普及指導員が現場で活躍する日々をレポート
   普及指導員とは・・・こちら

RSS

blog_hukyu_kasahara2_f.jpg 青森県
笠原 均

三好鍋、ついにランチメニューに

2024.12.11

 令和5年2月に結成されて以来、試行錯誤を続けながらも地域活性化に取り組む三好をあじあう会(青森県五所川原市三好地区)。
 令和5年度に県の事業を使って開発した三好鍋が、ついに日曜日の定期メニューとなって三好地区内の農家レストラン「わらふぁーむ」で提供されることになりました。
 思えば、レシピが完成してから苦節12ヶ月・・・(短いじゃん)。これまでイベントでの不定期販売に留まっていましたが、ついにメニューとして定期的に販売されることになったのですよ。感動です。
 発表の狼煙をあげる12月6日は、青森テレビの人気夕方ワイド番組「わっち」の中継で取り上げられました。

 私が中継点のレストランに着くと、すでに皆さんリハーサル中です。


kasahara_29_1.jpg
すでに青森県は雪の中・・・


kasahara_29_2.jpg
綿密な打合せ中。表情が真面目・・・


 シナリオ上、「店主の明日香さ~ん、三好鍋はできましたかー?」「はーい、あともう少しでーす」というやりとりをしていますが、実はすでに完成しています。

kasahara_29_3.jpg
農家レストラン「わらふぁーむ」の店主、明日香さん。三好をあじあう会のメンバーです。すでに完成した三好鍋を手にしています。


kasahara_29_4.jpg
鍋が届きました。でもリハーサルなので、鍋の中身は入っていません。


 三好鍋の隠し味「三五八(さごはち)」の感想を話す小野寺アナ。その横で、さりげなく「三好をあじあう会」の活動(赤丸)をPRする会のメンバー。気が利きます。


kasahara_29_5.jpg


kasahara_29_6.jpg
最後は、拍手で締めくくり。


kasahara_29_7.jpg
自宅で、録画をチェックする筆者。
・・・という画像だったが、家族から苦情が出たので仮想空間で録画をチェックする筆者。


笠原 均

青森県の農業改良普及指導員(普及員)です。普及員歴はすでに20数年となるのですが、お話し好きが高じて、農業の担い手育成を担当していることが多いです。 プライベートでは、「気分はプロフェッショナルカメラマン」、「YouTube再生回数が伸びないけど作曲家とウインドシンセサイザー奏者」です。 加えていうと、15年前から音楽の秘められた力をフル活用して地域おこしをやっています。そんな活動のお陰で町内会役員から目をつけられ(勧誘され)、町内会の理事なんかやっています。もちろん、町内の草刈りやしめ縄づくりも、町内会最年少として参加しています。

大分県
塩崎洋一

期待の新星

2024.12. 2

 この日は、管内の中山間地で、経営展開の相談でした。
 実は、私が新入りの頃(昭和63年)、お父さんはJAの畜産担当で、鍛えてもらった方です。JA退職後に、自家の肉用牛経営を規模拡大してきましたが、息子さん2人が帰ってきて一緒にやっているところで、今後のさらなる経営展開を計画中です。


 事務所の畜産班のH総括が担当していたので、先日、一緒に伺いました。
 その際に、「いろいろな経営状況がある中、今の牛舎で親牛が一杯なら、種のついたヤツ(妊娠牛)を、牛舎の下にある田に放せばいいのでは。それなら、施設に多額の投資をせずに行ける。屋根とスタンチョンと餌箱だけでもいい。この田の広さなら、20か30は出せる。そして、育成や分娩に今の牛舎を使って増やせばどうか」と提案。


 さらに数日後、市役所の担当も交えて伺うと「耕作条件の良い田ではなく、放牧には牛舎の上に荒廃地がある」とのことで、みんなで行ってみた次第です。


blog_shiosaki178-1.jpg
左から次男さん、お父さん、H総括、市役所担当、長男さん。後ろの石垣の向こうに荒廃農地が広がっていました。放牧には十分使えます。ついでに獣害対策にもなります


 資材高騰、飼料高騰、何もかもがコスト高のこの頃、いかにコストを下げるか。ざっくり言えば「アイデア勝負」です。
 『牛を飼うには、こうしなければならない』という先入観が、コストアップを招いている感は拭えません。『牛を飼うには、これだけあれば良い』と考えれば、あとは「ここだけ気をつければ良い」で進んでいけます。先入観や固定観念は、やはり、いろいろな場面でリスクと言えそうです。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

83歳のタフガイ

2024.11.25

 当ブログに投稿を始めた(2013年)南部振興局勤務の前は肥育の広域普及指導員として、県内全域を走り回っていたところですが、その頃に巡回していたのが、和牛肥育農家のSさんです。
 この日は担当のNさんと、牛房別に濃厚飼料給与量を掲示してあるシールの張り替えに来ました。


blog_shiosaki177-1.jpg
牛舎前でSさんと話すNさん、牛舎の裏には県内随一の水田地帯が広がっています


blog_shiosaki177-2.jpg
シールを書き換えているNさん、柱に貼り替えます


 現在40頭ほどいますが「それなりの経営規模なのに、そんなこと、普及がやってるの?」と思われるかもしれません。
 実はSさん、牛飼い経験60年を超える、御年83歳です。大型機械を操っての牛舎の管理作業もさることながら、水田も20haほどやっているのです。もちろん、休日には息子さんが手伝いをしていますが、それでも驚くほかはありません。少々耳が遠い、年相応に膝が痛いほかは、年齢を感じさせないタフな親父さんです。


 そんなこんなの、これまでの付き合いの流れでやっているわけですが、このSさんも、先日ブログで紹介したエサを使っているのです。そのエサに変えた際に、給与量を間違わないように、特に、肥育前半の給与量を増加させる期間に、貼り出しをしているという次第です。

 それでも、枝肉の出荷成績を見せてもらった7月の着任当初、「もしや?」と思い、稲わらの給与量を伺ったところ、やはり少ない。Nさんと一緒に本人の前で計量して、増量を指示しました。給与量の変更を指示したので、そこから毎月体重も量ることにしたのは、言うまでもありません。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

blog_hukyu_enokida_f.jpg 北海道
榎田純子

新たな担い手から地域の一員へ

2024.11.19

 後継者、新規参入者として根室管内で5年以内に酪農を始めた方、就農を目指している方を主な対象に、根室管内農業士会と根室振興局が主催して根室管内新規就農者交流会が令和6年10月31日に開催されました。
 農業士でもあり、新規就農15年目の羅臼町の酪農家さんに講演いただいた後、グループワークを行いました。地域の先輩農業者と新規就農者が顔をあわせて話す好機となった交流会でした。


blog_enokida2-1.jpg


 さて、ブログなので、ここからは、普及指導員である私の感想です。
 担い手が地域に定着して継続的に地域で営農していくためには、地域の一員になっていくことが必要だということを実感しました。それは、他の地域からやってきた新規参入者でもこの地で生まれ育って親元就農した後継者でも同じことで、いつまでもよそ者、いつまでも子供ではいられないということ。


 普及指導員は『自ら考え実践する農業者を育成する』ことが仕事です。なかなかおこがましいとは感じるものの、こうした交流会を通して、それぞれが受け止めて、日々の営農や生活に活かしていただくことができれば、仕事の成果があがったということと自己評価しております。

榎田純子

平成10年に北海道庁に普及職員として入庁し勤続26年、今年(令和6年)50歳になりました榎田純子と申します。現在は、北海道の東、酪農王国別海町にあります根室農業改良普及センターに担い手主査として勤務しています。こちらのブログで、北海道の農業・農村で働く普及の仕事について紹介していきます。どうぞ、よろしくお願い致します。

大分県
塩崎洋一

放牧も良いけれど~今時、信じれんなあ

2024.11.15

 海の見える牧場、県内でも何カ所もありません。私の好きな風景ですが、この牧場、ひとつ大変な点があったのです。


blog_shiosaki176-1.jpg
あいにくの曇り空ですが、周防灘を見渡す牧場です(出荷前の牛たちのパドック)
ちなみに国東半島は、果樹園が多かった地域です。これ以上は言いません・・・


 地図を見ればわかりますが、県南部沿岸は豊後水道のリアス式海岸。北部は周防灘で遠浅も多いのですが、この周防灘は瀬戸内気候に属するところです。つまり、雨が少ない気候区分なのです(最近は違うようですが)。

 管内東部寄りの国東半島の端に牧場があるのですが、数年前に放牧活用の肉用牛経営を新規に始めたとのことで、この日、初めて伺いました。そして驚いたのは、毎日20頭の牛たちに、水を運んでいると言うのです。


 帰り際に、Nさんと話しました。

「行政的に放牧を進むるんはいいけど、なんで水がないん? 荒廃農地を使ってやって、確かに初期投資も少ないけど、毎日水くんで拘束されて、続かんでな(毎日水くみで拘束されたら、続かないだろう?)」

「条件の良いところは、他が使ってます」

「そりゃそうやけど、パドックも一番便利が悪いとこじゃ、人間が毎日行っち作業すんところが便利悪い。牛は歩いて行けるんやけ、人間の便利良いとこにせんかった(人間が毎日行って作業するところが便利が悪い。牛は歩いて行けるんだから。なんで便利のよいところにしなかった?)」

などなど。


 県内には、こうした荒廃農地や山林活用で放牧がうまくいった例も、あるにはあります。
 が、ここは肉用牛専業です。他で収入がないことを考えれば、当該用地の全体像から、作業の全体像も考えて、組み立てねばなりません。
 良い事例を見ることは多々ありますが、どこが問題点か、どこで苦労するのかなど、リスクをよくよく見る必要があります。


 ここに給水設備を作って、水運びの拘束性をなくす提案をしたのは言うまでもありません(普及活動第2幕でやった方法です)。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。そして第二幕を終えて、自社で色々やっていたところ、北部振興局の要請によって、普及活動の第三幕を上げることとなった。臼杵市在住。

前の5件 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  11

上へ戻る

カレンダー

loading ...

みんなの農業広場に戻る

アーカイブ