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blog_hukyu_kasahara_f.jpg青森県
笠原 均

スクーターで駆け抜ける男~ねぶたの地より①

2014.10. 9

 「こんにちは、私、普及指導員です」を読まれている全国各地の皆さん、お元気でしょうか? 青森県は、すっかり秋めいて、山々の紅葉が、そろそろと街にも降りてくるような今日この頃です。
 そんな中、「普及指導員をやっていて良かったな~」と思えるお仕事が舞い込んできました。ある業務の資料として、ある農家さんの経営状況をまとめるというものでした。
 もちろん、この資料は、栽培面積や経営概況を書いて、すでに提出しているのですが、せっかく魅力的な農家さんから楽しい話を聞いたのですから、紹介しないわけがありません。今回は、その農家さんの了解を得て、資料にならなかったお話をドキュメンタリータッチで紹介させていただきます。

 かつてNHKで放送されていたドキュメンタリー番組『プロジェクトX』の田口トモロヲさん風の語りをイメージして読んでくださいね。

 タイトルは、「自社ブランドほうれんそうと、収穫後の一手間」って感じで、今回の主人公は、「有限会社 石田・農園 代表取締役 石田定伊(さだよし)さん」です。では、どうぞ!


【越えた一つめの壁】
 平成24年2月中旬、有限会社 『石田・農園(※)』の代表 石田定伊氏が、黒石市役所2階の市長室へ招き入れられた。平成23年度の石田・農園の売上がついに1億円に達し、市長を表敬訪問することになったのだ。


【スクーターで駆け抜ける男】
 標高約400m、八甲田山系中腹の開拓地の通称、厚目内地区。夏の強い日差しの下、頭にハチマキ、腹に白いさらしを巻いて、農道を50ccのバイクで駆け抜ける男がいる。そう、彼こそが、「石田定伊(53才)」有限会社 石田・農園の代表なのである。
 彼が管理するハウスの棟数は、実に50棟、総面積で4,200坪にも上る。そして、そのハウスの約9割で、ほうれんそうが栽培されているのだ。


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厚目内全景・まさに山奥である


【にんじん産地に、緑の葉が茂る】
 石田定伊氏は、今から30年ほど前、数年の会社勤めのあと、厚目内へ戻り、祖父の代から続く農業に就いたという。当時の地区の主力作物は、露地にんじんだった。石田氏も当然のこととして、にんじん栽培を引き継ぐことになった。

 平成5年、この地区に転機が訪れる。黒石市の実験ほ場という名目で、8棟のビニールハウスが建設されたのだ。このハウスの夏秋トマトを見て、以前、出稼ぎ先で見た岐阜県飛騨地方の「ハウスほうれんそう」を、石田氏は思い出していた。飛騨地方は、昭和30年代から続くほうれんそうの産地だが、昭和40年代に雨よけハウス栽培を導入してから、急速に販売額を伸ばし一大産地となった・・・と、石田氏は親しかった当時のガソリンスタンドの店員の話を思い出していた。


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予冷庫へ慎重に搬入する


 ・・・彼は思った。
 「飛騨地方と気候が似た厚目内なら、真夏に最高のほうれんそうが作れるんじゃないか!?」・・・と。
 彼は、信頼のおける当時の農協の指導員、山内氏に、その思いを打ち明けた。山内氏は、静かに一言だけ語った。
 「いい・・・やってみなが(やってみないか)!」


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4月上旬の厚目内地区


【後編予告】
 さっそく、ほうれんそう栽培に取り組む石田氏。ほうれんそうは順調に生育し、順調に栽培面積を増やしていった。誰もが彼の判断は正しかったと言った。
 しかし、このあと、雪国ならではの落とし穴が待っていたのだ。


社名について
 『「石田・農園」ではなく「石田農園」の間違いでは?』
 と何回も指摘を受けましたが、間違いなく、「石田・農園」です。
 実は「石田・農園」という社名には、社長の知られざる仲間たちへの思いがあったのです(続きは次回へ)。

笠原 均

青森県の農業改良普及指導員(普及員)です。普及員歴はすでに20数年となるのですが、お話し好きが高じて、農業の担い手育成を担当していることが多いです。 プライベートでは、「気分はプロフェッショナルカメラマン」、「YouTube再生回数が伸びないけど作曲家とウインドシンセサイザー奏者」です。 加えていうと、15年前から音楽の秘められた力をフル活用して地域おこしをやっています。そんな活動のお陰で町内会役員から目をつけられ(勧誘され)、町内会の理事なんかやっています。もちろん、町内の草刈りやしめ縄づくりも、町内会最年少として参加しています。

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