芦北サラダたまねぎの栽培を中心に、さまざまな出来事をお伝えします。

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「サラたまちゃん」産地の歴史

2007.10. 8

 私の住む水俣・芦北地域は、熊本県の最南部で鹿児島県と隣接する風光明媚な地域です。東は九州山地が走り、西は不知火海が広がっています。

高台から不知火海を見下ろす

 
 水俣・芦北地域のたまねぎ『サラたまちゃん』は、温暖な気候を生かし、1961年から水田裏作として栽培されていましたが、当時は4月中旬からの出荷中心で、販売単価は不安定でした。


 以前から、生産者の中からは「あと1カ月早く出荷できないか」という声がありました。当時農協の営農指導員であった私は、それに答えようと農家の畑を借りて、品種の比較試験などに繰り返し取り組み、3年間の苦労のかいがあって、ついに3月に出荷できる極早生のたまねぎと出会ったのです。


 このたまねぎを部会での試食会に持ち込み、試食を行った結果、部会員からは「たまねぎはこげん(こんなに)甘かったか」「こんまま食べらるっぞ」との声が出たことから「サラダ用として売れんじゃろかい」となり、その年の春すぐに東京、大阪、名古屋などの大消費地で「試食宣伝会」を開催しました。

たまねぎの圃場


 しかし、当時はたまねぎを「生で食べる」ということには何となく抵抗がありましたし、「水俣病」に対する消費者の理解不足から、部会員の熱い期待とは裏腹に、消費宣伝会での消費者の反応は悪いものでした。


 水俣に帰り、部会員と夜通し徹底した議論を重ねました。

 消費者に「たまねぎを生で食べたい」という意識を持ってもらうためには、旧来の栽培方法や食文化を生産者の側から消費者に提案する意気込みが必要ではないか、との結論に達しました。


 「それなら徹底的に環境に配慮して栽培しよう」と、逆境を逆手にとって、除草剤を一切使わず、化学農薬・化学肥料も極力減らすことで消費者の意識を180度変えてもらおうという、私達の取り組みが始まりました。

(※画像をクリックすると大きく表示されます)

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