普及指導員が現場で活躍する日々をレポート
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◆2014年10月

大分県
塩崎洋一

今年度畜産共進会あれこれ

2014.10.17

 わが管内は、肉用牛の産地としては県内では下位の方です。最下位とは思いませんが、上位ではないと思います。これは、普及員としても正直な気持ちです。


 ですが、今年も県の共進会出場を目指しました。頭数も少ない中では、県で上位をねらえる牛さんを作り上げるのは、なかなか厳しいものがあります。やっぱり頭数が多い中から競い合って選ばれるものが、より良い牛さんであることは、誰が考えてもそうでしょう。
 それでも、JAさんも市役所さんも、また、生産者の皆さん、地域のレベルを上げて行こうとする熱意をもって、がんばっています。


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雌牛で県の共進会に行くこととなったYさん。実は昨年も行きました。ベテランです


 雌牛の共進会に先立って、先日は県の枝肉の共進会が開催されました。こちらは、やりました。見事に銀賞、県で2番です。わが管内の状況からすれば文句なし。もちろん、先般紹介した、一緒に牛小屋を改造している農家さんです。本当に本人の励みになります。ちなみに枝肉重量は510.1kg、A5等級でした。


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「38号牛」、間違いなく最優秀賞の2席、わが管内の出品です。格付成績は主席と同じでした。僅差の2席、本音は「とーっても、くやしい」でした

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

北海道
田所由理恵

「厚沢部バーガー」お披露目!

2014.10.16

 HIYAMA P1グランプリ最優秀賞に輝いた「厚沢部バーガー」が、10月4日に開催された「農協収穫祭」でお披露目されました。


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久々に登場! 「HIYAMA P1グランプリ最優秀賞 厚沢部バーガー」


 HIYAMA P1グランプリ開催に深く関わった「檜山南部食用馬鈴薯生産組合」が、農協収穫祭での取組イベントの一つとして、厚沢部バーガー販売を計画(檜山南部食用馬鈴薯生産組合のイベントは、厚沢部バーガーの他に"メークイン詰め放題""メークインの塩煮無料提供"の3本でした)。

 前回、衛生上の問題で販売に至ることができなかった反省を活かし、数カ月前から保健所に足げく通い、指導を受けながら当日の販売を迎えました。


 前日の雨がウソのような秋晴れとなったこの日、会場には朝から大勢のお客様が訪れ、予定していた100個の予約整理券が、10時の開始から約40分ほどで完売!
 食べたお客様からは「メークインの味を感じることができて、おいしい!」「子供も喜んで食べる」「満足感がある」「普段はどこで手に入るの?」等々、ナカナカの好評価でした。


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HIYAMA P1グランプリの最優秀作品であることをPR


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左 : 厨房から会場まで、できたての温度と衛生状態を保つため、保温容器に入れて運びます
右 :できたてホカホカ・アツアツの厚沢部バーガーに、説明と笑顔を添えて手渡します(^^)


 厚沢部バーガーをお披露目したい! という生産組合と関係者の熱い想いで動いて来た今回の取組は大成功!!
 HIYAMA P1グランプリに関する取組の、めざすところに向けて、少しずつですが、地域が盛り上がってきました。
 今回の取組を"呼び水"に、次のステップ「道の駅での販売」へ向かっています。


 消費者が盛り上がる → 商業者も盛り上がる → もちろん生産者も盛り上がる → 産地が全体で盛り上がるっ!! を夢に見つつ、関係者一同、まさに"盛り上がって"います。


 ところで、その関係者の事後談です。
 『売れ残っていたら10個ずつ買ってね~』なんて言われていた某関係者、お昼近くに会場を訪れたら「完売」の文字が...。「10個どころか1個も手に入らなかった...(T_T)。売れ残る心配があったんじゃなかったの!?」と、うれしい展開の陰に残念感もあったようでした(^_^;)


 一方、厚沢部バーガーの製造に協力した某関係者は、「早く!」「早く!」とせかされて、早朝から休む間もなく製造に追われヘトヘトだったとか...。。。「1日中イベントのアナウンスや楽しそうな会場の音を聞いていたけど、会場のようすを見に行くこともできなかった...」と、こちらもうれしい展開の陰に疲労感たっぷり...のようすでした(^_^;)

田所由理恵

平成24年から檜山農業改良普及センター所属。25年度に高付加価値に係わる仕事に変わりました。北海道に新幹線が来るのも間近!北海道の入り口で地域農畜産物の付加価値向上に邁進します。

blog_hukyu_kasahara_f.jpg 青森県
笠原 均

スクーターで駆け抜ける男~ねぶたの地より②

2014.10.14

【前編あらすじ】 ▼前回ブログはこちら

 現在もスクーターで農園を巡回する、有限会社 『石田・農園(※)』の代表 石田定伊(さだよし)氏。露地栽培しかなかった標高約400m、八甲田山系中腹の開拓地の通称、厚目内地区に、施設栽培のほうれんそうを持ち込んだ男である。
 当時の農協指導員の後押しを得て、ほうれんそう栽培を始めるものの・・・


【ほうれんそうと雇用と】
 石田氏は、平成11年、さっそく100坪、3棟のハウスを立てた。もちろん、ほうれんそうを作るためだ。

 1年目。彼の読みは当たった。冬期に2mの積雪に覆われるこの地区でも、品質の良いほうれんそうが、年5回も収穫できたのだ。さらに、夏の暑さを嫌うほうれんそうにとって、この地区は、まさに適地であった。
 彼は、補助事業を活用しながら、年数棟というペースでハウスを増やした。しかし、家族労働には限界がある・・・。彼は、順次雇用を増やしていった。


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石田・農園ハウスと、その周辺


 そして、平成18年、安定した雇用と社会的な信用の確保、継続的な事業運営のため、家族経営から法人へとシフトした。ここで、石田・農園は、「有限会社 石田・農園」となった。


【通年雇用の壁を破る】
 人を雇う者なら必ず考えるのが、熟練した作業員の継続雇用だ。しかし、1年の3分の1近くが雪に包まれるこの地域で通年雇用は極めて困難だ。そこで、石田は考えた。

 「農産物を運んだあと、空になったトラックをうまく使えないか?」

 平成23年2月、(有)石田・農園は、運送事業認可を得た。こうして、空になったトラックで荷物を運送できるようになり、それは、そのまま年間雇用を実現させた。


【強まる組織の力】
 現在、有限会社石田・農園では、代表の定伊さんを筆頭に、妻と、両親、さらに7人の正社員、19名の季節雇用社員がいる。多くの農業青年が、彼のほ場で汗を流しているのだ。石田氏の指導は情熱的で、次代の経営者を育てているのがよくわかる。また、今年の春から定伊氏の娘、裕香(ゆか)さんが石田・農園の役員として加わり、組織としての力がますます強まっている。


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人材育成に、当然、力が入る


【高品質ほうれんそうのヒミツ】
 最後に、せっかく聞いてきた高品質ほうれんそうの秘密を一つ紹介したい。
 収穫されたほうれんそうを洗うのは、県の名水百選に選ばれた地元の名水「寒水(ひやみず)」である。この「寒水」で締められたほうれんそうは、そのまま速やかに自社の冷蔵庫へ運ばれ、予冷される。高い品質の保持には、収穫後の「この一手間」が欠かせないそうである。

 そんな高い技術と品質に裏付けされた石田・農園ブランドほうれんそうは、今後もさらに引き合いが強まっていくだろうと、取材しながら強く感じたのである。


 ・・・という感じで紹介させていただきました。

 「石田社長! 冬になったら、また、手弁当でゆっくり話をしましょう!」

 普及指導員の仕事は、魅力が尽きません!


社名について
 『石田農園ではなく、「石田・農園」なのはなんでですか?』
 と、多くの方から聞かれました。筆者もわからないので、直接本人に聞いてみました。

 社長の話によると、たまたま、出先で出会ったある篆刻師からのアドバイスだそうです。「石田農園」に、あと一文字加えることで、「会社がみんなで力を合わせて伸びていく会社に変わる!」ということで、社名を「石田・農園」に変えたそうです。
 確かに、作業風景を見ているだけでも、みんなで力を合わせている雰囲気がとても伝わってきてます。いい会社だと思います。

笠原 均

青森県の農業改良普及指導員(普及員)です。普及員歴はすでに20数年となるのですが、お話し好きが高じて、農業の担い手育成を担当していることが多いです。 プライベートでは、「気分はプロフェッショナルカメラマン」、「YouTube再生回数が伸びないけど作曲家とウインドシンセサイザー奏者」です。 加えていうと、15年前から音楽の秘められた力をフル活用して地域おこしをやっています。そんな活動のお陰で町内会役員から目をつけられ(勧誘され)、町内会の理事なんかやっています。もちろん、町内の草刈りやしめ縄づくりも、町内会最年少として参加しています。

大分県
塩崎洋一

女性農業経営士経営研修会

2014.10.10

 今年度の女性農業経営士総会が6月に開催されましたが、その時の経営研修会では、相続や法人化について話しました。すると、今度はそれも含めて、もっと全体的な話をしてください、となりました。


 経営を取り巻く要因、経営を構成する要素はさまざまですが、女性の気持ちとしてこんなことをやりたい、とか、経営を展開する上でこんなことが問題だ、とか、皆さんの将来に向けた気持ちを、現実のものとして開花させるために、経営者としてどうあるべきか、私の気持ちも含めて、ぶつけてみました。


 借金をしても返せるだろうかと思うと、やりたいことはあるけど今一歩ができない、子供達が一緒にやるのは良いが、このままの規模では生活できないなど、具体的な不安要素が出てきます。しかしながら、やったことだけ、行動したことだけが結果になると思えば、何もしなければ今のままか、沈んでいくか、しかありません。


 なんとか皆さんのモチベーションを上げて、一歩だけであっても前に進めていく、そうでないと、実は地域や産地も衰退するかもしれない、との思いがこちらの本音です。ヒトは誰でも良い。老若男女を問わず、まずはやる気のあるヒトを見つけて火をつけて、立ち上げないことには・・・・。
 田舎の普及員仕事の醍醐味・・・、とは私が思っているだけでしょうか。


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「鋭い視線」と言ったら、ある参加者から「真剣なまなざし」でしょ、と言われました


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いつもながら、つかみが肝心です。今回は、他の研修会で使用したテキストを「つかみ」にしました


▼研修に使用した資料の内容はこちらからご覧いただけます

塩崎洋一

昭和63年に大分県で普及員として奉職。 令和4年3月に早期退職して農業に踏み込み始めたが、普及現場の要請により中部振興局を舞台に、普及活動の第二幕が上がった。臼杵市在住。

blog_hukyu_kasahara_f.jpg 青森県
笠原 均

スクーターで駆け抜ける男~ねぶたの地より①

2014.10. 9

 「こんにちは、私、普及指導員です」を読まれている全国各地の皆さん、お元気でしょうか? 青森県は、すっかり秋めいて、山々の紅葉が、そろそろと街にも降りてくるような今日この頃です。
 そんな中、「普及指導員をやっていて良かったな~」と思えるお仕事が舞い込んできました。ある業務の資料として、ある農家さんの経営状況をまとめるというものでした。
 もちろん、この資料は、栽培面積や経営概況を書いて、すでに提出しているのですが、せっかく魅力的な農家さんから楽しい話を聞いたのですから、紹介しないわけがありません。今回は、その農家さんの了解を得て、資料にならなかったお話をドキュメンタリータッチで紹介させていただきます。

 かつてNHKで放送されていたドキュメンタリー番組『プロジェクトX』の田口トモロヲさん風の語りをイメージして読んでくださいね。

 タイトルは、「自社ブランドほうれんそうと、収穫後の一手間」って感じで、今回の主人公は、「有限会社 石田・農園 代表取締役 石田定伊(さだよし)さん」です。では、どうぞ!


【越えた一つめの壁】
 平成24年2月中旬、有限会社 『石田・農園(※)』の代表 石田定伊氏が、黒石市役所2階の市長室へ招き入れられた。平成23年度の石田・農園の売上がついに1億円に達し、市長を表敬訪問することになったのだ。


【スクーターで駆け抜ける男】
 標高約400m、八甲田山系中腹の開拓地の通称、厚目内地区。夏の強い日差しの下、頭にハチマキ、腹に白いさらしを巻いて、農道を50ccのバイクで駆け抜ける男がいる。そう、彼こそが、「石田定伊(53才)」有限会社 石田・農園の代表なのである。
 彼が管理するハウスの棟数は、実に50棟、総面積で4,200坪にも上る。そして、そのハウスの約9割で、ほうれんそうが栽培されているのだ。


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厚目内全景・まさに山奥である


【にんじん産地に、緑の葉が茂る】
 石田定伊氏は、今から30年ほど前、数年の会社勤めのあと、厚目内へ戻り、祖父の代から続く農業に就いたという。当時の地区の主力作物は、露地にんじんだった。石田氏も当然のこととして、にんじん栽培を引き継ぐことになった。

 平成5年、この地区に転機が訪れる。黒石市の実験ほ場という名目で、8棟のビニールハウスが建設されたのだ。このハウスの夏秋トマトを見て、以前、出稼ぎ先で見た岐阜県飛騨地方の「ハウスほうれんそう」を、石田氏は思い出していた。飛騨地方は、昭和30年代から続くほうれんそうの産地だが、昭和40年代に雨よけハウス栽培を導入してから、急速に販売額を伸ばし一大産地となった・・・と、石田氏は親しかった当時のガソリンスタンドの店員の話を思い出していた。


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予冷庫へ慎重に搬入する


 ・・・彼は思った。
 「飛騨地方と気候が似た厚目内なら、真夏に最高のほうれんそうが作れるんじゃないか!?」・・・と。
 彼は、信頼のおける当時の農協の指導員、山内氏に、その思いを打ち明けた。山内氏は、静かに一言だけ語った。
 「いい・・・やってみなが(やってみないか)!」


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4月上旬の厚目内地区


【後編予告】
 さっそく、ほうれんそう栽培に取り組む石田氏。ほうれんそうは順調に生育し、順調に栽培面積を増やしていった。誰もが彼の判断は正しかったと言った。
 しかし、このあと、雪国ならではの落とし穴が待っていたのだ。


社名について
 『「石田・農園」ではなく「石田農園」の間違いでは?』
 と何回も指摘を受けましたが、間違いなく、「石田・農園」です。
 実は「石田・農園」という社名には、社長の知られざる仲間たちへの思いがあったのです(続きは次回へ)。

笠原 均

青森県の農業改良普及指導員(普及員)です。普及員歴はすでに20数年となるのですが、お話し好きが高じて、農業の担い手育成を担当していることが多いです。 プライベートでは、「気分はプロフェッショナルカメラマン」、「YouTube再生回数が伸びないけど作曲家とウインドシンセサイザー奏者」です。 加えていうと、15年前から音楽の秘められた力をフル活用して地域おこしをやっています。そんな活動のお陰で町内会役員から目をつけられ(勧誘され)、町内会の理事なんかやっています。もちろん、町内の草刈りやしめ縄づくりも、町内会最年少として参加しています。

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