【前編あらすじ】 ▼前回ブログはこちら
現在もスクーターで農園を巡回する、有限会社 『石田・農園(※)』の代表 石田定伊(さだよし)氏。露地栽培しかなかった標高約400m、八甲田山系中腹の開拓地の通称、厚目内地区に、施設栽培のほうれんそうを持ち込んだ男である。
当時の農協指導員の後押しを得て、ほうれんそう栽培を始めるものの・・・
【ほうれんそうと雇用と】
石田氏は、平成11年、さっそく100坪、3棟のハウスを立てた。もちろん、ほうれんそうを作るためだ。
1年目。彼の読みは当たった。冬期に2mの積雪に覆われるこの地区でも、品質の良いほうれんそうが、年5回も収穫できたのだ。さらに、夏の暑さを嫌うほうれんそうにとって、この地区は、まさに適地であった。
彼は、補助事業を活用しながら、年数棟というペースでハウスを増やした。しかし、家族労働には限界がある・・・。彼は、順次雇用を増やしていった。

石田・農園ハウスと、その周辺
そして、平成18年、安定した雇用と社会的な信用の確保、継続的な事業運営のため、家族経営から法人へとシフトした。ここで、石田・農園は、「有限会社 石田・農園」となった。
【通年雇用の壁を破る】
人を雇う者なら必ず考えるのが、熟練した作業員の継続雇用だ。しかし、1年の3分の1近くが雪に包まれるこの地域で通年雇用は極めて困難だ。そこで、石田は考えた。
「農産物を運んだあと、空になったトラックをうまく使えないか?」
平成23年2月、(有)石田・農園は、運送事業認可を得た。こうして、空になったトラックで荷物を運送できるようになり、それは、そのまま年間雇用を実現させた。
【強まる組織の力】
現在、有限会社石田・農園では、代表の定伊さんを筆頭に、妻と、両親、さらに7人の正社員、19名の季節雇用社員がいる。多くの農業青年が、彼のほ場で汗を流しているのだ。石田氏の指導は情熱的で、次代の経営者を育てているのがよくわかる。また、今年の春から定伊氏の娘、裕香(ゆか)さんが石田・農園の役員として加わり、組織としての力がますます強まっている。

人材育成に、当然、力が入る
【高品質ほうれんそうのヒミツ】
最後に、せっかく聞いてきた高品質ほうれんそうの秘密を一つ紹介したい。
収穫されたほうれんそうを洗うのは、県の名水百選に選ばれた地元の名水「寒水(ひやみず)」である。この「寒水」で締められたほうれんそうは、そのまま速やかに自社の冷蔵庫へ運ばれ、予冷される。高い品質の保持には、収穫後の「この一手間」が欠かせないそうである。
そんな高い技術と品質に裏付けされた石田・農園ブランドほうれんそうは、今後もさらに引き合いが強まっていくだろうと、取材しながら強く感じたのである。
・・・という感じで紹介させていただきました。
「石田社長! 冬になったら、また、手弁当でゆっくり話をしましょう!」
普及指導員の仕事は、魅力が尽きません!
※社名について
『石田農園ではなく、「石田・農園」なのはなんでですか?』
と、多くの方から聞かれました。筆者もわからないので、直接本人に聞いてみました。
社長の話によると、たまたま、出先で出会ったある篆刻師からのアドバイスだそうです。「石田農園」に、あと一文字加えることで、「会社がみんなで力を合わせて伸びていく会社に変わる!」ということで、社名を「石田・農園」に変えたそうです。
確かに、作業風景を見ているだけでも、みんなで力を合わせている雰囲気がとても伝わってきてます。いい会社だと思います。
青森県の農業改良普及指導員(普及員)です。普及員歴はすでに20数年となるのですが、お話し好きが高じて、農業の担い手育成を担当していることが多いです。
プライベートでは、「気分はプロフェッショナルカメラマン」、「YouTube再生回数が伸びないけど作曲家とウインドシンセサイザー奏者」です。
加えていうと、15年前から音楽の秘められた力をフル活用して地域おこしをやっています。そんな活動のお陰で町内会役員から目をつけられ(勧誘され)、町内会の理事なんかやっています。もちろん、町内の草刈りやしめ縄づくりも、町内会最年少として参加しています。