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2013年5月15日
田んぼの隠れた人気者――ホウネンエビ
田植えが終わってしばらくすると、どろどろになった田土の中から、いろんなプランクトンがわきだしてくる。だれもがよく知るミジンコだけでも何種かいるし、ミドリムシやらラッパムシ、ゾウリムシ......と数えていったら、きりがない。しかも、その数はハンパではなく、まさに有象無象のものたちが四角い水辺で泳いでいる。
よく見ると、金魚も何匹か混じっている。
――などと言おうものなら、両の目を真っ赤にして探した挙げ句、「あかん、ワシの田んぼには1匹もおらん」とがっかりする農家がいるやもしれぬ。信州あたりではコイやフナを田んぼに放す伝統的な除草法があるが、デメキンやランチュウはまず見つからない。普通のやり方に満足できぬ数人がニシキゴイやワキンを放した例はあっても、継続して取り組んだという話は聞かない。
(右 :金魚と聞けばこういうものを連想するかもしれないが、田んぼにはさすがに入れない)
ここでいう田んぼの金魚というのは、「田金魚」のことである。名前からして、まさに田んぼを代表するような金魚ではないか。しかし、この国には、全国どこでも通用する標準和名というものが設けられている。それに従えば、ホウネンエビと呼ぶべきだろうか。
漢字を見て、「ホウネン」が「豊年満作」に由来する言葉だと知れば、なんとなくイメージでき、なーんとなくありがたい生き物であるように思えてくる。
(左 :野外では、うっかりすると見逃してしまう。かくれんぼが得意な生き物かも
右 :卵を持ったホウネンエビ。しっぽの先をよく見ると、毛が生えたようになっている)
してその実体は何かというと、大ざっぱにはミジンコの仲間である。その親せき筋に当たるのが「田んぼの草取り虫」の異名を持つカブトエビであり、透明な貝殻に閉じこもったエビを思わせるカイエビである。
彼らに共通するのは、原始的な生き物であるという点だ。この中では比較的知られたカブトエビはおよそ3億年前に登場し、今日に至るまでそのデザインを変えていない。ホウネンエビもカイエビも、同じように古い形態をいまに受け継ぐ。
ホウネンエビが「田金魚」といわれるのは、その泳ぎ方や、緑がかった体やオレンジ色の尾に由来するものだということは想像にかたくない。江戸時代には木のたらいに入れて町なかを売り歩く田金魚売りもいたそうだから、考えてみれば、文化史的にも価値のある生き物だ。
(左 :こうして見ると、観賞魚の仲間とされたのもうなずける
右 :透明の貝殻に入っったようなカイエビ。殻の中では、懸命にあしを動かす)
本をよく読む人は、志賀直哉の作品「豊年虫」を思い浮かべるやもしれぬ。そこにもやはり、豊年満作を暗示する虫として登場する。しかし、その正体は川をすみかとするカゲロウであり、田んぼにすむホウネンエビとは別物である。
(左 :はかない命の代名詞にされるカゲロウ。確かに弱々しく、はかなげな印象を受ける
右 :川底の石に張り付いているカゲロウの幼虫たち)
カゲロウに比べれば、観賞魚の飼育家によく知られたブラインシュリンプは、ホウネンエビの兄弟みたいなものだ。そして、その改良種ともいえる「シーモンキー」は、ぼくらの子ども時代にはあこがれ商品のひとつだった。
少年雑誌には宇宙人のような雰囲気を持つ不思議な生き物を描いた広告が載り、少年たちの心を揺すぶった。モンキーというから猿の仲間にも思えるが、水中で暮らすなら猿ではないし......。想像力を働かせるが、いまひとつ分からないまま、大人になったらいつか買おうと心に誓った子どもも多かったことだろう。時を経てそれが、ホウネンエビに近い生き物だと知った時の驚きはどう表現しよう。
(右 :かつての少年たちがあこがれた「シーモンキー」もこんな感じだった。なるほど、猿に見えないこともない)
ブラインシュリンプは、サンショウウオやイモリを飼う際によく利用した。たいていはエアポンプをセットした塩水で休眠卵をふ化させるが、ぼくはエアレーションしたことがない。それでもちゃんと卵はかえり、えさとしての役割を果たした。
そのせいもあって、ブラインシュリンプとホウネンエビを結びつけるのに時間を要したが、ふ化したブラインシュリンプを育て上げていれば、いまここで話題にするホウネンエビにそっくりだと気づいたはずである。
ともあれ、すっかりオジさんになったぼくは何度か、田んぼに発生したホウネンエビを飼ってみた。何を考えているのか知らないが、たいていは腹を上にして、いわゆる背泳ぎをしている。ところがかつて、逆向きの絵を載せている本があった。出版社に問い合わせるとそれは、絵描きさんが標本を見て描いたものだった。ホルマリン漬けの標本から泳ぐさまを見抜くのは難しかろう。結局は増刷分から描き改められたから、わが家にある本は貴重な1冊となった。
ホウネンエビにひかれる理由のひとつは、雌雄の形態のちがいだ。成熟した雌は腰に卵の袋をぶら下げ、雄は雄で、ゾウアザラシの雄のように立派な頭部を持っている。それがすまし顔でゆったりとした背泳ぎをしているのだから、ノーテンキということばが頭から離れない。
(左 :横から見てもなかなか美しいホウネンエビのペア。雄(左側)の顔は、ゾウアザラシに似ていると思うのだが......)
最近はクラゲの泳ぎを見て癒される人が多いそうだが、ホウネンエビも負けてはいない。ワイングラスにでも入れてながめれば、いくらかのストレス解消にはなろう。
そうだ。いまという時代こそ、田金魚売りが必要なのだ。あくせくした日常から逃れたいなら、ぜひとも田んぼのホウネンエビを。農家なら、秋の豊作もおまけに付いてくる?
プチ生物研究家・作家。 週末になると田畑や雑木林の周辺に出没し、てのひらサイズのムシたちとの対話を試みている。主な著書に『週末ナチュラリストのすすめ』『ご近所のムシがおもしろい!』など。自由研究もどきの飼育・観察をもとにした、児童向け作品も多い。