普及指導員が現場で活躍する日々をレポート
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大分県
塩崎洋一

体重量るだけじゃねぇぞ

2024.12.27

 この日は、酪農から肉用牛に経営転換したOさんのところで、発育調査です。
 子牛市場では、価格と日齢体重に相関がある面は避けられないので、体重を量るのはもちろん、牛さんの発育のバランスから、体高も胸囲も測ります。
 量る・測る・計るで、それぞれ意味あいが違いますが、それぞれの数字を、和牛登録協会にいただいている標準偏差値を計算する表に並べます。すると、例えば体高のσ値が+1ならば、その他の値も+1になっているかなどで、その子牛の発育のバランスが解る、と言うことです。


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胸囲を測るSくん、子牛と一緒に体重を量るH総括。普及現場では、自身の体重を気にしているようでは、仕事は進みません。私は三桁ですけど・・・・


 最近は便利なグッズと言いますか、体重計も良くなりました。
 以前、南部振興局に在籍していた時代は、軽トラで運ぶようなサイズでしたが、今は、公用車で運べます。
 何事も数字で把握していくのが、技術の基本だと思うのは、私だけでしょうか。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興で普及活動の第二幕、北部振興局で普及活動第三幕を終えた矢先、北部からさらなる要請があって第4幕が上がった。なかなか自分のやりたいことに集中できない、でも断れないジレンマを抱えながら、それでも全力で普及員をやる気持ちです。

大分県
塩崎洋一

第二幕を引き継いで

2024.12.25

 この日は、県内の各普及現場での事例発表会でした。
 ひさしぶりに参加したのですが、感想はともかく、何人かの後輩から声をかけてもらって、発表を聞くよりも、来て良かった、うれしかったというのが本音です。

 さて、一昨年に勤務した中部振興局での普及活動 第二幕で、Kさんと一緒にてこ入れしていた農場への対応、その後Aくんがやってくれていましたが、その経過を通じての発表でした。


 「そうだ、この点だぜ」と思ったのが、農場で何をしたかと言うよりも、普及として、活動対象をどのように捉えて、産地としての将来像を描く中で、そこに向かってメリハリのある活動を展開する、本当に支援が必要な経営体に集中していく、といったことをハッキリと言ってくれたことでした。


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壇上で堂々と発表するAくん、こうした普及手法を貫いて欲しいと願うばかりです


 さまざまな環境要因が変化する中で、こうした戦略的な考え方は大切です。これを間違うと、何かの沼にはまってしまい、普及活動の成果といいますか、目的に対する効果が見えにくくなるのです。
 話を聞いていて、私自身、自分のやってきたことは、やっぱり間違ってはいなかった、と思いました。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興で普及活動の第二幕、北部振興局で普及活動第三幕を終えた矢先、北部からさらなる要請があって第4幕が上がった。なかなか自分のやりたいことに集中できない、でも断れないジレンマを抱えながら、それでも全力で普及員をやる気持ちです。

大分県
塩崎洋一

拘束される作業から解放

2024.12.17

 酪農家さんは、365日、毎日欠かさず乳搾りをしなければなりません。肉用牛農家さんにそれはないですし、放牧であればやり方によっては毎日飼料給与しなくても何とかなります。もちろん、飼槽に入れての餌やり、という意味です。


 水だけは必ず毎日給水してあげる方が良いのですが、そこに作業量は異なりますが、酪農家さんの乳搾り同様の拘束性があります。
 しかも、ウオーターカップや大きな水槽があって、水がいつもあるのならともかく、ここは景色は最高ですが、水がありません。毎日、何度も水桶に入れてやる作業があります。

 そこで、1日に何度も給水作業をしなくて良いように、普及活動第2幕でやったような細工をすることにしました。
 作業時間は2時間ちょっと。これで拘束時間が激減するなら安いものです。


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メインのタンクをセットするOさん。遠くは周防灘、景色は最高です


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黙々と作業する、Nさん


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完成。前回、中部振興局管内では、大きな樽を使って、パドックの内と外でしたが、今回は2パドックの飼槽横に、枝分けしてそれぞれ設置です

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興で普及活動の第二幕、北部振興局で普及活動第三幕を終えた矢先、北部からさらなる要請があって第4幕が上がった。なかなか自分のやりたいことに集中できない、でも断れないジレンマを抱えながら、それでも全力で普及員をやる気持ちです。

blog_hukyu_kasahara2_f.jpg 青森県
笠原 均

三好鍋、ついにランチメニューに

2024.12.11

 令和5年2月に結成されて以来、試行錯誤を続けながらも地域活性化に取り組む三好をあじあう会(青森県五所川原市三好地区)。
 令和5年度に県の事業を使って開発した三好鍋が、ついに日曜日の定期メニューとなって三好地区内の農家レストラン「わらふぁーむ」で提供されることになりました。
 思えば、レシピが完成してから苦節12ヶ月・・・(短いじゃん)。これまでイベントでの不定期販売に留まっていましたが、ついにメニューとして定期的に販売されることになったのですよ。感動です。
 発表の狼煙をあげる12月6日は、青森テレビの人気夕方ワイド番組「わっち」の中継で取り上げられました。

 私が中継点のレストランに着くと、すでに皆さんリハーサル中です。


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すでに青森県は雪の中・・・


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綿密な打合せ中。表情が真面目・・・


 シナリオ上、「店主の明日香さ~ん、三好鍋はできましたかー?」「はーい、あともう少しでーす」というやりとりをしていますが、実はすでに完成しています。

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農家レストラン「わらふぁーむ」の店主、明日香さん。三好をあじあう会のメンバーです。すでに完成した三好鍋を手にしています。


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鍋が届きました。でもリハーサルなので、鍋の中身は入っていません。


 三好鍋の隠し味「三五八(さごはち)」の感想を話す小野寺アナ。その横で、さりげなく「三好をあじあう会」の活動(赤丸)をPRする会のメンバー。気が利きます。


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最後は、拍手で締めくくり。


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自宅で、録画をチェックする筆者。
・・・という画像だったが、家族から苦情が出たので仮想空間で録画をチェックする筆者。


笠原 均

青森県の農業改良普及指導員(普及員)です。普及員歴はすでに20数年となるのですが、お話し好きが高じて、農業の担い手育成を担当していることが多いです。 プライベートでは、「気分はプロフェッショナルカメラマン」、「YouTube再生回数が伸びないけど作曲家とウインドシンセサイザー奏者」です。 加えていうと、15年前から音楽の秘められた力をフル活用して地域おこしをやっています。そんな活動のお陰で町内会役員から目をつけられ(勧誘され)、町内会の理事なんかやっています。もちろん、町内の草刈りやしめ縄づくりも、町内会最年少として参加しています。

大分県
塩崎洋一

期待の新星

2024.12. 2

 この日は、管内の中山間地で、経営展開の相談でした。
 実は、私が新入りの頃(昭和63年)、お父さんはJAの畜産担当で、鍛えてもらった方です。JA退職後に、自家の肉用牛経営を規模拡大してきましたが、息子さん2人が帰ってきて一緒にやっているところで、今後のさらなる経営展開を計画中です。


 事務所の畜産班のH総括が担当していたので、先日、一緒に伺いました。
 その際に、「いろいろな経営状況がある中、今の牛舎で親牛が一杯なら、種のついたヤツ(妊娠牛)を、牛舎の下にある田に放せばいいのでは。それなら、施設に多額の投資をせずに行ける。屋根とスタンチョンと餌箱だけでもいい。この田の広さなら、20か30は出せる。そして、育成や分娩に今の牛舎を使って増やせばどうか」と提案。


 さらに数日後、市役所の担当も交えて伺うと「耕作条件の良い田ではなく、放牧には牛舎の上に荒廃地がある」とのことで、みんなで行ってみた次第です。


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左から次男さん、お父さん、H総括、市役所担当、長男さん。後ろの石垣の向こうに荒廃農地が広がっていました。放牧には十分使えます。ついでに獣害対策にもなります


 資材高騰、飼料高騰、何もかもがコスト高のこの頃、いかにコストを下げるか。ざっくり言えば「アイデア勝負」です。
 『牛を飼うには、こうしなければならない』という先入観が、コストアップを招いている感は拭えません。『牛を飼うには、これだけあれば良い』と考えれば、あとは「ここだけ気をつければ良い」で進んでいけます。先入観や固定観念は、やはり、いろいろな場面でリスクと言えそうです。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興で普及活動の第二幕、北部振興局で普及活動第三幕を終えた矢先、北部からさらなる要請があって第4幕が上がった。なかなか自分のやりたいことに集中できない、でも断れないジレンマを抱えながら、それでも全力で普及員をやる気持ちです。

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