普及指導員が現場で活躍する日々をレポート
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◆2015年12月

大分県
塩崎洋一

関係機関との連携もOJT

2015.12.25

 産地の課題解決にむけての取り組みには、普及だけではなく市町村やJAとの連携が欠かせません。
 そんな現地での連携の場面ですが、JAや普及員はともかく、市町村の担当は、事務職で採用された方も多く、農政の担当とはいえ、農業分野には初めて関わるという方も少なくありません。中には、実家は農業やってるけれど自分はあまり関わっていない、という方もいます。
 そんな状況ですから、牛を触ったことがあるかとなると、これまた、まったく初めての経験、という場合がほとんどです。

 もちろん、市町村の事務職の方々といわず、最近では普及員も同じようなことが多いようです。大学での「農学部」とか「畜産学科」などの名称もなくなっているようですし・・・・。


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今年度着任したE普及員。自分でタツ(※)も作って、牛を引いてます。もうほとんどすべて任せてます


 さて、そうした関係機関連携の下で、今年度は現地の定期測尺を進めているところです。
 昨年は何度か自分の軽トラを使ったりしていましたが、今年度からは市役所にも協力してもらうようして、いくらかの予算と人的な支援もお願いして、「産地課題の解決」にむけた取り組みを進めています。


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市役所のKくん。農家さんの目線にプレッシャーを感じながらのようですが、最近では牛も引けるようになりました


「タツ」については、次回詳しくご説明します。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

「普及活動『絆』物語」賞を頂きました

2015.12.11

 7月の中旬だったかと思います。県の普及職員協議会会長の先輩から電話があって「「普及活動『絆』物語」(※)の募集があるから、しおちゃん、書いてくれんか」とのこと。

 引き受けたものの何を書こうかと思いながら、こうした機会は自分のやっていることをまとめるのにちょうど良い、と思いました。とはいえ、ボリューム的には少々きつい感じがしました。
 テーマというか意図するところは、通常ではあまりスポットが当たらない普及活動、カテゴリーでは普及方法の内容の部分を骨子にして、農家さんとの信頼関係を浮かび上がらせるというモノ、と解釈しました。


 過去の体験でも良いと言われましたが、管内3年目にして、ここでの事例を出せないようでは、「何をやってんだ」と言われそうな予感もあり、がんばってまとめた次第です。10数年ほど前に受けた専門技術員の試験(専技試験)を思い出しながら書きましたが、募集要領には「エッセイ風に」とありました。

 専技試験と言えば思い出されることがあります。新人の頃、普及専技だった先輩が「自分の考え方で書いてもだめだと言われたが、俺は持論で書いた」と話していたことです。

 今回の原稿も持論で書きました。もちろん、10数年前の専技試験も持論で書きました。大学の恩師曰く「塩崎、5年10年仕事して、本の一冊も書けないような仕事はするな」です。何事も自らのスキルアップのためだと思いながら、日々過ごしていきたい、と心がけています。


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授賞式で記念品に頂いた花瓶です


(事務局注)
普及活動『絆』物語:
普及指導員が取り組んだ普及活動を綴った「普及活動『絆』物語」を募集し、各賞を選定。11月に開催された「第3回高度化全国研究大会」で表彰をおこないました。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

大分県
塩崎洋一

経営指導マニュアル作り

2015.12. 7

 以前紹介した、新規就農者対応経営指導マニュアル作りもいよいよ佳境(というか大詰め)を迎えております。

 簿記を中心とせずに、自分はどうしたいのかというライフプランに始まって、経営を進める上での心構えを中心に内容を詰めています。中心にはしていませんが、簿記内容として減価償却費と事業主貸借については、もちろんしっかりと押さえました。


 新規就農者の中には、農家出身でない方や県外の方もいますので、地元の方言や農業分野でよく使われる単語など、日常的に『?』を感じる事柄についても解説を加えました。
 また、こうしたマニュアルを作ろうとすると、得てして他のマニュアルや解説書を参考にしがちになるので、なるべく自分たちの言葉で作ろう、と声をかけました。このようなことを通じて、自分たちのスキルアップもはかっていきます。


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 段々と煮詰まってきましたが、何かにつけて話しが飛び跳ねます。ですが、経営という物自体がそんなもの。何かにつけて飛び跳ねるモノです。

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

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