時には、林業青年(2)
2021.03.16
前回からの続き
ところで・・・・
中山間地域で山が荒れる、とか、よく聞く話ですが、今回の彼の取り組みは、その対策の一翼を十二分に担っているのです。
というのも、彼の実家は、この近くで養鶏をやっています。彼自身も市内で稲作のオペレーターなどをやっていますが、今回こうした山を買い上げて、木を切り出しているのです。もちろんその木を売ることで、生活費+資金償還です。楽ではないと思いますが、彼のような存在なくしては、生き残る山もなくなってしまうと思わざるを得ません。
また、ベースとなる農業経営がしっかりしているからこそ、多額の融資確保を可能にしたという要因も無視できません。
果たして、山主の依頼などで木を切り出すこともありますが、その木を売って生活ができるとしても、そこに新たに木を植えて山を管理するまでやっていくと、生活ができるか否か、ここはクエスチョンです。
ということは、そうした山の作業に関わるヒト、木が動いていくというモノの流通、そうした仕組みが循環して生活できるかというカネの流れ、の3つが充分に価値を発揮できないと、山仕事だけでは生活できないかもしれない、となるのは当然の帰結なのです。
木を切った後に苗を植えると何が起きるか。
数10haの山を何kmもネットやフェンスで囲みます。そうでないと、新植した苗は鹿のご飯になります。この手間やコスト、すごいことです。
以前、ある公庫の担当者がつぶやいていました。
「何十年も先になって回収できるものに貸しているのは、公庫だけですよ」と。
政策金融公庫の「政策」、まさに、そのとおりです。