普及指導員が現場で活躍する日々をレポート
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◆2021年1月

大分県
塩崎洋一

経営指導の現場演習

2021.01.27

 採用から3年目か他部局からの転入者には、普及現場で経営指導の研修をするカリキュラムがあります。
 これを実施する場合、前年のうちに研修対象となる経営体を選定し、事前に承諾を得て決算書などを頂き、また、その数字などを(普及指導員だけの集まりではあるけれども)オープンにさせてもらう承諾を得ます。


 他の管轄では、そうしたことを上司や先輩がほとんどやってしまうと聞きましたが、うちではあり得ません。同行はしますが、基本、すべて自分でやるのです。もちろん、本人には事前に注意する点を伝えますが、原則自分で全部やる、のスタンスです。
 この日はSさんに同行して、来年度の研修のお願いに行きました。別件でIくんも同行です(野菜法人OJTのIくんとは別人です)


 現場に行く前段階では、
塩 :「よい、どこを選んだんかな」
S :「株式会社Aです、私の担当する○○町の・・・・」
塩 :「そりゃいい。ただ、法人やけど実質家族経営屋から、奥さんもいた方がいいなあ」
S :「はい、そのつもりです、奥さんの話しも色々聞きたいです」
塩 :「経営分析もすることになるけん、その時には、そん経営の労働力やら家族内での作業分担やら、決算書には出て来ん色々な背景を知っちょった方がいい、日程調整は頼むで」
といった具合で始まりました。


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株式会社AのTくん御夫妻。彼は私が担当する後継者グループの役員でもあります

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

1億円経営が舞台のOJT

2021.01.19

 今年ルーキーのIくん。この日は、4年前からお付き合いのある法人経営の野菜農家さんの本社で手伝ってもらいました。この会社では、半年ほど前から彼と一緒に動くようになりました。最近では、野菜に関しては、社長との直接のやりとりもできているようです。


 先日、Iくんから
「塩崎さん、来週あそこに行くんですよね、僕も一緒にいいですか」と言われ、
「おう、社長に聞いたんか。なら、いいぞ。1時半頃に本社じゃ。社長は3時頃に帰ってくるけん、それまでに資金繰りを修正するんじゃ、手伝え」と、段取りしました。


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意外と緊張してないIくん。先輩としては安心しています


 社長不在時に押しかけて、事務員さんから決算書や償還表を借りて、資金繰りを作成して社長と検討する。
 社長は、普及員が作った資料をもとに検討して判断する。あるいは、修正指示や事業展開計画の修正案を話すと、これを普及員がさらに盛り込んで校正する、という流れです。


 ここで、「どうして資金繰り表を本人が作らないのか」という疑問が出てくるかもしれません。
 私は他の法人経営者の場合でも、重点的な対応先では同じようにやっています。もちろん、本人に作ってもらう場合もありますが、重点対応先には、資金繰り表は基本、私(普及指導員)が作成しています。

 民間の経営コンサルタントの方々がどのようにしているかは知りませんが、普及指導員がこうした業務を支援することについて、以前ある大規模農業法人の専務さんから、「うちの経営でこれだけの計画を作ってもらうとすると、民間に頼めば何百万円とかかるだろう」と言われました。普段お付き合いをしている農業経営者からのこのような一言は、間違いなく励みになります。
 

 この日の帰り道、Iくんに言いました。
「どこかの研修会に行った時、『僕は1億円の資金繰りを作っています』と、胸を張って言えるぞ」と。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

「リクエストがあるけんなあ」

2021.01.12

 法人化の相談で訪問した農家さんの庭先で大豆の話になったところ、お父さんが"きなこ"の話を始めた。
「道の駅で売りよるんじゃけど、うちのこれじゃねえといけん、ち言うしがおっち、やめてぇんじゃけど、作っち出しよるんじゃ」
(道の駅で売ってるのだけど、わが家のこれでないとだめだ、と言う人がいて、もうやめたいのだけど、作って出しているんだ)


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東洋のナイアガラ、と言われる滝の横で販売中


 で、案内されて作業場に行ったところ、自作のきなこマシンが登場した。
 以前は手回しだったものに、ゆっくり回転するモーターを付けて、煎っているとのこと。


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もともとは機械関係の技術屋だったお父さんの手製マシン。「すげぇ」の一言・・・・


 実際に食べてみたら、おいしい。ホットミルクに大さじいっぱい混ぜて、きなこミルクが一番だと思います。普通のきなこに比べて濃く、甘みもはっきり。素人の私でも違いがわかるほどです。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

宮田節炸裂~後継者経営研修

2021.01. 8

 担当する後継者組織の経営研修がありました。
 この日の研修は、ドリームファーマーズJAPANの宮田社長と安部副社長を招き、経営継承や法人化、将来生き残るためにどうするかなど、若手にヒットする内容。メンバーから新たに加入を希望する農業者にも声がけし、『加入希望』を『加入申し込み』へ誘導する取り組みでもありました。
 一昨年末に6人まで落ち込んだメンバーが、昨年は9人と150%増加。研修後には、数名の新規会員が獲得できたようです。


 農業青年組織の加入率が低下しているのはわが県だけかもしれませんが、漫然とした閉塞状況の中において、依怙贔屓による一点突破で、県下に比類なき活気を見せている彼らです。
 経営研修会の前段では、市長を招き、プロジェクト活動の紹介などを交えて行政懇談会を行いました。


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宮田社長の超リアルな体験談が炸裂し、めでたく新規会員も獲得できました


※ちなみに、この研修の前座は、私の経営研修でした。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

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塩崎洋一

免許取得

2021.01. 6

 現在の普及指導員資格は、農業改良助長法改正に伴って国家試験になりました。
 私たちの頃は、都道府県の採用試験とは別に、都道府県が実施する農業改良普及員資格試験を受けていました。そして、現場での普及経験が10年を超えると、専門技術員資格試験の受験資格を得たことになり、専門技術員の国家試験を受けることができるのでした。


 今年度、わが所属から数名が受験しましたが、なんとかみんなに合格してもらえるよう、全県事務所を挙げての応援態勢です。
 この日は、1次試験合格者に面接訓練を行っていました。
 

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普段は見せない、マジメな雰囲気で試験官を務める大先輩方・・・・これに、緊張して応えているK普及員

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

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