる者たちだ。そう考えると、汚れ役を買って出るハエたちに感謝せねばなるまい。

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左 :マダラホソアシナガバエ。ハエと付いてもアブの仲間だという。紛らわしい
右 :ホシアシナガヤセバエ。樹液を好むハエだが、見かけはまるでアメンボだ


 そう思ってあらためて見直すと、ハエは意外にもヒトの役に立っていた。農業に医療に、まさに人知れず頑張っている。
 数年前には高知県のピーマンハウスで、飛んでいる虫だけを食べるハエが発見されて大きなニュースになった。メスグロハナレメイエバエと名付けられたこのハエは農薬にきわめて弱いため、環境保全型農業の指標生物になる可能性も秘めている。そうかと思えば不足する授粉用ミツバチに代わり、イチゴ、マンゴーなどの授粉にハエを使おうという動きもある。

tanimoto11_12.jpg あしの切断を迫られた糖尿病患者は、それ以外の手段があるならすぐにでもすがりたい気持ちになろう。そこでヒロズキンバエの出番となる。「マゴットセラピー」という言葉とともに少しは名を知られるようになった治療法で、分かりやすくいえばウジ虫に患部の悪い組織だけを食べてもらう。
右 :ハエの飼育室では、目をそむけたくなるほど大量のハエが飼われている


 十数年前、ミノムシ(オオミノガ)が日本から消えたと騒がれた。その原因として挙げられたのが中国渡来の寄生バエだった。オオミノガヤドリバエという寄生バエで、これには全国のミノムシ・ファンががっかりした。しかし自然界はよくしたもので、こんどはその寄生バエに寄生する寄生バエが見つかった。


「だけどさあ......」。そう言いたい農家も多かろう。身近なところでは「絵かき虫」の俗称も持つハモグリバエが農家の敵だ。タネバエ、ミバエとくれば何種も知られている。種による違いがあると分かっていても、ハエとくればひとくくりにしたくなるのが人情だ。


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左 :菜の花が咲くころになると俄然目につくハモグリバエの代表種・ナモグリバエ
右 :ナモグリバエの幼虫が通ったあと。これはまさに、天然の芸術作品?


 でもきょうからは、そうでない種がいることも理解したい。手始めに、畑まわりのツマグロキンバエに目を向けようではないか。
「そんなにジロジロ見るなよな」
 彼って、ちょっとスネた感じがなんとも言えない魅力なんですよー。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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