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きょうも田畑でムシ話【5】

2013年8月 6日

小さなスーパースター――アマガエル  

プチ生物研究家 谷本雄治   

 
 カエルがいなかったら、田んぼも畑もいかに味気ないか。そう思う農家は多いと思う。趣味的な菜園しか持たないぼくにとっても、アマガエルがいるかいないかで、足を運ぶ回数がずいぶん違ってくる。


「カエルの詩人」といえば、草野心平をおいてほかにはいまい。詩集『第百階級』などの作品で、カエルの心情までも鮮やかに描きだした。そんな域に達するのは無理としても、アマガエルがいればつい、話しかけたくなる。なにしろ、田畑の道化役を演じることができる数少ない役者だからだ。

tanimoto5_0.jpg それなのに、田畑やそのまわりの雑木林で出会うアマガエルはたいてい、ねぼけまなこである。「おいら、金輪際、ここから動く気はないけんね」という表情で葉の上や木の幹、木の枝にとまり、見つかると、うっとうしそうに薄目を開けたりする。心平さんならその心を読むかもしれないが、凡人であるぼくにはできそうにない。
右 :アマガエルの得意な表情はやっぱり、ねぼけまなこ?


 いくらか推測できるのは、それは休息中だからであり、働くときには働く生き物であるということだ。人間はよく、益と害で生き物を分けたがるが、それに従えばアマガエルは益の方が大きい。田畑の作物にアダなす芋虫、毛虫などを食べてくれるからである。


tanimoto5_7.jpg「そんなら、数字できちっと示してほしいよな」
 そういう御仁が必ずいる。しかし、そのためにはカエルの腹をかっさばいたり、胃袋をひっくり返したりしなければならない。愛すべきアマガエルに、そんなひどい仕打ちはしたくない。

 参考までに調べたら、農業試験場などではじき出した数字があった。アマガエルが1平方メートル当たり2、3匹いれば、ツマグロヨコバイによる被害はほとんど免れるという。
左 :アマガエルの目玉には、見ていて飽きない魅力がある


 比較する数字が乏しいため判断に困るところだが、カエルにとっては十分すぎるほど広いあの田んぼ王国から、ちっぽけな虫を探し出してえさにするわけである。そこらへんの苦労度合いを加味すると、十分に働いているといえよう。


 芥川龍之介は河童やクモと付き合っていたようだが、カエルに注ぐまなざしも忘れてはいない。「青蛙おのれもペンキぬりたてか」などという洒脱な句を残している。青蛙=アマガエルとは断定できないが、ここではまあ、アマガエルとしておきたい。


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左 :何を見るのかアマガエル。景色の向こうにえさを見つけたのかな
右 :雨が降りそうだからか、手の上で突然鳴き出したアマガエル


 カエルというと、早春のかわず合戦を思い浮かべる人も多かろう。ヒキガエルやアカガエルが集まって繰り広げる一大イベントである。ところが残念なことに乾田化が進み、農業用水路もコンクリート3面張りとあっては、産卵も生存も危ぶまれる。あのあしのつくりでは、いったん落ち込んだが最期、コンクリートの壁をよじ登るのは難しい。「すわ、カエルの一大事!」とばかりに退避路を設けた自治体もあるが、焼け石に水の感は否めない。

 その点、アマガエルはたいしたものだ。ぺたんぺたんと壁に張り付きよじ登り、苦もなく目指す水辺に向かう。田植えの後からという産卵習性も身を助け、ヒキガエル、アカガエルに比べると驚くほど少ない産卵数でありながら、しぶとく種を保っている。しかも田んぼに固執することなく、畑にも積極的に繰り出して、野菜の敵となる虫たちを口にしては、グゲゲゲとほくそ笑む。小兵ながら、なかなかにたくましい種族である。


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左 :ちょっとした傾斜を登るだけでもヒキガエルには大仕事だ
右 :垂直の壁もなんのその。スパイダーマンの代役もできそうな美形のアマガエル


「おらの畑でよ、えらいおっきなアマガエルを見つけただ。ありゃあ、畑の害虫をたらふく食ったやつにちげえねえ」
 そんなカエル自慢をする農家には、ちいとばかし待っておくんなせえ、と言いたくなる。それはアマガエルではなく、シュレーゲルアオガエルである可能性が高いからだ。やはり春先のころ、田んぼの中やあぜに泡状の卵のかたまりを産む。
 見た感じは確かによく似ている。だが、もっとよく見ると、ひしゃげた鼻づらのアマガエルとちがって、すっと尖った感じになっていなかっただろうか。

「そういやあ、ちいと男前だったかのう」
 アマガエルと間違えるくらいだから性別までを判断するのは難しかろうが、その表現はまちがってはいない。


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左 :シュレーゲルアオガエル。うっかりするとアマガエルと間違えるが、鼻先の尖り具合が異なる
右 :シュレーゲルアオガエルの卵のかたまり。この田んぼの春の風物詩になっている


 実はこの春、わが菜園にもシュレーゲルアオガエルがやってきた。住宅化が進む地域ゆえ、いったいどこで生まれたものかと首をひねったが、1か月近く滞在して、姿を消した。産卵期の田んぼではカスタネットをたたくような軽快な鳴き声を聞かせてくれるカエルだが、身近にいて、しかも1匹だけとなると相当にけたたましい。いればうれしいが、毎晩騒ぐのだけは勘弁してほしいものだと思った矢先の失踪劇で、いなくなればなったで、さびしくもある。


tanimoto5_4.jpg 山間部の田畑周辺だと、モリアオガエルとアマガエルを間違えることもある。木の枝に卵の袋をこしらえることで知られるカエルだ。地域によっては天然記念物に指定されているが、自然環境に恵まれた土地ではそれほど珍しくもない。とはいうものの、そうした環境が全国的に減っていることを考えると、守っていきたいカエルではある。
右 :木の枝に産まれたモリアオガエルの卵のかたまり。時期がくれば、オタマジャクシがポトンポトンと落ちてくる


 子どものころは、だれもが一度はこう言ったり、言うのを耳にしたはずである。「カエルが鳴くから、かーえろ!」
 しかし、巨大で存在感のあるヒキガエルは、産卵期にしか声を発しない。アカガエルもはしゃぐのは、やはり春先だけだ。カエルはほかにも多数いるが、身近なところではアマガエルの声を聞くことが多かったはずである。あのちっぽけなカエルがどうして、あんなに大きな声を出すのか。実際にのどをふくらませるところを見ても、不思議である。


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左 :鳴くアマガエル。のどを思い切りふくらませている
右 :周囲の色にうまく溶け込んだアマガエル。まさに変身の達人だ


 アマガエル、侮るべからず。体色も自在に変えるし、天気予報もきちんとこなす。ある水族館が的中率を調べたら、気象予報士をうならせる好成績だった。吸盤を生かして高い木によじ登って下界を見下ろす、雲や雨の動きを読む、声は通る、七変化もお手のもの。そして何より、害虫退治に精を出すとくれば、われわれ人間族は彼らに「スーパーガエル」の称号を贈らねばならぬ。

 さればとアマガエルに近づいたが、何をねぼけたことを、というメッセージをこめた念が送られてきた。そのように感じた。「小さな大人(たいじん)」とはまさに、アマガエルのために用意されたことばである。

たにもと ゆうじ

プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。

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